はじめに|脳出血後、身体より先に心が動けなくなることがある
脳出血や脳卒中を経験したあと、
「もう以前の人生には戻れない」
「リハビリを続けても先が見えない」
「家族に迷惑をかけるだけではないか」
「働けない自分に価値はあるのか」
「これから何を支えに生きればよいのか」
そう考え、心が折れそうになっていないでしょうか。
身体が動かない苦しさは、周囲にも比較的伝わりやすいものです。
けれど、本当に深く人を傷つけるのは、動かなくなった身体だけではありません。
昨日までの自分を失った感覚。
社会から取り残されていく不安。
家族に支えられる側へ変わった申し訳なさ。
努力をしても、以前の自分には戻れない現実。
その痛みは、外から見えにくいものです。
私は30代で脳出血を発症し、左半身に重い障害が残りました。
左手は思うように動かない。
左脚にも麻痺が残り、歩くことにも困難が生まれた。
それまで当たり前だった仕事や生活を、一度失いました。
病室のベッドの上で、私は何度も思いました。
このまま、自分の人生は終わってしまうのではないか。
家族を支えるつもりだった自分が、家族に支えられている。
働き、社会とつながり、誰かの役に立っていた自分が、何もできない人になってしまったように感じる。
その現実を前に、私は何度も心が折れました。
だから、今苦しんでいる人へ、私は簡単に「折れないでください」とは言いません。
人は、本当に苦しいときには折れます。
泣きます。
立ち止まります。
未来を考えられなくなります。
何もしたくない日もあります。
それは弱いからではありません。
それほど大きなものを失い、それでも今日まで生きてきたからです。
本当に大切なのは、最後まで一度も折れないことではありません。
折れた自分を、そこで見捨てないことです。
以前と同じ自分へ戻れなくてもいい。
今の身体、今の心、今の生活に合う形で、人生をもう一度組み立て直せばいい。
私はそれを、人生再設計と呼んでいます。
この記事では、脳出血によって中途重度障害者となった私が、絶望、リハビリ、社会復帰、障害者雇用を経験する中で見つけた「折れても人生を終わらせない方法」をお伝えします。
今はまだ前を向けなくても構いません。
この記事を読み終えるころに、
「以前と同じ人生ではなくても、もう一度生き直せるかもしれない」
そう少しだけ感じてもらえたなら、私が経験を言葉にする意味があると思っています。
脳出血で、昨日までの「当たり前」が壊れた
脳出血を発症する前の私は、これから先も当たり前に働き、家族と暮らし、自分の足で人生を歩いていけると思っていました。
歩くこと。
着替えること。
食事をすること。
仕事へ向かうこと。
家族を支えること。
それらが突然できなくなる未来など、考えたこともありませんでした。
しかし、病気はその前提を一瞬で壊しました。
頭では手を動かしたいと思っている。
けれど、動かない。
歩こうとしても、身体が以前のようについてこない。
昨日までの記憶も、できていた感覚も残っているのに、身体だけが戻ってくれない。
中途障害の苦しさは、初めからできなかったことではありません。
できていた自分を知っているのに、できなくなることです。
過去の自分が、いつも目の前にいる。
何かにつまずくたびに、
「以前なら簡単にできたのに」
という思いが浮かぶ。
その比較が、身体の障害以上に心を傷つけることがあります。
心が折れるのは、弱いからではない
脳出血や障害を経験すると、自分の心まで弱くなったように感じることがあります。
以前なら気にしなかった言葉に傷つく。
小さな失敗で深く落ち込む。
人に会うことが怖くなる。
未来を考えるだけで不安になる。
何もしていないのに疲れる。
しかし、それは性格が弱くなったからではありません。
人生を支えていた柱が、一度にいくつも崩れたからです。
身体の自由。
仕事。
収入。
社会的な役割。
家族の中での立場。
将来の計画。
自分への信頼。
これだけのものを失えば、すぐに立ち直れないのは当然です。
大きな災害のあと、建物が翌日に元どおりにならないように、人生も壊れた直後から元どおりにはなりません。
時間が必要です。
支えてくれる人が必要です。
