多様性を壊すのは「違い」ではない|“普通の人”を前提にした組織設計を問い直す

—

Spread the love



あなたの職場でいう「普通の社員」とは、どんな人でしょうか。

毎朝、決められた時間に出社できる。

満員電車で通勤できる。

1日8時間、安定して働ける。

急な残業にも対応できる。

長時間の会議にも参加できる。

両手を自由に使える。

階段を問題なく上れる。

電話にもすぐ出られる。

出張もできる。

家庭の事情で突然休むことも少ない。

体調も安定している。

もし、無意識のうちにこうした人を「普通」と考えているとしたら。

その“普通”から外れた人は、

本人に問題があるのでしょうか。

それとも、

最初から一種類の人間しか想定していない仕組みの側に、問題があるのでしょうか。

私は30歳で脳出血を発症し、中途重度障害者になりました。

障害を負う前には気にも留めなかった段差が、突然「壁」になりました。

何気なく使っていた設備が使いにくくなる。

当然のように求められていた働き方が難しくなる。

以前ならできたことが、同じ方法ではできなくなる。

そこで初めて気づきました。

社会の多くの仕組みは、

誰かを差別しようとしてつくられているわけではありません。

むしろ、

悪意などないことの方が多い。

ただ、

「こういう人なら使えるだろう」
「普通ならこれくらいできるだろう」

という前提で設計されている。

そして、その想定から外れた人が現れた瞬間、

今まで見えなかった壁が姿を現します。

これは障害者だけの話ではありません。

育児をしている人。

介護を担っている人。

病気になった人。

高齢になった人。

外国籍の人。

短時間勤務を必要とする人。

心身の状態に波がある人。

人生のある時点で、

誰もが「普通」から外れる可能性があります。

だから私は今、

日本社会の多様性について、

もう一段深い問いを投げかけたいと思います。

多様性を壊しているのは、本当に人と人との「違い」なのでしょうか。

それとも、

違いが存在することを想定していない仕組み

なのでしょうか。

—

前回の記事で「比率だけでは多様性を測れない」と書いた

前の記事で私は、

「誰がいるか」を数える多様性から、「誰がいても力を発揮できる」多様性へ。

という考えを書きました。

男性50%、女性50%だから多様性があるのではない。

障害者を一定数雇用したから、多様性のある企業になるわけでもない。

性別。

年齢。

障害の有無。

国籍。

家庭環境。

働ける時間。

価値観。

経験。

そうした条件が違っていても、

仕事や役割を柔軟に組み替え、

その人の能力を生かし、

組織として目的を達成できる。

私は、それこそが本当の意味で多様性に強い組織だと考えています。

しかし、

そこまで考えると、

次の疑問が生まれます。

なぜ日本では、

「多様性を推進する」

と言いながら、

実際には多くの人が、

既存の“普通”へ自分を合わせ続けなければならないのでしょうか。

私は、

ここに日本のダイバーシティが抱える核心の一つがあると思っています。

—

「普通に働ける人」とは、いったい誰なのか

朝決められた時間に出社できる。

毎日同じ時間働ける。

長時間座っていられる。

急な予定変更にも対応できる。

両手を自由に使える。

階段を上れる。

電話にすぐ出られる。

口頭説明だけでも仕事を理解できる。

出張できる。

長時間の会議にも参加できる。

家庭の事情で急に休むことが少ない。

体調は基本的に安定している。

これらは長い間、

会社員として「普通」の働き方として扱われてきました。

しかし、

障害のある人。

育児中の人。

家族を介護している人。

持病のある人。

高齢者。

外国籍の人。

短時間勤務を必要とする人。

コミュニケーション方法が違う人。

体調に波がある人。

そうした人が働こうとしたとき、

「普通」という言葉の輪郭が急にはっきりします。

そして、

その輪郭から外れた人に対して、

「特別な配慮が必要ですね」

という言葉が使われます。

そこで私は考えます。

本当に“特別”なのは、その人なのでしょうか。

それとも、

一種類の働き方しか想定していない仕組みなのでしょうか。

—

障害者になって初めて見えた「標準」という壁

障害を負う前、

私は社会の多くの仕組みを、

それほど意識せずに利用していました。

自分自身が比較的、

その仕組みの想定する人間に近かったからだと思います。

しかし、

身体の状態が変わった瞬間、

同じ社会が違って見えるようになりました。

少しの段差。

長い距離の移動。

手すりのない場所。

両手を使うことを前提にした作業。

素早く動けることを前提にした仕事。

それまで何でもなかったものが、

突然、障壁になります。

そこで気づいたことがあります。

社会には、

「障害者を排除しよう」

