もし今、
頑張っているのに、なぜか苦しい。
仕事もしている。
家族のことも考えている。
周囲に迷惑をかけないようにしている。
任されたことには責任を持っている。
弱音もなるべく吐かないようにしている。
それなのに、ふと一人になったとき、
「私は、何のためにこんなに頑張っているのだろう」
と思うことがあるなら。
今日だけは、この文章を読んでほしいと思います。
私は30歳で脳出血を発症し、中途重度障害者になりました。
昨日まで当たり前だったことが、当たり前ではなくなりました。
身体が思うように動かない。
できていたことが、できなくなる。
仕事も、生活も、将来も、それまで描いていた人生とは違うものになりました。
人生が壊れたように思った時期もありました。
「元に戻りたい」
何度そう思ったか分かりません。
けれど、長い時間をかけて人生をつくり直してきた今、私は一つのことにたどり着きました。
病気になる前の私は、
自分の人生を一生懸命生きていたけれど、自分自身を大切にはできていなかった。
のだと思います。
だから今、
障害のある人だけではなく、
毎日働いている人へ。
家庭を守っている人へ。
子育てをしている人へ。
介護をしている人へ。
誰にも言えない苦しさを抱えている人へ。
そして、
「まだ頑張れる」
と言いながら、自分を後回しにしているすべての人へ。
中途重度障害者になった一人の人間として、
心の底から伝えたいことがあります。
どうか、自分を大切にしてください。
それは逃げることでも、
甘えることでも、
わがままになることでもありません。
自分を大切にすることは、
自分の人生を最後まで生きるための責任です。
—
日本には「頑張ること」を美しいとする文化がある
日本には、とても美しい価値観があります。
人のために尽くす。
責任を果たす。
困っている人を助ける。
仕事を最後までやり遂げる。
家族を守る。
自分より相手を思いやる。
私は、こうした価値観そのものを否定したいわけではありません。
むしろ、日本人の持つ素晴らしさだと思っています。
しかし、美徳は行き過ぎると、ときに人を苦しめます。
休まず働くことが立派。
我慢できる人が強い。
弱音を吐かない人が偉い。
人に迷惑をかけてはいけない。
自分の都合より周囲を優先するべき。
そんな空気の中で生き続けるうちに、
私たちは知らない間に、
「自分を大切にすること」を後回しにしてしまうことがあります。
—
「まだ大丈夫」が、一番怖いこともある
私自身がそうでした。
まだ働ける。
まだ我慢できる。
まだ頑張れる。
もっとできる。
自分より大変な人がいる。
これくらいで弱音を吐くべきではない。
そうやって、人間は少しずつ自分の声を聞かなくなります。
身体が疲れている。
心が苦しい。
本当は休みたい。
本当は嫌だ。
本当は助けてほしい。
本当は別の生き方をしてみたい。
そんな内側からの小さな声を、
「甘えるな」
「頑張れ」
という自分自身の声で消してしまう。
けれど身体や心には、限界があります。
人生にも、限界があります。
だから私は今、
「まだ大丈夫」
という言葉を以前ほど信用していません。
本当に大切なのは、
限界まで耐えられることではなく、
限界になる前に自分の変化に気づけること
なのだと思います。
—
私は、壊れてから自分の大切さを知った
脳出血を経験してから、
それまで当たり前だったものが、どれほどありがたかったのかを知りました。
歩けること。
自分の手で物を持てること。
仕事ができること。
好きな場所へ行けること。
家族と過ごせること。
何気なく朝を迎えられること。
それらは、永久に保証されているものではありませんでした。
そして私は、
人生には、
「もっと頑張ってから幸せになる」ための無限の時間などない
ことにも気づきました。
いつか余裕ができたら。
いつか仕事が落ち着いたら。
いつかお金が貯まったら。
いつか責任が軽くなったら。
いつか周囲が理解してくれたら。
その「いつか」が必ず来る保証はありません。
人生は、ときにこちらの予定を待ってくれません。
だから、
今日を犠牲にして、
未来の幸福だけを追い続ける生き方を、
私はもう選びたくありません。
—
自分を大切にすることは「自分だけを大切にすること」ではない
ここは、どうしても伝えたいことです。
「自分を大切にする」
という言葉を聞くと、
自分勝手になることだと思う人がいるかもしれません。
違います。
私はむしろ逆だと思っています。
自分が壊れてしまえば、
大切な人を大切にすることも難しくなります。
自分の心に余裕がなければ、
誰かの苦しみに優しく寄り添うことも難しくなります。
自分が疲れ切っていれば、
家族に優しくしたくてもできない日があります。
仕事でも同じです。
長く働き続けるためには、
休むことも、
助けを求めることも、
無理なものを無理と言うことも必要です。