そして、以前とは違う設計が必要です。
心が折れたことは、人生に負けた証拠ではありません。
それほど懸命に生き、失ったものを大切にしていた証拠でもあります。
努力しても以前の自分へ戻れない苦しさ
リハビリを続けると、少しずつできることが増える場合があります。
昨日より長く座れた。
自分で起き上がれた。
車椅子へ移れた。
一歩多く歩けた。
一人でできる動作が増えた。
その小さな変化は、大きな希望になります。
一方で、どれだけ努力しても、すべてが以前の状態に戻るとは限りません。
頑張っても動かない。
何度練習しても思うようにできない。
昨日できたことが、疲労によって今日はできない。
無理をした翌日は、身体が動かなくなる。
発症前は、
努力すれば成長する。
練習すれば慣れる。
頑張れば結果が出る。
そう信じることができました。
しかし、障害後の世界では、努力と結果が一直線につながらないことがあります。
頑張るほど良いとは限りません。
頑張りすぎることで、身体や心を壊してしまうこともあります。
必要なのは、努力をやめることではありません。
今の自分に合った努力へ変えることです。
元の自分を取り戻すためだけに頑張るのではなく、今の身体で生活を続ける方法を探す。
それが、回復の先に始まる人生再設計です。
「元どおり」だけを希望にしてはいけない
発症直後の私は、元に戻ることを願いました。
もう一度、以前のように歩きたい。
自由に身体を動かしたい。
何事もなかったように仕事へ戻りたい。
病気になる前の人生を取り戻したい。
その希望が、リハビリを続ける力になったことは間違いありません。
しかし、希望が「元どおりになること」だけになると、現実との違いが心を傷つけます。
元どおりになれなければ、人生には意味がない。
以前と同じように働けなければ、社会復帰とは言えない。
そう考えてしまうと、今できるようになったことまで見えなくなります。
以前と同じ歩き方でなくても、移動することはできる。
以前と同じ仕事でなくても、社会とつながることはできる。
以前と同じ役割でなくても、誰かの役に立つことはできる。
以前と同じ人生でなくても、幸せになる可能性はあります。
私は、希望を捨てたのではありません。
希望の向きを変えました。
過去の人生へ戻るのではなく、今の自分で生きられる人生を作る。
回復だけではなく、再設計を目指す。
そう考えられるようになってから、私は少しずつ未来を見ることができました。
できなくなったことで、自分の価値まで失ったように感じる
障害を負うと、身体機能だけでなく、自分という存在の輪郭まで失うことがあります。
働ける自分。
家族を支える自分。
一人で何でもできる自分。
周囲から必要とされる自分。
努力して未来を変えられる自分。
その役割ができなくなったとき、
自分には何が残っているのか。
何のために生きているのか。
これから誰の役に立てるのか。
という問いが生まれます。
私も、支援を受ける自分を情けなく感じたことがあります。
人に助けられなければ生活できない自分には、価値がないと思ったこともあります。
けれど、支援を受けたからこそ分かったことがあります。
助けられた経験は、誰かを助ける力になる。
苦しんだ経験は、同じ痛みを抱える人を理解する力になる。
できなくなったことがあっても、人生から価値が消えるわけではありません。
価値の形が変わるのです。
「前はできた」という言葉が、当事者を苦しめる
中途障害者は、周囲にも以前の姿を知られています。
前は歩けた。
前は働けた。
前は一人で何でもできた。
前は元気だった。
悪意がなくても、
「前はできたよね」
「もっと頑張れば戻れるのでは」
「見た目は元気そう」
「できることも多いから大丈夫でしょう」
と言われることがあります。
しかし、本人はすでに、自分の中で何度も過去と現在を比べています。
失ったものを最もよく知っているのは本人です。
必要なのは、以前の姿へ戻ることを急かす言葉ではありません。
「今は、どの形ならできそうか」
と一緒に考える言葉です。
過去の自分と比べるのではなく、今の自分に合う方法を探してもらえるだけで、人は少し救われます。
