自分らしさとは何か?本当の自分を探すより、人生を選び直すということ

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自分らしさは、探して見つけるものではない。これまでの選択と、これからを生きる覚悟の間から、滲み出てくるものだ。

「自分らしく生きたい」

「本当の自分を見つけたい」

「ありのままの自分でいたい」

私たちは、こうした言葉を日常でもSNSでも当たり前のように耳にします。

その言葉に励まされ、救われた人もいるでしょう。私も、自分自身を大切にしながら生きることの価値を否定するつもりはありません。

しかし、私は以前から「自分らしさ」という概念に、ある種の違和感を抱いてきました。

そもそも、自分らしさとは、どこかに存在している「本当の自分」を発見することなのでしょうか。

それとも、これまで何を選び、何を諦め、何を守り、そしてこれから何を選んで生きようとするのか。その積み重ねから、結果として生まれてくるものなのでしょうか。

私は、後者ではないかと考えています。

かつて管理職として人を評価し、突然の脳出血によって中途重度障害者となり、今度は配慮を受けながら働く立場になった私には、この問いが単なる人生論には思えません。

なぜなら私は、自分を形づくっていたと思っていたものの多くを、ある日突然失ったからです。

それでも、私は私でした。

では、失われなかった「私」とは、いったい何だったのでしょうか。

この記事では、自分らしさという言葉を一度疑うところから、人間の自由、人生の選択、そして自分を大切にする生き方について考えてみたいと思います。

—

1.「自分らしさ」という言葉が、ときに人を不自由にする

私は、「自分らしく生きる」という言葉そのものが嫌いなわけではありません。

違和感があるのは、その言葉によって、自分自身を一つの形に固定してしまうことです。

例えば、自分は優しい人間だと思っている人がいたとします。

その人は、優しくない自分を認められなくなるかもしれません。

自分は挑戦する人間だと思っている人は、挑戦しない自分を許せなくなるかもしれません。

自分は責任感の強い人間だと思っている人は、本当は助けてほしいのに、誰にも頼れなくなるかもしれません。

本来、自分を自由にするはずの「自分らしさ」が、いつしか自分自身を縛る規範になってしまう。

私は、そこに一つの逆説を感じています。

「自分らしくあろう」とするあまり、人は「自分らしくない選択」ができなくなることがある。

しかし、人間は変わります。

昨日まで大切にしていたものが、今日にはそれほど大切ではなくなることもある。

以前は正しいと信じていたことを、経験によって考え直すこともある。

それは、自分らしさを失ったということでしょうか。

私は、そうは思いません。

むしろ、変わることを認められない方が、人間の可能性を狭めてしまうのではないでしょうか。

自分らしさとは、自分を固定するための言葉ではなく、変わり続ける自分を理解するための問いであるべきだと思うのです。

2.理想の自分と、実際に生きている自分は違う

「私は、誠実な人間でありたい」

「私は、人を大切にする人間でありたい」

「私は、自分の信念を曲げない人間でありたい」

こうした理想を持つことは、とても大切です。

しかし、私は一つの区別をしておきたいと思っています。

「そうありたいと願うこと」と、「実際にそう生きていること」は、同じではない。

誠実でありたいと思うことと、自分に不利益が生じても誠実に振る舞うことは違います。

他人を尊重したいと願うことと、自分とは異なる価値観の人を実際に尊重することも違います。

自分を大切にしたいと語ることと、周囲の期待を裏切る不安を抱えながらも、必要なときに休むことは違います。

私たちは、自分の理想を語ることはできます。

しかし、その理想が本当に大切なものなのかは、現実の選択を迫られたときに、初めて試されるのかもしれません。

もちろん、理想どおりに行動できなかったからといって、その人の思いが偽物になるわけではありません。

恐怖もあります。

経済的な事情もあります。

家族への責任もあります。

心身の限界もあります。

正しいと分かっていても、選べないことがあるのが人間です。

だからこそ、私は理想そのものを軽んじたいわけではありません。

ただ、理想を語ることだけで、自分がすでに理想どおりの人間になったかのように考えたくないのです。

理想とは、自分を美しく説明するための言葉ではなく、これからの自分の選択を少しずつ変えるための道しるべではないでしょうか。

3.私は障害を負ったとき、「自分らしさ」まで失ったのだろうか

私は、脳出血によって中途重度障害者となりました。

左半身に麻痺が残り、それまで当たり前にできていたことの多くが、思うようにできなくなりました。

働き方が変わりました。

生活の仕方が変わりました。

誰かの助けを必要とする場面が増えました。

そして何より、自分自身を見る目が変わりました。

かつての私は、管理職として仕事を任せ、判断し、人を評価する立場にいました。

仕事を通じて自分の存在価値を確認していた部分もあったと思います。

しかし、障害を負った後は、配慮を受け、仕事を任され、評価される側にもなりました。

立場が、まるで逆転したのです。

そのとき私は、少なからず戸惑いました。

以前のようにできない。

かつての役割を果たせない。

他人の力を借りなければならない。

それまで自分の一部だと思っていた能力や役割が失われたとき、自分自身まで小さくなってしまったように感じたこともあります。

けれど、長い時間をかけて、一つのことに気づきました。

失ったのは、以前と同じように生きるための条件であって、これから自分の人生をつくっていく可能性のすべてではなかった。

以前と同じ仕事ができなくても、働く意味を考え直すことはできる。

以前と同じ役割を担えなくても、別の形で誰かの役に立つことはできる。

助けを受ける立場になっても、人に何かを届けることはできる。

そして何より、かつての自分に戻れなくても、今の自分として生きていくことはできます。

私は、以前の自分を取り戻すことだけに人生の価値を置くのを、少しずつやめていきました。

その経験については、以前の記事「”『元に戻る』ことを諦めたとき、人生はもう一度動き出す” (https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/02/moto-ni-modoranai-jinsei-ikirinaosu/)」でも書いています。