だから、
自分を大切にすることと、誰かを大切にすることは対立しません。
むしろ、
自分を大切にできるからこそ、
長く誰かを大切にできる。
私はそう考えています。
—
あなたの価値は「何ができるか」だけでは決まらない
障害者になってから、
私は何度も「できない自分」と向き合いました。
できなくなったことがあります。
人の助けが必要になったこともあります。
以前と同じ働き方ができないこともあります。
最初は、それが悔しかった。
「できる自分」に戻りたかった。
なぜなら私は無意識のうちに、
自分の価値を、
仕事。
能力。
役割。
成果。
生産性。
そんなもので測っていたからです。
でも、もし人間の価値が生産性だけで決まるなら、
病気になった人の価値は下がるのでしょうか。
高齢になれば価値がなくなるのでしょうか。
働けない時期がある人には価値がないのでしょうか。
そんなはずはありません。
人は、
何かができるから人なのではない。
そこに生きている。
笑う。
泣く。
誰かを思う。
誰かに思われる。
それだけでも、
人間の存在には意味があります。
これは綺麗事ではありません。
私は自分自身が「できない側」に回って初めて、
本当の意味でそう思えるようになりました。
—
仕事は人生の一部であって、人生そのものではない
日本では、
「何をしている人ですか」
と聞かれると、
職業を答えることが多いと思います。
会社員です。
看護師です。
公務員です。
技術者です。
経営者です。
しかし、その肩書きがなくなったら、
あなたは誰なのでしょうか。
私は病気を経験して、この問いを考えるようになりました。
仕事は大切です。
働くことには誇りもあります。
社会とのつながりにもなります。
収入も必要です。
けれど、
仕事は人生を構成する一本の線であって、人生そのものではありません。
家族との時間。
友人。
好きなこと。
学び。
地域。
趣味。
休息。
誰かとの何気ない会話。
自分だけの静かな時間。
そうしたものも全部、
あなたの人生です。
だから私は以前の記事で、
「一つの会社に人生を預けなくていい」
と書きました。
人生を支える線は、
一本ではなくていいのです。
—
逃げてもいい。休んでもいい。やり直してもいい
日本では、
「逃げる」という言葉に、
少し悪い印象があります。
最後まで頑張る。
途中で投げ出さない。
苦しくても耐える。
それが立派だとされます。
もちろん、粘り強さが人生を救うこともあります。
しかし、
逃げなかったことで壊れてしまう人生もあります。
その会社から離れる。
人間関係から距離を取る。
休職する。
転職する。
助けを求める。
一度立ち止まる。
今までの人生設計を変える。
それは必ずしも敗北ではありません。
時には、
生き残るために進路を変える勇気
です。
逃げ道があるから、人は安心して挑戦できます。
戻れる場所があるから、遠くまで行けます。
頼れる人がいるから、一人でも歩けるのです。
—
「元に戻らなくていい」と気づいたとき、人生が動き始めた
障害を負ってから長い間、
私は以前の自分を基準にしていました。
以前ならできた。
以前ならもっと働けた。
以前なら自由に動けた。
以前ならこんな助けはいらなかった。
でも、
過去の自分と今の自分を比べ続ければ、
現在の自分は永遠に「足りない人」になってしまいます。
あるとき私は、
元に戻ることを人生の目的にするのをやめました。
元に戻れなくてもいい。
今の身体で、
今の環境で、
今持っているものから、
新しい人生をつくればいい。
そう考えたとき、
不思議なくらい人生が前へ動き始めました。
人生を取り戻すとは、
過去と同じ自分に戻ることではなかった。
今の自分で、もう一度未来を選ぶことだった。
のです。
—
「自分を大切にする」とは、自分の声を無視しないこと
自分を大切にするために、
特別なことばかりが必要なわけではありません。
疲れたら休む。
嫌なものを嫌だと認める。
苦しいときに苦しいと言う。
眠る。
食べる。
好きな人と過ごす。
誰かを頼る。
できないことを認める。
自分に合わない場所から離れる。
小さな楽しみを持つ。
自分の時間を取り戻す。
そして、
「本当はどうしたい?」
と自分自身に聞いてみる。
それだけでもいいと思います。
私たちは他人の声を聞くことには慣れています。
上司。
家族。
社会。
世間。
SNS。
常識。
評価。
けれど人生で一番長く付き合う相手は、
自分自身です。
その自分の声を、
人生で一度くらい、
誰より丁寧に聞いてあげてもいいのではないでしょうか。
—
すべての日本人に伝えたい。「頑張る」だけが人生ではない
私は頑張ることを否定しません。
努力したから得られたものもあります。
踏ん張ったから越えられた日もあります。
でも、
人生には、
頑張るべき日と、
休むべき日があります。
戦う日と、