本当に「折れない人」とは、倒れない人ではない
以前の私は、折れない人とは、何があっても立ち続ける人だと思っていました。
泣かない。
弱音を吐かない。
諦めない。
誰にも頼らない。
いつも前を向く。
しかし、その生き方では、いつか本当に壊れてしまいます。
今の私は、折れない人をこう考えています。
折れない人とは、一度も倒れない人ではありません。
倒れたときに休める人。
助けを求められる人。
以前とは違う方法を選べる人。
うまくいかなかった自分を責めず、もう一度小さく始められる人。
つまり、必要なのは「折れない強さ」ではありません。
折れても戻れる仕組みです。
折れても人生を終わらせない7つの方法
1.調子を崩す日がある前提で予定を作る
障害のある身体には波があります。
毎日同じ体調ではありません。
いつも100%動ける前提で予定を組めば、できなかった日に自分を責めることになります。
疲れる日もある。
動けない日もある。
予定どおりに進まない日もある。
その余白を、最初から生活へ入れておく。
休むことは予定の失敗ではありません。
生活を続けるために必要な予定です。
2.「できない」ではなく「できる形」を探す
以前と同じ方法が使えないなら、別の方法を探します。
片手で使いやすい道具を選ぶ。
工程を細かく分ける。
時間を多めに取る。
人の助けを借りる。
得意な業務へ役割を変える。
できない自分を責めるだけでは、できることは増えません。
方法を変えることで、可能性が見つかることがあります。
3.他人や過去の自分と比べすぎない
他人と比べれば、できないことばかりが見えます。
発症前の自分と比べても、失ったものばかりが見えます。
だから私は、成果だけではなく、
今日は無理をしすぎなかったか。
必要なときに休めたか。
自分を傷つけずに一日を終えられたか。
小さくても続けられたか。
という視点で自分を見るようになりました。
4.助けを求めることを能力の一つと考える
助けを求めることは、負けではありません。
自分の状態を理解し、必要な支援を選ぶ力です。
家族。
医療。
福祉。
職場。
友人。
相談機関。
支えを借りながら生きることは、依存ではありません。
社会の中で生きるということです。
5.小さくても自分の役割を持つ
人は役割を失うと、自分の価値まで失ったように感じます。
だからこそ、大きな成果でなくても役割を持つことが大切です。
家族の話を聞く。
感謝を伝える。
文章を書く。
経験を誰かへ伝える。
任された仕事を一つ終える。
小さな役割は、生きる意味を少しずつ取り戻してくれます。
6.自分の状態を言葉にする
周囲は、言葉にしなければ分からないことがあります。
疲労。
痛み。
不安。
できないこと。
できるようになったこと。
必要な配慮。
理解してもらえるのを待つだけではなく、自分の状態を少しずつ伝える。
それも、社会復帰や人生再設計に必要な力です。
7.「自分を壊さない」という判断基準を持つ
以前の私は、頑張ることが正しいと思っていました。
無理をしてでも期待に応える。
弱音を吐かない。
誰にも迷惑をかけない。
けれど、その生き方は自分を守ってくれませんでした。
今は、
この選択を続けたら、自分は壊れないか。
この働き方は、生活まで守れているか。
誰かの期待だけで決めていないか。
という基準を持つようにしています。
自分を大切にすることは、甘えることではありません。
人生を長く続けるための設計です。
「頑張れ」の代わりに伝えてほしい言葉
病気や障害で苦しむ人へ、何と声をかければよいか分からないことがあります。
励ましたい。
希望を持ってほしい。
諦めてほしくない。
その思いから、「頑張って」「折れないで」と言うこともあるでしょう。
しかし、すでに限界まで頑張っている人には、その言葉が新しい負担になることがあります。
そんなときは、こう伝えてほしいと思います。
「今は休んでもいい」
「以前と同じでなくてもいい」
「一人で抱えなくてもいい」
「できる形を一緒に探そう」
「折れても、あなたの価値はなくならない」
人を救うのは、強くなることを求める言葉だけではありません。
弱いままでも、ここにいてよいと伝える言葉です。