と思ってつくられた仕組みばかりがあるわけではありません。

多くの場合、

そこに悪意などありません。

ただ、

最初から障害者を想定していなかった。

それだけなのです。

しかし、

想定されていない人にとっては、

その「それだけ」が、

人生を左右するほど大きな壁になることがあります。

—

多様性の最大の敵は「悪意」だけではない

多様性について語るとき、

差別や偏見が問題になります。

もちろん、

差別はなくすべきです。

偏見も減らしていかなければなりません。

しかし、

もっと発見しにくい問題があります。

それは、

誰も差別しているつもりがないのに、結果として特定の人が参加できなくなる仕組み

です。

例えば、

重要な会議を毎回夕方以降に設定する。

それだけで、

育児や介護をしている人は参加しにくくなるかもしれません。

重要な仕事は、

フルタイム勤務者だけに任せる。

それだけで、

短時間勤務の人はキャリアの機会を失うかもしれません。

長く会社にいる人を高く評価する。

それだけで、

働ける時間に制約がある人が不利になるかもしれません。

すべて口頭説明だけで仕事を進める。

それだけで、

情報処理の方法が違う人には不利になるかもしれません。

エレベーターがない。

それだけで、

その場所へ行けない人が生まれます。

誰かを排除しようとしたわけではない。

それでも、

仕組みは、人を排除することができます。

だから私は、

多様性を考えるとき、

「人に偏見があるか」だけでなく、

「仕組みは、どんな人を前提につくられているのか」

まで見る必要があると思っています。

—

「配慮する組織」から「違いを前提に設計する組織」へ

障害者雇用では、

「合理的配慮」

という言葉が使われます。

私は合理的配慮をとても重要なものだと考えています。

しかし、

さらに一歩進んで考えてみたいのです。

なぜ私たちは、

まず一つの「標準的な働き方」を用意して、

そこから外れる人だけ、

後から調整するのでしょうか。

標準勤務。

標準的な仕事。

標準的なコミュニケーション。

標準的な評価。

そこへ、

「あなたには事情があるので変えましょう」

と調整する。

もちろん、

個別の配慮が必要な場面はあります。

しかし、

最初から複数の方法を用意しておけば、

「特別扱い」を減らせることもあります。

対面でもオンラインでも参加できる。

口頭でも文章でも情報を受け取れる。

フルタイム以外でも成果を出せる。

仕事を一人だけで抱え込まなくてもいい。

働く場所を選べる。

成果までの道筋を複数持てる。

そういう組織なら、

障害者だけが例外扱いされる場面そのものが減ります。

だから私は、

「配慮する組織」から、
「最初から違いが存在することを前提にした組織」へ

進むことが、

これからのダイバーシティには必要だと思っています。

—

人間に「完全な標準」など存在しない

障害者になってから、

私は時々「例外」として扱われる感覚を持つようになりました。

普通はこうする。

でも、

あなたは障害があるから別。

普通はこの働き方。

でも、

あなたには難しいから例外。

配慮してもらえること自体には、

もちろん感謝しています。

しかし、

もう少し広く社会を見れば、

「例外」という考え方そのものを問い直すこともできます。

人間は、

身体能力が違います。

集中できる時間も違います。

得意なことも違います。

苦手なことも違います。

家庭環境も違います。

健康状態も違います。

価値観も違います。

しかも、

同じ人でさえ、

人生の時期によって変わります。

20代で問題なくできた働き方が、

40代では難しくなることもあります。

健康だった人が、

突然病気になることもあります。

親の介護が始まるかもしれません。

子どもが生まれるかもしれません。

事故に遭うかもしれません。

つまり、

誰もが人生のどこかで「標準」から外れる可能性を持っています。

そう考えるなら、

多様な人に対応できる仕組みとは、

少数者だけのための仕組みではありません。

それは、

未来の自分自身を守る仕組み

でもあるのではないでしょうか。

—

「普通に合わせられる人」ばかり集める組織は、本当に強いのか

企業は、

「自社に合う人材」

を求めます。

もちろん、

組織文化との相性は重要です。

しかし、

もし「自社に合う」という意味が、

今ある働き方に完全に適応できる。

今ある価値観に疑問を持たない。

今あるコミュニケーション方法で問題なく動ける。

ということだけになってしまえば、

組織は少しずつ同質化していきます。

同質性は、

平常時には効率的かもしれません。

意思決定も早い。

説明も少なくて済む。

摩擦も少ない。

しかし、

環境が変わったとき、

それが弱点になることもあります。

市場が変わる。

技術が変わる。

人口構成が変わる。

働く人が変わる。