逃げる日があります。
誰かを支える日と、
自分が支えてもらう日があります。
前へ進む日と、
その場で立ち止まる日があります。
全部あっていい。
それが人間なのだと思います。
毎日100点で生きる必要などありません。
昨日より前へ進めない日もあります。
何もできない日もあります。
それでも朝を迎えて、
一日を終えたなら、
それは人生を生きた一日です。
—
あなたの身体も、心も、人生も、替えはない
会社には、
あなたの代わりになる人がいるかもしれません。
仕事には、
後任がいるかもしれません。
組織は、
あなたがいなくても動くかもしれません。
それは寂しく聞こえるかもしれません。
でも私は、むしろ救いだと思います。
会社の仕事には代わりがいる。
だからこそ、
あなた自身まで仕事に差し出す必要はありません。
あなたの代わりに、
あなたの人生を生きてくれる人はいません。
あなたの代わりに、
あなたの身体を守ってくれる人もいません。
あなたの代わりに、
大切な人との時間を取り戻してくれる人もいません。
だから、
仕事以上に、
世間の評価以上に、
誰かから期待される役割以上に、
まず守ってほしいものがあります。
あなた自身です。
—
私は障害者になって、人生を失っただけではなかった
障害を負ったことで、
失ったものは確かにあります。
今でも、戻ってきてほしいと思うものがあります。
障害を美談にするつもりもありません。
「障害があって良かった」
と簡単に言うつもりもありません。
けれど、
障害を経験したからこそ見えたものもあります。
人は一人では生きていないこと。
助けてもらうことは恥ではないこと。
身体は永遠ではないこと。
仕事だけが人生ではないこと。
誰かと食事をする普通の時間が尊いこと。
今日を無事に終えられることが、
決して当たり前ではないこと。
そして何より、
自分自身を大切にしなければ、人生そのものを大切にはできない
ということです。
私はこのことを、
もっと早く知りたかった。
病気になる前に知りたかった。
だから今、
文章にしています。
—
これは、障害者から健常者へのメッセージではない
私はこの文章を、
「障害者である私から、健常者の皆さんへ」
という気持ちだけで書いているわけではありません。
人間は、
今日健康でも、
明日どうなるか分かりません。
病気になることがあります。
事故に遭うことがあります。
家族の介護が始まることがあります。
仕事を失うことがあります。
心が動かなくなることがあります。
大切な人と別れることもあります。
だから、
「障害者」と「健常者」を完全に別々の世界として考える必要はないと思っています。
これは、
今を生きる一人の人間から、同じ時代を生きる人へのメッセージです。
—
強い人にならなくていい。自分を守れる人になってほしい
社会は「強さ」を求めます。
成果を出せる人。
逆境に負けない人。
競争に勝てる人。
何があっても働ける人。
でも、
私は別の強さがあっていいと思っています。
無理なときに「無理です」と言える。
苦しいときに助けを求められる。
自分を傷つける場所から離れられる。
大切なものを守るために、何かを手放せる。
「普通」から外れることを恐れない。
自分の人生を、
他人の評価ではなく、
自分自身で選び直せる。
私は、
それも立派な強さだと思います。
—
「自分を大切にする生き方」は、自分を壊さない人生設計
私にとって、
「自分を大切にする生き方」とは、
毎日自分を褒めることでも、
好きなことだけをすることでもありません。
それは、
自分を壊さないように人生を設計することです。
働き方を考える。
付き合う人を考える。
休む時間を確保する。
収入源を考える。
居場所を増やす。
助けを求められる人を持つ。
身体の声を聞く。
心の違和感を無視しない。
大切な人との時間を守る。
そして、
自分にとって何が幸せなのかを、
世間ではなく自分で決める。
それが私の考える、
「自分を大切にする生き方」です。
—
人生は、誰かに評価してもらうためにあるのではない
いい会社に入る。
昇進する。
収入を増やす。
家を持つ。
結婚する。
社会的に成功する。
それらを望むことは何も悪くありません。
ただ、
それを手に入れなければ幸せになれないわけでもありません。
誰かから見れば、
小さな人生でもいい。
誰かから見れば、
遠回りでもいい。
誰かから見れば、
失敗に見えてもいい。
あなた自身が、
「この人生でよかった」
と思えるなら、
それは十分に価値のある人生です。
—
最後に――今、自分を後回しにしているあなたへ
ここまで読んでくださったあなたへ。
私はあなたの人生を知りません。
どんな仕事をしているのか。
どんな家庭で暮らしているのか。
どんな苦しみを抱えているのか。
何を失ってきたのか。
私には分かりません。
だから、