今、改めて思うのです。

もし、能力や肩書や社会的評価が自分らしさの正体だったのなら、それらが変わった瞬間に、私は私ではなくなっていたはずです。

しかし、そうではありませんでした。

人は、過去の役割を失っても、新しい生き方を選び直すことができる。

私にとって、この発見はとても大きなものでした。

4.自分らしさは、過去の選択から形づくられる。しかし、過去だけでは決まらない

私たちは、これまでの人生で無数の選択をしてきました。

進学するか、働くか。

どんな仕事をするか。

誰と関わるか。

何を学ぶか。

何を諦めるか。

誰かを助けるか。

助けを求めるか。

こうした一つひとつの選択が、今の自分を形づくる一部になっているのは確かだと思います。

しかし、ここには注意しなければならないことがあります。

人間は、自分が選んできたものだけでできているわけではありません。

生まれる場所も、家庭環境も、自分では選べません。

病気や障害、災害や不慮の出来事も、本人の意思とは関係なく人生を変えます。

他者の判断によって、機会を失うこともあります。

そのため、「今のあなたは、すべてあなた自身が選んだ結果だ」とは、私は決して言いたくありません。

それは、人間の生きる条件をあまりにも単純化した考え方だからです。

人生には、自分で選んだことがあります。

同時に、自分では選べなかったこともあります。

そして、その両方が重なって今の自分が存在しています。

私が考える自分らしさは、その複雑な現実を無視した、単純な自己責任論ではありません。

自分では選べなかった出来事を抱えながら、自分に残された可能性をどう捉え、誰と関わり、何を大切にしようとするのか。

そこに、一人ひとりの生き方が表れるのだと思います。

ただし、選べる条件そのものが失われている人に対して、覚悟や努力を求めることが答えになるとは限りません。

その人が安心して選べるように、周囲が支え、社会が条件を整えることも必要です。

自由とは、本人の内面だけで成立するものではないからです。

5.自分らしさの本質は、「一貫性」ではなく「選び直せること」にある

私は、自分らしさについて考えるとき、もう一つ重要な問いがあると思っています。

「過去に選んだ自分」と「これから選ぶ自分」が違っていたら、どちらが本当の自分なのでしょうか。

例えば、以前は仕事を最優先にしていた人が、家族との時間を大切にするようになる。

かつては競争で勝つことに価値を感じていた人が、誰かと支え合う生き方を選ぶようになる。

他人に頼らないことが誇りだった人が、助けを受け入れることの大切さに気づく。

その人は、自分らしさを失ったのでしょうか。

私は、むしろ逆だと思います。

人は、経験を通じて価値観が変わります。

新しい事実を知れば、以前の判断を見直すこともあります。

それなのに「私はこういう人間だから」と過去の自分に固執してしまえば、成長する可能性を自ら閉ざすことになりかねません。

過去の自分に忠実であることと、今の自分に誠実であることは、必ずしも同じではありません。

私が大切にしたいのは、過去の自分と矛盾しないことではありません。

過去の自分が知らなかった現実を知ったとき、それに向き合い、必要なら考え方を変えられることです。

間違っていたと気づけば、謝る。

続けられないと感じれば、やめる。

大切なものが変わったなら、生き方を変える。

自分の弱さを知ったなら、誰かに支えてもらう。

それは、決して自分らしさを捨てることではありません。

自分らしさを守るために変わらないのではなく、自分の人生を大切にするために変わる。

