――元管理職・中途重度障害当事者が考える、経営・人事・現場の役割設計
障害者雇用について考えるとき、私はどうしても見過ごせないことがあります。
それは、
障害者雇用の成否を、配属先の管理職の善意や力量に委ねてはいけない。
ということです。
障害者を採用する。
人事が必要な説明をする。
配属先を決める。
そして最後に、
「必要な配慮がありますので、あとは現場でお願いします」
もし、その一言で障害者雇用が始まっているとしたら。
私は、その会社の障害者雇用はまだ「仕組み」になっていないと思います。
なぜなら、それは企業として障害者雇用をしているのではなく、
たまたま配属された一人の管理職に、障害者雇用を背負わせている
だけだからです。
私はかつて、健常者として課長を経験しました。
そしてその後、中途重度障害者となり、今度は障害者雇用の当事者として働く側になりました。
仕事を任せる側。
仕事を任される側。
両方を経験したからこそ、今ははっきりと分かることがあります。
障害者雇用を成功させるために必要なのは、
「理解のある上司を探すこと」ではありません。
誰が上司になっても、人を活かせる会社をつくることです。
「あとは現場で」が、最も危険な理由
管理職は、障害者雇用だけを担当しているわけではありません。
売上を求められる。
品質を守る。
期限を守る。
トラブルに対応する。
部下を育てる。
評価する。
組織をまとめる。
上司へ報告する。
プレイングマネージャーなら、自分自身も成果を出さなければならない。
そんな中で、
「この社員にはこういう障害があります。合理的配慮をお願いします」
と言われる。
では、具体的に何を変えればいいのか。
どこまで変えていいのか。
何を変えてはいけないのか。
本人には何を期待していいのか。
評価はどうするのか。
他の社員との公平性はどう考えるのか。
困ったときは誰に相談すればいいのか。
そこまで整理されていなければ、管理職が戸惑うのは当然です。
そして戸惑った管理職ほど、
「無理をさせてはいけない」
という方向へ傾きやすい。
すると、
仕事を任せない。
責任を与えない。
挑戦させない。
評価できない。
結果として、
守られているけれど、成長できない。
という状態が生まれます。
これは、障害者にとって幸せなことでしょうか。
私はそうは思いません。
そして、管理職だけを責めるのも違うと思っています。
管理職が適切に判断できる情報も、権限も、支援も与えず、
「現場で何とかしてください」
と求めるのであれば、
それは管理職の問題ではありません。
経営と組織設計の問題です。
管理職にも「支援」が必要である
障害者雇用では、合理的配慮という言葉が使われます。
私は当事者として、その重要性をよく理解しています。
一方で、元管理職としてもう一つ思うことがあります。
配慮を実行する側にも、支援が必要です。
例えば、
仕事内容を調整したい。
勤務方法を変更したい。
業務の一部を他の社員へ移したい。
新しいツールを導入したい。
本人の成長に合わせて仕事を広げたい。
評価方法を見直したい。
しかし、その決定権が管理職にはない。
人員にも余裕がない。
予算もない。
制度も変えられない。
人事との役割分担も曖昧。
それでも、
「現場で配慮してください」
と言われる。
これでは管理職にとって、障害者雇用が「人材育成」ではなく、
追加負担
になってしまいます。
そして管理職が疲弊すれば、その空気は必ず本人にも伝わります。
だから障害者雇用では、
障害者本人だけを見るのでは足りません。
その人をマネジメントする人が、きちんとマネジメントできる環境まで設計する。
そこまでやって初めて、会社としての障害者雇用になるのだと思います。
障害者雇用には「3つの経営レイヤー」がある
私は、障害者雇用を会社として機能させるには、
経営
人事
現場管理職
この3つの役割を明確にした方がいいと考えています。
すべてを現場へ渡してはいけない。
すべてを人事へ任せてもいけない。
経営者が理念だけ語って終わってもいけない。
それぞれに、やるべきことがあります。
経営者の役割は「優しくしてください」と言うことではない
経営者が最初に示すべきなのは、
会社として、なぜ障害者雇用に取り組むのか。
ということです。
法定雇用率を満たすためなのか。
社会的責任として行うのか。
人材戦略として考えるのか。
多様な人材を活かせる企業へ変わるためなのか。