簡単に「大丈夫」とは言いません。
人生には、
大丈夫ではないこともあります。
簡単には解決しない問題もあります。
それでも一つだけ、
伝えさせてください。
あなたまで、あなた自身を粗末にしないでください。
社会から評価されない日があっても。
仕事で失敗しても。
誰かの期待に応えられなくても。
身体が思うように動かなくても。
立ち止まっていても。
誰かに助けてもらっていても。
あなたの人生まで価値を失うわけではありません。
私は人生の途中で、
身体の自由の一部を失いました。
けれどその先で、
初めて気づいたことがあります。
人生で最後まで守るべきものは、
肩書きでも、
会社でも、
世間体でもありませんでした。
自分自身でした。
だから、
もし今、
頑張りすぎているなら、
少し休んでください。
泣きたいなら、
泣いてください。
助けが必要なら、
頼ってください。
違う道へ行きたいなら、
考えてみてください。
人生は一本のレールではありません。
一度立ち止まってもいい。
道を変えてもいい。
元に戻れなくてもいい。
誰かに支えてもらってもいい。
そして何度でも、
今の自分から人生をつくり直していい。
—
自分を大切にすることは、人生を諦めることではない
むしろ逆です。
自分を大切にすることは、自分の人生を最後まで諦めないことです。
私はそう思います。
もっと成功してからではなく。
もっと立派になってからでもなく。
すべての問題が解決してからでもなく。
今日から。
今の自分から。
どうか、
自分を大切にして生きてください。
あなたの人生は、
誰かと比べるためにあるのではありません。
誰かの期待だけに応えるためにあるのでもありません。
あなたが、あなたとして生きるためにあります。
人生は一度きりです。
だからこそ、
誰より先に、
あなた自身があなたの味方でいてください。
それが私が、
中途重度障害者になり、
人生を一度失ったように感じ、
そこからもう一度生き直してきた今、
日本で生きるすべての人へ、
心の底から伝えたいことです。
—
この言葉を、必要としている誰かへ
もしこの記事を読んで、
一つでも心に残った言葉があったなら、
どうか必要としている人へ届けてください。
今もどこかで、
「もっと頑張らなければ」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「自分さえ我慢すればいい」
と思いながら、
自分自身を後回しにしている人がいるかもしれません。
あなたの一回のシェアが、
その人に、
「自分を大切にしてもいい」
と気づいてもらう小さなきっかけになるかもしれません。
そして、もしあなたにも、
人生の途中で気づいたことがあるなら、
コメントやSNSで聞かせてください。
「自分を大切にする」とは、あなたにとって何でしょうか。
答えは一つでなくていいと思います。
それぞれの人生から生まれた言葉が集まれば、
「我慢できる人が強い社会」から、
「自分も他者も大切にできる社会」へ
少しずつ変わっていけるかもしれません。
私はこれからも、
中途重度障害者として生きてきた経験を、
誰かの人生を縛るためではなく、
誰かの人生に新しい選択肢を増やすために書いていきます。
このブログをまた読みたいと思っていただけたなら、
SNSやNew Lifestyle DLMをフォローしていただけるとうれしいです。
一人の人生から生まれた言葉は、小さいかもしれません。
でも、
誰かの心に届いた言葉は、
その人の人生を通して、
また次の誰かへ渡っていきます。
自分を大切にする人が増えれば、他人を大切にできる人も、きっと増えていく。
私は、そんな社会を信じています。
—
あわせて読んでほしい記事
「元に戻る」ことを諦めたとき、人生はもう一度動き出す
https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/02/moto-ni-modoranai-jinsei-ikirinaosu/
失った過去を追い続けるのではなく、今の自分から人生を再設計するという考え方を書いています。
障害者は「一つの会社」に人生を預けなくていい――複線型人生という生き方
https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/08/shogaisha-fukusen-jinsei-jiritsu-ikirinuku-life-design/
仕事や一つの居場所だけに人生を預けず、自分を守りながら生き抜くための考え方です。
障害者は「一つの会社」に人生を預けなくていい――中途重度障害者が考える、日本社会を生き抜く「複線型人生」
障害者が日本社会を生き抜くために必要なのは、誰にも頼らない強さではありません。中途重度障害者…


















コメントを残す