私は、そんな生き方を選びたいと思っています。

6.「自分らしさ」を決めつける社会は、人の未来まで決めつけてしまう

ここまでは、個人の生き方について考えてきました。

しかし、この問題は職場や組織にもつながります。

私はかつて管理職として、人を評価する立場にいました。

その経験から、評価には大きな責任が伴うと感じています。

例えば、

「あの人はリーダーに向いていない」

「あの人は指示された仕事の方が向いている」

「あの人は慎重すぎる」

「あの人には難しい仕事は任せられない」

こうした言葉が、現場で語られることがあります。

もちろん、業務には適性があり、能力や成果を評価することも必要です。

しかし、その評価が、いつの間にか「その人はそういう人間だ」という固定的な認識に変わってしまうことがあります。

本来、評価とは、ある時点での能力や成果を判断するものです。

それなのに、評価する側がその人の未来の可能性まで決めてしまう。

私は、そこに危うさを感じています。

人を理解するためにつけた「その人らしさ」という名前が、いつしかその人の可能性を制限するラベルになってしまう。

これは、障害者雇用でも考える必要のある問題です。

障害があるからできないと考える前に、仕事の進め方を変えられないか。

配慮が必要だから成果を期待できないと決める前に、どんな環境なら能力を発揮できるのか。

本人が今できることだけで判断する前に、成長の機会が十分に用意されているのか。

そのように考える余地があるはずです。

私は、BPRやWork Architectureを考えるうえでも、この視点を大切にしています。

人を一つの型に合わせるのではなく、人が力を発揮できる条件を設計する。

ただし、人の限界を無視して、無理に挑戦を強いることではありません。

本人の意思や事情を尊重しながら、可能性を不必要に閉ざさないことです。

人は、他人から与えられた「あなたらしさ」の中だけで、生きなければならないわけではない。

それは、管理職だった私と、障害を負った後の私、その両方の経験から伝えたいことです。

7.自分を大切にするとは、「理想の自分」であり続けることではない

私は、これまで「自分を大切にする生き方」を提唱してきました。

しかし、それは、自分の理想をどんなときも貫き通すことではありません。

頑張れない日もあります。

何も決めたくない日もあります。

誰にも会いたくない日もあります。

ただ休みたいと思うこともあります。

そんなときにまで「自分らしく前向きに生きなければ」と考えてしまえば、自分らしさという言葉が、新しい負担になってしまいます。

自分を大切にするとは、強い自分を維持し続けることではない。

弱い自分を否定しないことでもある。

今の自分にできないことがあると認めることでもある。

そして、必要なら他人を頼ることでもある。

自分の価値を、自分の能力や成果だけで測らないこと。

私は、そこに自分を大切にする生き方の重要な意味があると考えています。

自分の人生を選ぶことと、すべてを一人で引き受けることは違います。

選択には、他者の支えが必要なこともあります。

だからこそ、誰かの助けを受けていても、自分の意思が尊重されることが大切なのです。

私は以前、「”自分を大切にする生き方とは” (https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/14/jibun-wo-taisetsu-ni-suru-ikikata-jinsei-redesign/)」という記事を書きました。