ここが曖昧な会社では、現場も迷います。
例えば経営者が、
「障害者には無理をさせないように」
とだけ言えば、現場は仕事を任せなくなるかもしれません。
しかし、
「必要な配慮は行う。その上で、一人の社員として成長を期待し、成果を評価する」
と示せば、現場の判断は変わります。
経営者の仕事は、
一人ひとりの配慮内容を決めることではありません。
会社が何を大切にし、何を目指すのかという判断軸を示すことです。
配慮する。
守る。
支える。
それだけでは足りない。
期待する。
ここまで含めて会社の意思として示す。
私は、それが経営者の役割だと思っています。
人事の役割は、「採用」で終わらない
障害者雇用で、人事の仕事が「採用まで」になってしまうと、現場は孤立します。
採用する。
雇用率を管理する。
制度を説明する。
もちろん、どれも大切です。
しかし、本当に重要なのはその後です。
本人の状態が変わった。
仕事内容が合わなくなった。
管理職が困っている。
仕事を広げたい。
評価に悩んでいる。
配置転換を考えたい。
専門職へつなぎたい。
こうした場面で、
人事が現場と本人の間に入り、組織として解決できるか。
ここが重要です。
そして、ある部署でうまくいった工夫があれば、それを一部署だけの成功で終わらせない。
会社全体へ共有する。
制度にする。
標準化する。
そうすれば、一人の管理職の工夫が、
企業全体の組織能力
に変わります。
人事は、単に社員を管理する部門ではありません。
人を活かせる会社を設計する部門
になれるはずです。
現場管理職は「配慮係」ではない
では、現場管理職の役割は何でしょうか。
私は、
その人が成果を出せる条件を、日々の仕事の中で設計すること
だと考えています。
管理職は医師ではありません。
障害福祉の専門家でもありません。
すべての障害について詳しくなる必要もありません。
管理職が知るべきなのは、
「この人の障害名は何か」
だけではなく、
「この仕事をするうえで、どこに障壁があるのか」
です。
例えば本人と、
この仕事で求める成果は何か。
何が難しいのか。
どこまではできるのか。
何を変えればできるのか。
会社として変えられない条件は何か。
本人には何を期待するのか。
いつ見直すのか。
こうした対話をする。
すると合理的配慮は、
「特別扱いするか、しないか」
という感情的な議論ではなくなります。
どうすれば成果が出るのか。
という、極めて普通のマネジメントの話になります。
障害名ではなく、「仕事との関係」を見る
障害者雇用では、ときどき、
「この障害の人には、どう対応すればいいですか」
という問いが出ます。
しかし私は、この問いだけでは不十分だと思っています。
同じ障害名でも、人は違います。
できることも違う。
経験も違う。
得意不得意も違う。
仕事内容も違う。
職場環境も違う。
だから見るべきなのは、
障害だけではありません。
障害 × 本人 × 仕事 × 環境
です。
これは、健常者のマネジメントでも本来同じです。
数字に強い人。
人前で話すのが得意な人。
一人で集中すると高い成果を出す人。
調整能力が高い人。
慎重さが強みになる人。
管理職は本来、こうした違いを見ながら仕事を任せます。
障害者だけ、別の人間として管理する必要はありません。
むしろ、
普段のマネジメントを、もっと丁寧にする。
私は、それでいいのだと思っています。
「配慮」と「期待」は、対立しない
障害者雇用では、
配慮の話はよく出ます。
しかし私は、
期待の話が少なすぎる
と感じています。
何を期待しているのか。
どんな成果を求めるのか。
次は何を任せたいのか。
どこまで成長してほしいのか。
これを伝えなければ、本人は自分の未来を描けません。
私は管理職だった頃、部下を育てるときには、
少し難しい仕事を任せる。
失敗する。
振り返る。
また任せる。
という循環を経験してきました。
それが育成だったと思っています。
ところが障害者になると、
「失敗させてはいけない」
「無理をさせてはいけない」
という気遣いから、
その循環の外へ置かれてしまうことがあります。
私はそれを、必ずしも優しさだとは思いません。
障害者にも、配慮される権利と同じくらい、期待される権利がある。
配慮によって障壁を取り除く。
その上で任せる。
挑戦してもらう。
成果を評価する。
成長につなげる。
配慮と期待は、どちらか一つを選ぶものではありません。
両方あるからこそ、人は活きる。
