はじめに|「走ること」にまで税金?地方の素朴な怒りから
ガソリン代が妙に高い。
電気代も食料も上がっている。
給料は「ちょっとは上がった」とニュースでは言うけれど、
家計簿をつけている感覚としては、むしろ苦しくなっている——。
そんな中で、ニュースやSNSに突然現れたのが、
> 「走行距離課税」
という言葉でした。
ガソリン税
自動車税
重量税
自賠責+任意保険
そして消費税
すでにこれだけクルマにお金がかかっている中で、
> 「走った距離(km)に応じて、さらに税金をかける案がある」
と聞かされれば、
地方で暮らすドライバーほど、「冗談じゃない」と感じたはずです。
なぜなら、地方の自動車社会にとって、
通勤
買い物
病院の通院
親や子どもの送迎
そのほとんどが、「クルマで走る」という行為に紐づいているからです。
そんな中、片山財務大臣が参院予算委員会で
> 「走行距離課税について、政府として具体的に検討しておりません」
と明言した、という報道が出ました。
一部のメディアは「ドライバーに朗報」と伝え、
SNSでも「とりあえず安心した」という声が広がりました。
しかし、地方の自動車社会で暮らす立場からすると、
この「安心」は、どこまで信じていいのでしょうか。
単に「今やらないだけ」で、数年後に話が再燃するのではないか
EVが増えてガソリン税が減ったとき、「やっぱり走行距離課税が必要だ」と言い出すのではないか
都市部の感覚だけで、「道路利用者の公平な負担」という美名のもとに、また車に負担が集中するのではないか
このブログでは、
「走行距離課税は否定された。でも、それで終わりじゃない」
という前提に立って、
走行距離課税の中身と違和感
日本の税制史に見られる「言葉」と「現実」のズレ
高市政権の財政方針と、自動車税制のこれから
地方のドライバーとして、今からできる現実的な備え
を、中途重度障害者であり地方在住のブロガーである私が、
生活者目線と税制の構造の両方から整理していきます。
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1|走行距離課税とは何か?——地方の自動車社会から見た“理屈と違和感”
1-1 走行距離課税の仕組みをかんたんに言うと
「走行距離課税」と聞くと、難しい制度のように感じますが、
考え方自体はとてもシンプルです。
> クルマが走った距離(km)に応じて税金をかける仕組み
です。
具体的な案として、よく挙げられるのは次のようなものです。
車検方式
車検のときにオドメーター(走行距離計)を確認し、
「前回車検から○km走ったので、その分税金を払ってください」という方式。
通信方式
車に専用の機器をつけ、走行距離データをサーバーに送信し、
その距離数に合わせて毎月課税する方式。
GNSS(衛星測位)方式
将来的には、テレマティクスやGNSSを使って、
より正確に走行距離や走行ルートを把握し、課税額を決める方式。
表向きの「売り文句」は、だいたいこんな感じです。
あまり走らない人は税負担が軽くなる
よく走る人が、公平に道路維持費を負担できる
EVが増えてガソリン税収が減っても、道路財源を安定的に確保できる
数字や理屈だけを眺めれば、「たしかに合理的」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、地方の自動車社会で暮らす側から見ると、この“合理性”はかなり怪しい。
なぜなら、「走ること」そのものが生活の最低条件になっているからです。
職場まで片道30km、往復60km。週5日で300km
総合病院まで片道40km。通院のたびに往復80km
スーパーやドラッグストアも車で往復20km
「距離に応じて税金」が増える、ということは、
**「生きるための移動に罰金をかける」**のに近い感覚をもたらします。
1-2 「江戸時代の年貢みたい」という感覚
バイク・車の雑誌やSNS上では、
走行距離課税を
> 「まるで江戸時代の年貢」
と表現する声も出ました。
そのイメージは、意外と本質を突いています。
畑を耕して米を作れば作るほど、年貢として収める量が増える
生きるため・家族を養うために働けば働くほど、取り分が減っていく
この構図は、
職場が遠いからこそ長距離通勤をしている人
家族の介護や子育てのために、頻繁に車を出さざるを得ない人
にとって、
> 「頑張って走った分だけ余計に取られる」
という感覚につながります。
また、走行距離課税の中には
GNSS・テレマティクスによって走行データを取得する案
も含まれており、
どこからどこへ移動しているのか
どの時間帯に出歩いているのか
どのルートを使っているのか
といった移動履歴が半公的な形で蓄積される世界を想像せざるを得ません。
「道路財源の公平な負担」という大義名分の裏に、
監視社会の入り口のような匂いも感じてしまう——。
それが、走行距離課税に対する、地方ドライバーの素朴で、しかし切実な違和感です。
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2|片山財務大臣の「検討していない」はどこまで信用できる?
