「障害者には、どんな仕事を任せればいいのか分からない」
障害者雇用について考える企業では、こうした悩みが出ることがあります。
私は、この悩みそのものは決して間違っているとは思いません。
なぜなら私は、障害者として働く側だけではなく、かつて健常者として課長を経験し、人に仕事を任せる側にもいたからです。
管理職には、部署として成果を出す責任があります。
誰に何を任せるのか。
期限までに仕事を終えられるか。
メンバーの能力をどう組み合わせるか。
問題が起きたとき、誰がカバーするのか。
部下一人ひとりの事情だけを見ていればよいわけではありません。
組織として成果を出さなければならない。
その現実を、私は管理職側の立場として経験しています。
だから、「障害者に合わせて仕事を変えましょう」と一方的に会社へ要求するだけでは、現実的な障害者雇用にはならないと思っています。
しかし、その後、私は中途重度障害者になりました。
そして今度は、
仕事を任せる側ではなく、仕事を任される側から組織を見ることになった。
この二つの立場を経験して、私の中で仕事に対する考え方は大きく変わりました。
それは、
「人に仕事を合わせる」ということは、成果を諦めることではない。
ということです。
むしろ、これから人材不足が深刻になる日本企業にとって、
人に合わせて仕事を再設計しながら成果を最大化する能力そのものが、経営力になる。
私はそう考えるようになりました。
■ 課長だった頃の私は、「人」より先に「仕事」を見ていた
管理職だった頃を振り返ると、当然ですが、まず仕事がありました。
この業務を終わらせなければならない。
この期限を守らなければならない。
この品質を達成しなければならない。
そのうえで、
「では、誰にやってもらうか」
を考える。
これは管理職として、ごく普通の思考だと思います。
私自身も、決して部下を大切にしていなかったわけではありません。
その人の得意不得意も考える。
経験も見る。
仕事量も考える。
しかし、それでも基本的な発想は、
「存在している仕事に、人を当てはめる」
というものでした。
当時の私は、それを疑う理由もありませんでした。
会社というのはそういうもの。
仕事とはそうするもの。
役職に就けば、それに必要な働き方をするもの。
ある程度は会社に自分を合わせるもの。
そう考えていました。
ところが、自分自身が障害者になったことで、その「当たり前」が大きく揺らぎました。
■ 障害者になって初めて分かった。「能力」と「働く条件」は別物だった
中途障害者になると、それまで普通にできていたことの一部ができなくなります。
移動に時間がかかる。
身体の使い方が変わる。
疲れ方が変わる。
以前と同じ速度で動けない。
同じ姿勢を続けることが難しい。
仕事そのものではなく、
仕事へ到達するまでの条件が変わる。
しかし、そこで私は気づきました。
身体の機能が変わったからといって、それまで身につけてきた知識や経験、考える力、判断力まで、すべて消えるわけではありません。
これは非常に重要な違いです。
「以前と同じ働き方ができない」ことと、
「価値を生み出せない」ことは同じではない。
障害者になった私は、このことを頭ではなく、実感として理解するようになりました。
そして同時に、
管理職だった頃の自分は、本当に「その人の能力」を見ていただろうか。
それとも、
「会社が想定している働き方ができるか」を能力の一部として見てしまっていたのではないか。
そんな問いを持つようになりました。
■ 「仕事の切り出し」だけでは、なぜ足りないのか
障害者雇用では、よく「仕事の切り出し」という言葉が使われます。
もちろん、必要な考え方です。
仕事を細分化し、本人が担当可能な業務を整理する。
これによって雇用機会が生まれることもあります。
しかし、私はここで止まってしまうことに危うさも感じています。
例えば、
コピー。
データ入力。
書類整理。
定型業務。
補助作業。
そうした仕事だけを集め、
「障害者にはこの仕事」
と固定してしまったらどうでしょう。
入社したときは、それでよいかもしれません。
しかし5年後も10年後も同じだったら。
本人の能力が伸びても仕事は変わらない。