私はそう考えています。
障害者雇用を「上司ガチャ」にしてはいけない
少し強い言葉かもしれません。
しかし、ここは非常に重要です。
素晴らしい上司に配属された。
本人の話をよく聞いてくれる。
仕事も工夫してくれる。
能力も見てくれる。
だから活躍できた。
ところが、その上司が異動した。
新しい上司は考え方が違う。
配慮の理解も違う。
仕事の任せ方も違う。
評価も変わる。
そして働きにくくなった。
もしこうなるのであれば、
その企業の障害者雇用は、
会社の力ではありません。
一人の優秀な管理職の力です。
経営者の方に、ぜひ考えてほしい問いがあります。
その優秀な上司が明日異動しても、同じ社員は同じように活躍できますか。
もし答えに迷うのであれば、
御社には「良い人」はいる。
しかし、
まだ良い仕組みはない。
ということかもしれません。
強い組織は「優秀な人」に依存しない
企業では、
「理解のある管理職を増やしましょう」
と言われることがあります。
もちろん、教育は重要です。
しかし、それだけでは十分ではありません。
優秀な管理職がいるから成り立つ。
理解のある人事担当者がいるから回る。
熱心な社員がいるから続く。
それでは、その人がいなくなった瞬間に壊れます。
本当に強い組織とは、
特別に優秀ではない普通の管理職でも、一定水準のマネジメントができる組織
です。
相談先が分かる。
合理的配慮の決め方が分かる。
面談のポイントが整理されている。
困ったときのエスカレーション先がある。
評価の考え方が共有されている。
過去の成功事例が蓄積されている。
必要なら専門家につながれる。
こうした仕組みがあれば、管理職は一人で抱え込まずに済みます。
障害者雇用の仕組みをつくるということは、
障害者だけを守ることではありません。
管理職も守ることなのです。
そして管理職が守られれば、結果として本人も守られます。
経営者が見るべき数字は、雇用率だけではない
法定雇用率は重要です。
企業として守らなければならない数字です。
しかし、それだけをKPIにすると、
採用した瞬間に「達成」になってしまいます。
本当に経営者が見るべきなのは、その先です。
定着したか。
仕事は広がったか。
能力は伸びたか。
研修を受けられたか。
成果は評価されたか。
昇格したか。
給与は上がったか。
本人はキャリアを描けているか。
そして、
現場管理職が疲弊していないか。
ここまで見て初めて、
障害者雇用は「人数」から「人材」になります。
私は、
何人雇ったかではなく、雇った人の可能性をどこまで企業価値へ変えられたか。
そこを見る経営が、これから必要になると思っています。
人事と現場が対立する会社では、うまくいかない
障害者雇用でありがちな構図があります。
人事は、
「もっと配慮してください」
と言う。
現場は、
「そんな余裕はありません」
と言う。
そして本人が、その間にいる。
この状態は誰にとっても不幸です。
人事が正しい。
現場が間違っている。
そういう話ではありません。
大切なのは、
共通の目的を持つことです。
本人が長く働ける。
現場も無理をしない。
会社として成果も出る。
この三つを同時に目指す。
だから、
障害者のために現場が我慢する。
でもない。
現場のために障害者が我慢する。
でもない。
必要なのは、
仕事の設計そのものを変えること。
です。
経営が方向を示す。
人事が仕組みを整える。
管理職が日々の仕事を調整する。
本人も自分の状態と能力を伝える。
それぞれが、それぞれの責任を果たす。
障害者雇用は、その共同作業なのだと思います。
当事者側にも責任がある
私は障害者雇用について書くとき、
企業だけを責める文章にはしたくありません。
当事者にも役割があります。
何ができるのか。
何が難しいのか。
どんな条件ならできるのか。
体調はどうなのか。
何を支援してもらえば力を発揮できるのか。
どう会社へ貢献したいのか。
それを、できる限り自分の言葉で伝えていく。
会社には配慮する責任があります。
しかし同時に本人にも、
自分の能力を、できる限り組織へ返していこうとする姿勢
は必要だと思っています。
障害者雇用は、
企業対障害者
ではありません。
企業と本人が、一緒に成果を設計すること。
そこまで行けたとき、本当の意味での雇用になるのではないでしょうか。
障害者雇用の成熟度は、「人が変わっても回るか」で分かる
企業の障害者雇用がどれくらい成熟しているか。