そこでも伝えたかったのは、何かを成し遂げた人だけが自分を大切にしてよいわけではない、ということです。

何者かにならなくても、私たちは自分を大切にしてよい。

そのことを忘れたくありません。

8.自由とは、すべてを選べることではない

私は障害を負い、物理的な選択肢の多くを失いました。

もちろん、できないことが増えるのは不便です。

誰かの助けを必要とすることもあります。

以前のように自由に身体を動かせたならと思うこともあります。

その不自由さを美化するつもりはありません。

しかし、不思議なことに、以前より心が自由になったと感じる場面も増えました。

何でもできると思っていた頃の私は、できることを増やし続けようとしていました。

もっと働く。

もっと成果を出す。

もっと評価される。

もっと上を目指す。

それが、自分の可能性を広げることだと考えていた部分がありました。

しかし、障害を負ってからは、すべてを手に入れることはできないという現実を、以前よりも強く意識するようになりました。

時間も、体力も、できることも限られています。

だからこそ、その限られたものを何のために使うのかが、以前より大切になったのです。

私にとっての自由は、何でもできることから、何を大切にして生きるかを自分で選べることへと変わりました。

ただし、私は選択肢が少ないほど人は自由になれる、と言いたいわけではありません。

選択肢が奪われることは、人の自由を制限します。

だからこそ、合理的配慮や社会的支援、安心して働ける環境が重要なのです。

私が経験した心の自由は、制約そのものが与えてくれたものではありません。

制約のある現実の中で、自分にとって何が大切なのかを考え直し、選べることを見つけてきた過程から生まれたものだと思っています。

自分の人生をすべて思いどおりにできなくても、自分の人生の主導権を可能な限り持ち続けることはできる。

そして、そのために必要な支援を求めることも、一つの主体的な選択です。

この考えは、「”『自立しろ』が人を孤立させる――日本社会の『自己責任』と本当の自立” (https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/11/shogaisha-jiritsu-jikosekinin-nihon-shakai-choice/)」という記事でも掘り下げています。

9.自分らしさを探す前に、自分自身に問いかけたい3つのこと

ここまで読んでくださった方に、私は3つの問いを届けたいと思います。

答えを急ぐ必要はありません。

立派な答えを出す必要もありません。

ただ、少しだけ、自分の人生を振り返る時間にしていただければ嬉しく思います。

問い① あなたが大切にしてきたものは、実際の選択に表れていますか?

「家族が大切だ」と思いながら、家族との時間を後回しにしていないでしょうか。

「健康が大切だ」と思いながら、自分の心身の限界を無視していないでしょうか。

「人を大切にしたい」と願いながら、目の前の人を十分に尊重できているでしょうか。

私自身も、すべてに胸を張って答えられるわけではありません。

だからこそ、自分の言葉と行動の間にある距離を、ときどき確かめたいと思っています。

それは、自分を責めるためではありません。

これからの選択を、少しでも自分の大切なものに近づけるためです。

問い② あなたが「自分らしさ」だと思っているものは、本当に手放せないものですか?

「私は責任感が強い」

「私は人に頼らない」

「私は最後までやり抜く」

そう考えてきた人ほど、立ち止まることが難しくなる場合があります。

しかし、それらは本当に、これからの人生でも守り続けなければならないものでしょうか。

過去に大切だった価値観が、今の自分を苦しめていることもあります。

そんなときには、自分らしさを守るより、自分自身を守ってもよいのだと思います。

過去の自分に約束した生き方より、今の自分が生き続けられることを大切にしてもいい。

問い③ これからの人生で、あなたは何を選びたいですか?

この問いに、壮大な答えは必要ありません。

仕事を変えることでも、新しい挑戦を始めることでも、何かを成し遂げることでもなくてよいのです。

今日は少し早く帰る。

大切な人の話を聴く。

疲れたら休む。

助けてほしいと伝える。

長く続けてきた何かを、思い切ってやめる。

そうした小さな選択にも、人生をつくり直す力があると思います。

もし今、選ぶ余裕さえないほど苦しいなら、答えを出さなくても構いません。

立ち止まり、必要な支えを探すことから始めてもいいのです。

人生は、大きな決断をした日だけでつくられるわけではありません。

何気ない日常の中にも、これからの自分を形づくる時間があります。

10.自分らしさは、人生の結果であると同時に、未完成の可能性でもある

私は、自分らしさについて考え続けた結果、一つの考えにたどり着きました。

自分らしさとは、これまでの人生で何を選んできたのかという軌跡と、これからの人生で何を選ぼうとするのかという覚悟の間から、自然に滲み出てくるものではないでしょうか。