責任も増えない。
評価も変わらない。
給与も上がらない。
キャリアも広がらない。
これは本当に「雇用」と言えるのでしょうか。
私は、障害者雇用に必要なのは、
仕事の切り出しより、仕事の再設計
だと考えています。
「障害者に何の仕事ならできるか」
だけではなく、
「この人の能力を、どう組み合わせれば会社の価値に変えられるか」
まで考える。
ここから障害者雇用は、人事制度ではなく経営戦略になります。
■ 管理職経験があるからこそ、「何でも配慮すればいい」とは思わない
ここは、当事者として非常に大切にしている部分です。
障害者になったからといって、
私は「会社が本人にすべて合わせるべきだ」とは考えていません。
組織には目的があります。
企業なら利益も必要です。
顧客との約束もある。
期限もある。
品質も必要です。
チームで働く以上、本人にも果たすべき責任があります。
当事者側にも、
自分に何ができるのか。
何が難しいのか。
どんな配慮があればできるのか。
どうすれば組織へ貢献できるのか。
それを考え、可能な限り伝えていく責任があると思っています。
だからこそ、私が経営者や管理職に提案したいのは、
成果を下げることではありません。
むしろ、
成果と方法を切り分けることです。
■ 原則1 「何を達成する仕事なのか」を先に決める
管理職が仕事を設計するとき、最も大切なのは、
「この仕事の目的は何か」
を明確にすることです。
例えば、
朝9時に会社にいること。
会議室で90分座ること。
全員同じ手順で作業すること。
これらは、本当に成果なのでしょうか。
顧客へ期限までに回答する。
必要な意思決定をする。
正確な資料を完成させる。
品質を守る。
本来の成果はこちらかもしれません。
もし成果を守れるのであれば、
方法には選択肢があってもいい。
私は障害者になって、
「成果」と「昔からのやり方」が想像以上に混同されている
ことに気づきました。
経営者や管理職がまず疑うべきなのは、社員ではなく、
「その方法は本当に必要なのか」
なのかもしれません。
■ 原則2 「できる・できない」の二択で人を見ない
管理職経験から考えても、人を二択で評価するのは危険です。
実際の能力は、
できる。
できない。
だけではありません。
「この条件ならできる」
という領域があります。
例えば、
長時間は難しいが、短時間なら高い集中力を発揮できる。
口頭だけでは難しいが、文章で指示されれば正確にできる。
移動を伴う仕事は難しいが、オンラインならできる。
ある作業は難しいが、ITを使えばできる。
時間は少しかかるが、品質では他者を上回る。
この違いを見ることが、
マネジメントの解像度
だと思います。
優秀な管理職とは、
「この人には何ができないか」を素早く判断する人ではなく、
「どんな条件なら、この人は力を発揮するのか」を見抜ける人
なのではないでしょうか。
■ 原則3 弱みを埋めるより、強みを経営資源に変える
障害者雇用では、どうしても「できないこと」に注目が集まります。
しかし管理職として考えれば、これは本来不思議なことです。
健常者の部下をマネジメントするとき、
全員の弱点をなくして同じ人材にしようとはしないはずです。
数字に強い人。
交渉に強い人。
文章に強い人。
現場対応に強い人。
分析に強い人。
慎重な人。
スピードのある人。
それぞれの特徴を組み合わせる。
これがマネジメントです。
障害者だけ、
「できないところをどう普通へ近づけるか」
という発想になる必要はありません。
むしろ、
何を任せれば、その人の強みが最も会社の価値になるのか。
を見る。
障害者雇用でも、マネジメントの本質は同じだと思います。
■ 原則4 障害者にも「成長する前提」で仕事を任せる
私が非常に重要だと思っているのが、ここです。
障害者には、
「無理をさせない」
「負担をかけない」
という配慮が必要な場面があります。
しかし、それがいつの間にか、
期待しないこと
に変わってはいけないと思っています。
配慮される。
でも重要な仕事は任されない。
失敗する機会もない。
責任も増えない。
成果を出しても仕事は変わらない。
これでは成長することもできません。