次に、今回の焦点である
片山財務大臣の否定発言を、少し丁寧に読み解いてみます。
2-1 短期的にはかなり信用していい理由
結論から言うと、
> 今から1〜3年ほどの短期で見れば、「走行距離課税は導入されない」という意味で、かなり信用してよい
と、私は考えています。
理由は大きく3つです。
① 景気・物価・家計の状況が悪すぎる
物価は高止まり
光熱費も食費も上昇
所得が大きく伸びた実感は薄い
この状況で、さらにクルマ関連の新税を導入すれば、
政権支持率が急落するのは目に見えています。
② 走行距離課税は、敵に回す相手が多すぎる
地方の自動車社会
トラック・物流業界
観光業界
自動車産業全体
これらを一斉に敵に回すような税制を、
政権発足まもないタイミングで打ち出すメリットはほぼありません。
③ 片山財務大臣は価値判断レベルで否定している
ただ形式的に「検討していない」と言っただけではなく、
> 「車は走るためにある。走行距離に課税すると、あんまりだという声は伺っている」
と、価値観としても否定するコメントをしています。
これは、単なる官僚答弁ではなく、
政治的メッセージとして「走行距離課税は好ましくない」と表明したものだと受け取れます。
これらを踏まえると、
> 「少なくとも高市政権の初期フェーズで、走行距離課税が導入される可能性はかなり低い」
と見るのが現実的でしょう。
2-2 しかし「将来にわたる安全宣言」ではない
一方で、片山大臣の言葉をよく見ると、
> 「走行距離課税について、政府として具体的に検討しておりません」
と、あくまで「現在形」での否定にとどまっています。
ここで注意したいのは、
「今この瞬間、正式な検討プロジェクトは走っていない」
「現時点で、法案や制度設計を詰めているわけではない」
という事実を述べているに過ぎない、という点です。
裏を返すと、
将来、状況が変われば「検討を始める」余地がある
過去の答弁に縛られることなく、「あの時点では検討していなかった」と言える
という政治的な逃げ道も、同時に残されています。
日本の政治の世界では、
「現時点では考えていない」
「当面その予定はない」
「具体的な検討は行っていない」
といった言い回しが、将来の方針転換を妨げないための常套句として使われてきました。
つまり、地方の自動車社会の生活者としては、
短期的には信じてよい安心材料として受け取りつつ
中長期的には“再浮上しうる選択肢の一つ”として記憶しておく
という二段構えのスタンスが、現実的だと言えます。
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3|日本の税制史に見る「言葉」と「現実」のズレ
ここからは少し視点を引いて、
日本の税制史全体を振り返りながら、
「言葉」と「現実」のズレについて考えてみます。
3-1 「暫定」「一時的」が恒久化してきたガソリン税
もっとも分かりやすい例は、やはりガソリン税の暫定税率です。
元々は、「一時的」「暫定的」な上乗せとして導入された
しかし何度も延長が繰り返され、
ほぼ恒久税のように定着してきた
という経緯があります。
同様に、
特別税
臨時税
として導入されたものが、形を変えながら残り続けているケースも珍しくありません。
「とりあえず」「今だけ」「暫定的に」という言葉で始まった負担が、
結果的に何十年も続く——。
これは、日本の税制に頻出するパターンです。
3-2 「検討していない」は免罪符であって保証書ではない
もう一つ重要なのは、
> 「検討していない」は、政治家側の免罪符ではあっても、生活者側への保証書ではない
という事実です。
「その時点では検討していなかった」と言える
「世論の動向や状況の変化を踏まえて、新たに検討することになった」と説明できる
という意味で、政治家にとっては便利なフレーズです。
しかし、私たちにとって大事なのは、
> 「その制度が導入されたとき、自分の暮らしにどんな影響があるのか?」
であって、
> 「数年前の国会答弁と矛盾するかどうか?」
ではありません。
税制の歴史を冷静に眺めると、
消費税の導入前にも、似たような税構想が浮かんでは消え
環境税や炭素税も、「導入は当面考えていない」とされながら、議論のテーブルに残り続けてきた
という経緯があります。
この歴史を踏まえると、
> 「走行距離課税は、今は否定された。けれど、将来のどこかで再び俎上に載る可能性はある」
というくらいに、フラットに理解しておくのが妥当でしょう。
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4|高市政権の「責任ある積極財政」と自動車税制のこれから
次に、高市政権の財政スタンスと、
その中での自動車税制の位置づけを眺めてみます。
4-1 単純な増税路線ではないが、負担ゼロでもない
高市政権は、
> 「責任ある積極財政」
を掲げています。
これは、
「財政再建のために増税・歳出削減にひたすら突き進む」のではなく