価値観が変わる。

そのとき必要なのは、

従来の「普通」に上手く適応できる人だけでしょうか。

それとも、

条件が変わっても、成果を出す方法を考えられる人と組織

でしょうか。

私は後者だと思います。

—

「できない人」ではなく「今の方法ではできない人」

障害者として働くようになってから、

私は「できない」という言葉について、

以前より慎重に考えるようになりました。

ある人が仕事をできない。

そのとき、

私たちは簡単に、

「この人には能力がない」

と判断してしまうことがあります。

でも、

本当にその人の能力の問題でしょうか。

もしかすると、

その人ができないのではなく、今の方法ではできないだけ

かもしれません。

やり方を変える。

道具を変える。

役割を変える。

時間を変える。

場所を変える。

チームの組み方を変える。

情報の伝え方を変える。

そうすると、

今までできなかった人が、

突然力を発揮することがあります。

つまり、

能力とは、

本人の中だけに存在するものではありません。

人と環境の組み合わせによって、発揮できる能力は変わる。

これは、

障害者雇用だけではなく、

すべての人材マネジメントに通じる考え方ではないでしょうか。

—

人を評価する前に「仕事の設計」を疑ってみる

ある人が成果を出せない。

そのとき、

「努力不足」

「能力不足」

と判断するのは簡単です。

しかし、

その前に一度、

仕事そのものを問い直してみる。

仕事の分け方は適切だったか。

説明方法は合っていたか。

役割は本人の強みに合っていたか。

必要な情報へアクセスできていたか。

評価方法は適切だったか。

身体条件に不必要な負荷をかけていなかったか。

相談できる仕組みはあったか。

チームで支えられる設計だったか。

つまり、

人を変えようとする前に、仕事の方を変えられないか考える。

これが、

多様性のある組織に必要な視点だと思います。

—

「標準化」と「多様性」は対立しない

ここで一つ、

誤解してほしくないことがあります。

私は、

標準化そのものを否定したいわけではありません。

安全。

品質。

医療。

インフラ。

製造。

公共サービス。

さまざまな分野で、

標準化は必要です。

誰が担当しても一定の品質を保つ。

事故を防ぐ。

仕事を効率化する。

そのために標準は重要です。

問題なのは、

仕事の標準を、人間の標準にしてしまうこと

だと思います。

成果の基準は、

共通でもいい。

しかし、

そこへ到達する方法まで、

全員一つである必要があるでしょうか。

目的は共通。方法は複数。

この設計ができる組織ほど、

多様性に強くなると私は考えています。

—

障害者が働きやすい会社は、多くの人にとって働きやすい

障害者のために、

情報を分かりやすくする。

業務を明文化する。

役割を明確にする。

働き方に選択肢をつくる。

業務量を見直す。

相談できる仕組みをつくる。

こうした改善は、

障害者だけのためでしょうか。

私はそう思いません。

新人にも役立ちます。

育児中の人にも役立ちます。

外国籍社員にも役立ちます。

高齢社員にも役立ちます。

病気から復職した人にも役立ちます。

職場で悩んでいる人にも役立ちます。

つまり、

最も困っている人が使えるように仕組みを改善すると、結果として多くの人が働きやすくなる。

私はここに、

障害者雇用が社会全体へ提供できる大きな知恵があると思っています。

障害者を「配慮される側」としてだけ見るのではなく、

組織の設計を進化させる視点を持つ存在

として考えてもいいのではないでしょうか。

—

多様性とは「優しさ」ではなく、変化への耐性である

多様性を、

優しい会社になるための活動。

社会貢献。

CSR。

そう捉えることもできます。

しかし、

私はもっと経営の核心として考えていいと思っています。

人口減少。

人手不足。

高齢化。

育児。

介護。

病気。

障害。

外国人材。

働き方の多様化。

これからの日本企業は、

「同じ条件で働ける人だけ」

を集め続けることがますます難しくなります。

そのとき、

人間の側だけに会社への適応を求め続ける組織と、

必要に応じて仕事や仕組みの方も変えられる組織。

どちらが変化に強いでしょうか。

私は、

後者だと思います。

だから、

多様性とは単なる「優しさ」ではない。

変化する社会に適応し続けるための組織能力であり、組織の耐久力です。

—

本当のインクルージョンとは「参加させること」ではない

インクルージョンという言葉は、

「受け入れること」

と説明されることがあります。

しかし、

私はこの言葉にも一つ問いを持っています。

「受け入れる」

という言葉には、

すでに存在している側が、

外から来た人を迎え入れる、

という構図があります。

では、

誰が「受け入れる側」なのでしょうか。