私は、一つの問いでかなり分かると思っています。
担当者が変わっても、同じように機能しますか。
上司が変わる。
人事担当者が変わる。
部署が変わる。
経営者が変わる。
それでも、
必要な配慮が引き継がれる。
本人の能力が理解される。
適切な仕事が任される。
成果が評価される。
キャリアが続いていく。
そこまでできて初めて、
障害者雇用は「誰かの善意」ではなく、
会社の能力
になっています。
元課長と中途重度障害者、その両方を経験したからこそ伝えたい
私は、健常者として課長を経験しました。
組織として成果を出す難しさも知っています。
人員に余裕がないこともある。
納期を優先しなければならないこともある。
全員の希望を叶えられないこともある。
管理職には管理職の現実があります。
その後、中途重度障害者になりました。
今度は、
「働く条件が変わった人」
として会社を見ることになりました。
そして分かったことがあります。
管理職だけが悪いわけではない。
人事だけが悪いわけでもない。
当事者だけが悪いわけでもない。
問題は、
一人ひとりの善意がなければ成立しない仕組みそのもの
にあるのではないか。
だから必要なのは、
誰か一人の頑張りではありません。
善意を仕組みに変えること。
それが経営だと思います。
最後に、経営者・管理職の方へ
御社に、障害のある優秀な社員がいるとします。
そして、その社員を理解し、
仕事を工夫し、
能力を引き出し、
成長させている素晴らしい管理職がいる。
それは、とても良いことです。
しかし私は、そこで一つ問いかけたい。
その管理職が、明日異動したらどうなりますか。
同じ社員は、同じように活躍できるでしょうか。
もし答えに迷うのであれば、
御社が持っているのは、
障害者雇用の仕組みではありません。
優秀な一人の管理職です。
私は、これからの企業に必要なのは、
特別に理解のある人がいなくても、
人を活かせる会社になることだと思っています。
経営が方向を示す。
人事が仕組みをつくる。
管理職が仕事を設計する。
本人も自分の状態と能力を伝える。
そして誰も、一人で抱え込まない。
障害者雇用を、
「現場の負担」から、
会社全体の人材戦略へ。
これは障害者だけのための改革ではありません。
育児。
介護。
病気。
高齢化。
人生のどこかで、働く条件は誰にでも変わる可能性があります。
そのとき、
「以前と同じように働けないから、もう戦力ではない」
と判断する会社と、
「では、どうすればこの人の力を活かし続けられるのか」
と考える会社。
10年後、どちらが強いでしょうか。
私は答えは明確だと思っています。
人が変わっても、人を活かせる会社。
それこそが、
人手不足時代に必要な組織適応力であり、
人的資本経営の本質であり、
そして、
障害者雇用が企業に問いかけている、本当の経営課題
なのではないでしょうか。
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前の記事では、
「障害者に仕事を切り出す」のではなく、「人の能力を活かせるよう仕事そのものを再設計する」
という視点から、元課長と中途重度障害当事者の両方の経験をもとに7つの原則を整理しています。
▶ 障害者雇用で「仕事を切り出す」だけでは足りない――元課長・中途重度障害当事者が考える「人を活かす仕事の再設計」
そして、仕事を任せられる組織になった後には、次の問いが残ります。
成果を出した障害者を、会社は本当に正しく評価できているのか。
仕事は増えた。
責任も増えた。
成果も出した。
それでも、
評価、昇格、給与、キャリアが変わらない。
もしそうなら、問題は本人の能力ではなく、
企業の評価システムが、人材の成長に追いついていない
可能性があります。
障害者を採用する会社から、
障害者を活かせる会社へ。
障害者を活かせる会社から、
違う条件を持つ、すべての人を活かせる会社へ。
この変化こそが、これからの企業競争力につながると私は考えています。
障害者雇用で「仕事を切り出す」だけでは足りない
――元課長・中途重度障害当事者が考える「人を活かす仕事の再設計」
障害者雇用で「仕事を切り出す」だけでは、本当の人材活用にはつながりません。健常者時代に課長を…



















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