ただし、それは完成された答えではありません。

人は変わります。

環境が変われば、考え方が変わることもあります。

新しい人と出会えば、それまで知らなかった自分に気づくこともあります。

そして、昨日まで大切にしていたものを、明日は手放すかもしれません。

だから私は、「これこそが本当の自分だ」と人生の途中で結論を出したくありません。

その結論が、未来の自分を縛るかもしれないからです。

むしろ、まだ知らない自分に出会える余白を残しておきたい。

まだ経験していないことから学びたい。

自分の考えが間違っていたと分かれば、改めたい。

そして、必要なら何度でも生き方を選び直したい。

自分らしさとは、自分を完成させることではなく、自分を未完成のまま引き受けることなのかもしれません。

私は今も、完成された人間ではありません。

迷うこともあります。

間違えることもあります。

過去を後悔することもあります。

けれど、だからこそ、これからの人生に可能性が残っているのだと思っています。

—

おわりに――「本当の自分」を見つけなくても、人生は生きられる

私たちは、いつから「自分らしく生きること」にまで、正解を求めるようになったのでしょうか。

自分の強みを見つけなければならない。

自分の価値観を明確にしなければならない。

自分の使命を持たなければならない。

そんな言葉に囲まれていると、まるで自分という人間を、誰かに分かりやすく説明できなければならないように感じることがあります。

しかし、私は思うのです。

自分が何者なのかを、今すぐ説明できなくてもいいのではないでしょうか。

人生には、言葉にできない思いがあります。

整理できない矛盾があります。

何を大切にしたいのか、分からなくなる時期もあります。

それでも、人は生きています。

誰かに出会い、何かを感じ、考え方を変え、また一つ選択していく。

その積み重ねの中に、その人にしか歩めない人生が生まれていくのだと思います。

私は、脳出血によって多くのものを失いました。

しかし、その経験を通じて、自分の人生を自分で選び直すことの意味を知りました。

元の自分には戻れません。

それでも、今の自分として生きることはできます。

「本当の自分」を探し続けるより、今の自分で、これからの人生をどう生きるか。

私は、その問いを大切にしていきたい。

そして、最後にもう一つだけ。

もし、あなたが今、

「自分らしく生きられていない」

と苦しんでいるのなら、どうか覚えていてほしいことがあります。

自分らしく生きられない自分にも、生きる価値はあります。

何かを選べない日も、迷い続ける日も、誰かに支えてもらう日も、あなたの人生の一部です。

無理に自分らしさを証明しなくてもいい。

誰かの期待する自分にならなくてもいい。

今の自分を否定せずに、これからの生き方を少しずつ考えていけばいい。

自分らしさは、宣言するものではない。

生き方から滲み出てくるものだ。

そして、その生き方は、何度でも選び直すことができる。

私は、そう信じています。

これが、中途重度障害者となった私がたどり着いた、**「不自由な自由」**という人生哲学です。

—

あなたにも、一つ伺いたいことがあります。

「自分らしさ」と呼んでいるものは、これまでの人生で実際に選び取ってきたものですか。

それとも、これから選ぶ勇気を持ちたいと願っている、自分の未来の姿でしょうか。

どちらであっても構わないと思います。

大切なのは、その答えによって自分を裁くことではなく、これからの人生を考えるきっかけにすることです。

もしこの記事が、あなた自身や大切な誰かの人生を考える機会になったなら、必要としている方に届けていただけると嬉しく思います。

そして、今の自分を大切にすることについて、さらに考えたい方には、こちらの記事も読んでいただきたいと思います。

関連記事:”自分を大切にする生き方とは――中途重度障害者になった私が、すべての日本人に心の底から伝えたいこと” (https://newlifestylesdlm.jp/2026/08/14/jibun-wo-taisetsu-ni-suru-ikikata-jinsei-redesign/)

『不自由な自由』

パラレルワーカーK

元管理職/中途重度障害当事者/障害者雇用アドバイザー/Work Architecture

人生は、思いどおりにならなくても、自分を大切にしながら生き直せる。

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