「必要な支出は国債も使って行うが、長期的な財政の持続可能性も損なわない」
という、バランスを取ろうとする路線です。
この方針だけを見れば、
「じゃあ増税はしないのか」と言えば、そう単純でもありません。
高齢化による社会保障費の増大
インフラ老朽化・防災対策への投資
安全保障環境の変化への対応
など、どうしても避けられない支出増がある以上、
何らかの形での負担はじわじわ増えていく可能性が高いのです。
4-2 見えにくい負担増——社会保険料・控除縮小・地方財政
問題は、その負担の増え方が、
分かりやすい「○○税の税率アップ」ではなく
じわじわと見えにくい形で進む可能性があることです。
例えば、
社会保険料(健康保険・厚生年金・介護保険など)の引き上げ
各種所得控除・税額控除の縮小
地方交付税や補助金の配分ルール見直しによる、自治体レベルでの増税・料金値上げ
などです。
走行距離課税が見送りになったとしても、
> 「トータルの負担が軽くなるとは限らない」
というのが現実です。
だからこそ、地方の自動車社会で暮らす私たちとしては、
クルマの税金だけに注目するのではなく
社会保険料や他の税とも合わせた**「可処分所得ベース」での負担感**
で、生活を捉えていく必要があります。
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5|地方の自動車社会が抱えている「構造リスク」
ここまで税制と政治の話をしてきましたが、
根本的な問題は、実は税制だけではありません。
5-1 クルマ依存は個人のわがままではなくインフラ設計の結果
地方で暮らしていると、
クルマ依存について、こんな言われ方をすることがあります。
「もっと公共交通を使えばいいのに」
「地方は車社会だからお金がかかるのは仕方ないよね」
「リモートワークに切り替えればいい」
しかし現実は、
鉄道は本数が少なく、駅まで行くのにも車が必要
バス路線は減便・廃止が進み、「1日数本」レベルのところも多い
ショッピングセンターや病院は郊外に集約され、徒歩圏内に店や診療所がない
という状況です。
つまり、地方の自動車社会の「クルマ依存」は、
個人のわがままではなく、インフラ設計の帰結なのです。
この前提を無視したまま、
> 「道路利用に応じて公平に負担を」
という論理を振りかざすと、
地方ほど一方的に負担を押し付けられる構図になってしまいます。
5-2 「自己責任論」にすり替えられないために
都市部からは、こんな声も出てきます。
「車に頼らない生活を選べばいい」
「地方移住は自己責任なんだから」
「環境負荷を考えれば、もっと車に負担を求めるべき」
たしかに、個人レベルで工夫できる部分もあります。
しかし、そこには常に
> 「個人の選択」と「社会インフラの設計」
という二つのレイヤーがあります。
インフラが整っている都市部と
インフラが痩せている地方とでは、
個人の選択の幅がまったく違うのです。
走行距離課税のような議論が出てきたとき、
この構造の問題がすっぽり抜け落ちたまま、
> 「たくさん走る人が多く払うのは公平」という自己責任論
だけで話が進んでしまうと、
地方ほど不利になります。
だからこそ、地方からは、
> 「クルマ依存は、インフラ設計の結果でもある」
という事実を、地道に発信し続ける必要があります。
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6|走行距離課税が再浮上しなくても起こりうるシナリオ
ここまで読んで、
> 「じゃあ、走行距離課税さえなければ大丈夫なのか?」
と思われたかもしれません。
しかし残念ながら、話はそう単純ではありません。
6-1 ガソリン暫定税率の小出し減税と事実上の延命
まず考えられるのは、
ガソリン暫定税率を、一時的に部分的に下げる
しかし完全廃止はせず、結局は延長を続ける
というパターンです。
「物価高対策」「家計支援」として、一時的なガソリン減税が打ち出される
しかし税収減の穴埋めが難しいとして、恒久的な廃止までは踏み込まない
この場合、短期的には助かるものの、
> 「長期的に見れば何も変わっていない」
ということになりかねません。
6-2 カーボンプライシング強化とエネルギー価格
次に考えられるのが、
走行距離課税ではなく、炭素税や排出量取引などのカーボンプライシングを強化するシナリオ
です。
CO₂排出量に応じた負担を求めることで、
「環境に優しい税制」という顔を持たせつつ
実質的には、化石燃料に依存する交通・物流・電力のコストを引き上げる
という形になります。
この場合も、
ガソリン代や電気代を通じて、
地方の自動車社会の負担が増える可能性があります。
6-3 高所得・資産への課税強化と中間層負担
さらに、別の方向としては、
高所得者・富裕層への課税強化
金融所得・資産への課税見直し
といった議論もあります。
一見、地方の自動車社会には関係なさそうですが、
もし高所得層の負担増を避けるために、