私は、
障害者にも「配慮される権利」と同じくらい、「期待される権利」がある
と思っています。
仕事を任される。
挑戦する。
失敗する。
学ぶ。
成果を出す。
評価される。
さらに仕事を任される。
この循環に入って初めて、一人の社員としてのキャリアが始まります。
■ 原則5 合理的配慮は「固定する」のではなく「更新する」
障害の状態も変わります。
本人のスキルも変わります。
技術も変わります。
仕事内容も変わります。
だから合理的配慮も、
入社時に決めたものを何年も固定するのではなく、
仕事と本人の変化に合わせて見直す
必要があります。
管理職として重要なのは、
「この人は障害者だからこうする」
ではなく、
「現在この仕事を担当するために、何が必要なのか」
と考えることです。
これは特別扱いではありません。
通常のマネジメントと本質的には同じです。
■ 原則6 「働き方」ではなく「生み出した価値」を見る
ここは経営層に特に考えてほしい部分です。
人に合わせて仕事を再設計しても、
評価制度が昔のままであれば意味がありません。
長く会社にいる。
残業できる。
いつでも出張できる。
同じキャリアを歩める。
それらが暗黙の評価基準になっていれば、働き方に制約のある人は不利になります。
しかし企業が必要としているのは、
同じ働き方でしょうか。
それとも、
価値でしょうか。
成果。
品質。
改善。
専門性。
顧客への貢献。
チームへの貢献。
企業価値へ何をもたらしたのか。
人的資本経営を本気で進めるなら、
ここを見なければならないと思います。
■ 原則7 一人のための改善を「組織能力」に変える
障害者になってから強く感じるのですが、
障害者のために行った改善が、結果として組織全体を良くすることがあります。
例えば、
口頭指示を文章にする。
業務手順を整理する。
相談先を明確にする。
情報の保存場所を統一する。
仕事の目的を言語化する。
評価基準を見えるようにする。
オンライン参加を認める。
属人化した業務を整理する。
これらは障害者だけに役立つものではありません。
新人にも役立つ。
育児中の社員にも役立つ。
介護中の社員にも役立つ。
外国籍社員にも役立つ。
病気から復職した社員にも役立つ。
そして管理職自身もマネジメントしやすくなる。
つまり、
個別対応を、組織改善へ昇華できるか。
ここが経営者の見るべきポイントです。
■ 課長だった私には見えず、障害者になって見えたもの
もし私が障害者になっていなければ、
「人に仕事を合わせる」
という発想を、ここまで深く考えることはなかったかもしれません。
課長だった頃は、
成果を出すために、人をどう配置するか。
を考えていました。
障害者となった今は、
人の能力を活かすために、仕事をどう変えるか。
という視点も持つようになりました。
どちらか一方だけが正しいわけではありません。
経営には成果が必要です。
同時に、人にはそれぞれ条件があります。
だから必要なのは、
人か成果か、という二択ではない。
人の違いを理解しながら、
成果が最大になる方法を設計すること。
これこそがマネジメントなのだと、今は考えています。
■ 障害者雇用は、管理職の力量を映す
障害者雇用が難しいと言われる理由の一つは、
それまで曖昧でも成立していたマネジメントが成立しなくなるからではないでしょうか。
指示が曖昧。
役割が曖昧。
評価が曖昧。
仕事の目的が曖昧。
本人と話し合う習慣がない。
仕事が属人化している。
健常者同士なら「察する」ことで何とか回っていたものが、違う条件を持つ人が入ることで表面化する。
だから私は、
障害者雇用は、その会社のマネジメント品質を映す鏡
だと思っています。
障害者が問題を持ち込んだのではありません。
障害者が入ったことで、
もともとあった組織課題が見えるようになっただけかもしれない。
経営者にとって、それは悪いことではありません。
むしろ、
組織を強くするための非常に価値のある情報
です。
■ これから減っていくのは「働ける人」ではなく、「標準どおり働ける人」かもしれない
これから日本企業が直面するのは、障害者雇用だけではありません。
育児。
介護。