中途重度障害者として、今苦しんでいる人へ
身体が思うように動かない人。
リハビリを続けても先が見えない人。
仕事へ戻れるか不安な人。
家族へ迷惑をかけているように感じている人。
自分の価値を見失っている人。
私は、簡単に「必ず大丈夫」とは言えません。
回復の形も、生活の条件も、一人ひとり違います。
失ったものが、すべて戻るとは限りません。
けれど、以前と同じ人生に戻れなくても、新しい人生を作ることはできます。
私も何度も折れました。
泣きました。
自分を責めました。
未来を諦めそうになりました。
それでも、支えてもらい、生活を少しずつ組み直し、再び働き、社会とつながり、今は自分の経験を言葉にしています。
特別に強かったからではありません。
休んだからです。
助けてもらったからです。
できないことを認め、できる形を探したからです。
人生を元に戻すのではなく、作り直したからです。
今見えている道が行き止まりでも、人生そのものが終わったわけではありません。
道がなければ、新しい道を設計すればいい。
時間がかかってもいい。
今日は何もできなくてもいい。
生きている限り、人生はまだ途中です。
まとめ|最後まで折れないことより、折れた自分を見捨てない
大切なのは、一度も心が折れないことではありません。
折れた自分を責めないこと。
以前と同じ自分へ、無理に戻ろうとしないこと。
必要な助けを受け取ること。
今の自分で生きられる形を作り直すこと。
そして、折れた自分を見捨てないことです。
人は何度でも折れます。
病気。
障害。
失業。
別れ。
挫折。
孤独。
自分の力だけでは、どうにもならない出来事があります。
それでも、折れた場所が人生の終点とは限りません。
そこは、新しい人生を設計し始める場所になることがあります。
強くなくてもいい。
毎日前向きでなくてもいい。
誰かに頼ってもいい。
以前と違う人生を選んでもいい。
最後まで折れない人になる必要はありません。
折れても戻れる場所を作ればいい。
何度でも、自分の人生を拾い直せばいい。
人生は、壊れた後からでも設計できます。
今、人生の途中で立ち止まっているあなたへ
この記事を読んだからといって、今日から前向きになる必要はありません。
答えを急いで出さなくても大丈夫です。
ただ、苦しんでいる自分を責めることだけは、少しずつやめてほしいと思います。
折れてしまったのは、弱かったからではありません。
それほど大きな痛みに耐えてきたからです。
このブログでは、中途重度障害者として生き、働き直してきた経験から、
脳出血後の人生再設計
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この言葉を必要としている人へ届けてください
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病気や障害で心が折れそうな人。
リハビリを続けても希望を持てない人。
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そんな方がいるなら、この記事をそっと届けてください。
励ます言葉を見つけられなくても構いません。
「もっと頑張って」と言う代わりに、
「折れても、人生は終わらない」
という言葉を渡していただければと思います。
一人のシェアが、絶望の中にいる誰かへ届くかもしれません。
一つのフォローが、苦しい日に戻れる場所を作るかもしれません。
一つのブックマークが、もう一度生き方を考えるきっかけになるかもしれません。
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私は、脳出血や障害によって人生が変わった人が、自分の価値まで失わなくてもよい社会を作りたいと願っています。
そして、以前と同じ人生に戻れなくても、自分に合った新しい人生を作れることを、当事者として伝え続けたいと思います。
今は動けなくても、人生はまだ終わっていません。
あなたの人生は、まだ途中です。
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