消費税や社会保険料の形で、より広い層から取る構造が維持される
とすれば、
結局は中間層・地方の生活者を直撃することになります。
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7|地方ドライバーにできる「小さな防衛」と「小さな反撃」
ここまで、正直なところ少し重たい話が続きました。
でも、ここから書きたいのは、
> 「だからこそ、私たちにできる小さな防衛と反撃がある」
ということです。
7-1 家計の「車コスト」を見える化する
最初の一歩は、とてもシンプルです。
> 自分の家計における「車コスト」を、ちゃんと見える化すること。
ガソリン代(1ヶ月)
自動車税(年額→12で割って月額に換算)
自動車重量税+車検費用(2年または3年で割って月額換算)
任意保険料(年額→月額換算)
タイヤ交換・オイル交換などのメンテナンス費の年間平均
これらを足し合わせて、
「うちの家は、車に月いくらかけているのか」を把握します。
その上で、
本当に必要な走行(通勤・通学・通院など)
習慣で増えてしまっている走行(ついでのドライブ、惰性のショッピング)
を分けてみると、
意外と「減らせる距離」や「まとめられる用事」が見えてきます。
7-2 車に頼らない選択肢を1つだけ増やす
次に、いきなり「脱車社会」を目指すのではなく、
> 今より1つだけ、車以外の選択肢を増やす。
これくらいの目標設定が現実的です。
例えば:
近所の買い物を週2回 → 週1回にまとめる
重いものはネットスーパーや宅配に切り替える
オンライン診療が使える病院がないか調べてみる
会社と相談して、月に1日だけでもリモート勤務を試してみる
近距離の移動を、自転車や徒歩に切り替えられないか検討する
これだけでも、年間の走行距離が少しずつ減り、
将来どんな税制が導入されても、
「車に頼りきり」ではない暮らし方への足がかりになります。
7-3 税制ニュースを「設計図」として読む習慣を持つ
最後に、個人的にいちばん大事だと思っているのが、
> 税制ニュースの読み方を変えること。
「増税か減税か」
「新しい税ができるかどうか」
だけで一喜一憂するのではなく、
誰からどれだけ取り、誰にどのように配る設計になっているのか
都市と地方、若者と高齢者、現役世代と年金生活者の間で、負担がどう分かれているのか
その税制が、自分の暮らし(とくに交通・医療・福祉)にどう影響するのか
という視点でニュースを読む習慣をつけることです。
この「設計図を見る目」が育つと、
地元の政治家にメールを書くとき
SNSやブログで意見を発信するとき
選挙で誰に投票するか決めるとき
に、「なんとなくのイメージ」ではなく、
具体的な根拠を持って判断できるようになります。
それは小さいようで、とても大きな「防衛」と「反撃」です。
—
8|おわりに|「走ること」まで罰しない社会を選び続けるために
私は、中途で重い障害を負い、
歩くことも、公共交通機関を自由に使うことも難しい身体で生きています。
地方で暮らす私にとって、「車が走る」ということは、
働きに出るための足であり
病院に行くための命綱であり
家族との生活を守るためのライフラインです。
だからこそ、
「走ること」に直接税金をかける走行距離課税という発想には、
どうしても首をかしげざるを得ません。
今回、片山財務大臣が
> 「走行距離課税は具体的に検討していない」
と明言したことで、
私自身も正直なところ、ほっとしました。
しかし同時に、
EVシフトで痩せていくガソリン税収
高齢化で膨張する社会保障費
インフラ老朽化と防災のための投資
といった現実を考えれば、
> 「将来もずっと安心」とは、とても言えません。
だからこそ、地方の自動車社会で生きる私たちに必要なのは、
政治家を100%信じ込むことでも
100%疑って何もしないことでもなく
> 「今は安心しつつ、将来の変化を見据えて、自分の暮らしの設計を少しずつ変えていく」
という、中庸で現実的な態度だと思います。
車コストを見える化する
車以外の選択肢を1つだけ増やしてみる
税制ニュースを、生活に直結する「設計図」として読む習慣をつける
そんな小さな一歩の積み重ねが、
「走ること」まで罰しない社会を選び続けるための、
生活者側からの静かな抵抗になるはずです。
もしこの記事に共感してもらえたなら——
ご自身の地域の状況や感覚を、あなたの言葉で発信してみてください。
SNSやブログ、身近な対話の中で、「地方の自動車社会」にとっての税制を話題にしてみてください。
「道路財源の公平な負担」という言葉の裏側にある、生活のリアルを一緒に可視化していきましょう。
それは大げさな革命ではありません。
けれど、確実に「次の税制」を形作る、一つひとつの小さな投票行為だと、私は信じています。



















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