病気。
高齢化。
外国籍人材。
地方人材。
価値観の変化。
「毎日同じ時間に、同じ場所へ来て、同じ方法で働ける人」
だけを前提とする経営は、少しずつ難しくなっていきます。
そのとき強い会社は、
条件の良い人材だけを奪い合う会社なのでしょうか。
私は違うと思います。
条件が変わっても、その人の能力を使い続けられる会社。
その方が強い。
優秀な社員が明日病気になっても。
親の介護が始まっても。
身体機能が変化しても。
その瞬間に「戦力外」になるのではなく、
仕事を再設計しながら価値を生み出し続けられる。
それは障害者雇用の能力ではありません。
企業の組織適応力です。
■ 人手不足時代、管理職の役割も変わる
これまでの管理職には、
仕事を管理する能力。
人を管理する能力。
進捗を管理する能力。
が求められてきました。
これからは、それにもう一つ必要になると思います。
仕事そのものを再設計する能力です。
「今までこうだったから」
ではなく、
この仕事の目的は何か。
この方法である必要はあるのか。
誰の強みを組み合わせればいいのか。
ITで代替できないか。
役割を分けられないか。
評価基準を変えられないか。
そこまで考える管理職。
私は、こうした管理職こそ、これから非常に価値が高くなると思います。
■ 経営者に問いたい。「人に仕事を合わせる」は本当にコストなのか
人に合わせて仕事を変える。
ツールを導入する。
業務を整理する。
管理職が本人と対話する。
最初はコストに見えるかもしれません。
しかし、その結果、
これまで活かせなかった人材が戦力になる。
離職が減る。
業務が標準化される。
属人化が減る。
管理職の仕事が整理される。
他の社員も働きやすくなる。
としたら。
それは本当に「障害者雇用のためのコスト」でしょうか。
私は、
眠っていた人的資本を企業価値へ変える投資
だと思います。
■ 最後に――私は「両側」を経験したからこそ、こう考える
私は、健常者として管理職を経験しました。
そしてその後、中途重度障害者となり、障害者雇用の当事者として働いています。
仕事を任せる側の難しさも分かります。
組織として成果を求められる現実も分かります。
同時に、
働く条件が変わっただけで、それまで培ってきた能力まで低く見られてしまう側の感覚も分かります。
だから私は、
会社だけを責めたいわけでも、
当事者の権利だけを主張したいわけでもありません。
目指したいのは、
会社と人のどちらか一方だけが無理をする働き方ではない。
会社は成果を求める。
本人もできる限り力を発揮する。
その間にある障壁を、
仕事の設計とマネジメントによって取り除いていく。
それが、本来の合理的配慮であり、
これからの人的資本経営なのではないでしょうか。
「この人には何ができないのか」
だけを見る組織から、
「この人には何ができるのか」
さらに、
「何を変えれば、もっと力を発揮できるのか」
を考える組織へ。
障害者雇用で問われているのは、
障害者への優しさだけではありません。
人間の違いを、経営成果へ変えられる会社なのか。
という経営能力です。
そして障害者雇用は、その力を企業が身につけるための、非常に重要な入口なのだと私は考えています。
■ あわせて読みたい
この記事の前段では、障害者雇用を単なる制度対応ではなく、
「組織適応力を測る経営テスト」
という視点から考えています。
▶ 障害者雇用から考える「人を活かせる会社」と組織適応力
https://newlifestylesdlm.jp/?p=23867
そして、仕事を再設計して能力を発揮できるようになった後には、もう一つ重要な課題があります。
成果をどう評価し、昇格・給与・キャリアへつなげるのか。
▶ 障害者雇用を「雇った後」まで考える――評価・キャリア・報酬という人的資本経営の課題
https://newlifestylesdlm.jp/?p=238
障害者を採用する会社から、
障害者を活かせる会社へ。
そして、
違う条件を持つすべての人を活かせる会社へ。
その変化を生み出せるかどうかが、これからの企業競争力を左右するのではないでしょうか。



















コメントを残す