障害のない人。

多数派。

既存社員。

今までの組織文化。

そこを基準にして、

違う人を入れる。

しかし、

本当のインクルージョンは、

そのさらに先ではないでしょうか。

新しい人が入ってきたら、

既存の側も変わる。

常識を問い直す。

仕事を変える。

制度を変える。

コミュニケーション方法を変える。

評価を変える。

つまり、

誰かを既存の円の中へ無理に入れるのではなく、

新しい人が参加することで、円そのものの形が変わる。

私はそこまで進んで、

初めて本当のインクルージョンになると思っています。

—

日本社会に必要なのは「普通の人を増やすこと」ではない

学校でも。

会社でも。

地域でも。

社会でも。

私たちは長い間、

周囲と同じようにできることを求められてきました。

同じ時間に来る。

同じ方法で学ぶ。

同じように働く。

同じ基準で評価する。

一定の共通ルールは必要です。

しかし、

そのルールに適応できない人を、

すぐに「問題のある人」にしてしまえば、

多様性は育ちません。

これから必要なのは、

標準的な人間を大量につくることではないと思います。

標準から外れる人が現れても、組織や社会が壊れないこと。

そして、

その違いから、

より良い方法を学べること。

私は、

それこそが成熟した多様性だと思っています。

—

中途重度障害者として、社会に一つ問いかけたい

障害者になる前、

私は今ほど「普通」について考えたことがありませんでした。

自分自身が、

普通だと思っていたからです。

しかし、

身体の状態が変わっただけで、

昨日まで当たり前に使えていた社会が、

突然使いにくくなりました。

そこで初めて気づきました。

「普通」とは、

絶対的なものではありません。

その仕組みをつくったとき、誰を想定したのか。

それによって変わります。

だから、

私は問いかけたい。

障害者が働きにくいとき、

変わらなければならないのは、

本当に障害者だけなのでしょうか。

育児中の人が働きにくいとき。

介護をする人が働きにくいとき。

外国籍社員が働きにくいとき。

高齢者が働きにくいとき。

病気から復帰した人が働きにくいとき。

そのたびに、

「本人が適応してください」

と言い続けるのでしょうか。

それとも、

社会や組織の側にも、変わる余地があるのでしょうか。

私は、

そこに日本のダイバーシティが次に向き合うべき課題があると思っています。

—

多様性を壊しているのは「違う人」ではない

多様な人がいると、

組織運営が難しくなる場面はあります。

調整も必要です。

説明も必要です。

時間もかかります。

意見もぶつかります。

「同じような人だけで組織をつくった方が楽だ」

と思うこともあるでしょう。

短期的には、

実際にその方が効率的なこともあると思います。

でも、

社会は変わります。

人も変わります。

企業を取り巻く環境も変わります。

だから本当に強い組織は、

違いをなくした組織ではなく、

違いが生まれても対応できる組織

なのだと思います。

多様性を壊しているのは、

人と人との違いではありません。

違いを受け止める余白を持たない仕組みです。

「普通の人に合わせてください」

という社会から、

「あなたが力を発揮できる方法を一緒に考えましょう」

と言える社会へ。

私は、

そこに本当の多様性があると思っています。

—

あなたの職場の「普通」は、誰を前提につくられていますか?

ここまで読んでくださったあなたへ。

最後に、

一つだけ問いを残したいと思います。

あなたの会社の、

勤務時間。

会議。

採用。

評価。

昇進。

仕事内容。

コミュニケーション。

オフィス。

暗黙のルール。

その一つひとつは、

どんな人を「普通」としてつくられているでしょうか。

そして、

その普通から外れた人が現れたとき、

「本人に適応してもらう」

のでしょうか。

それとも、

「私たちの仕組みにも変えられるところはないだろうか」

と考えられるでしょうか。

この違いが、

これからの組織の強さを決めるのではないかと私は思っています。

もしこの記事を読んで、

あなたの職場にも「見えない普通」があると感じたなら、

ぜひその違和感を、

一度言葉にしてみてください。

経営者と。

人事担当者と。

管理職と。

同僚と。

家族と。

SNSでも構いません。

誰かを責めるためではありません。

今まで見えなかった前提に、みんなで気づくためです。

一人の違和感が、

仕事の設計を変えるかもしれません。

一つの合理的配慮が、

障害者だけでなく、多くの社員を働きやすくするかもしれません。

一人の新しい働き方が、

次に入社する誰かの選択肢になるかもしれません。

そして、

一つの会社の小さな変化が、

いつか社会の「普通」を変えるかもしれません。

もし、

「この問いは自分の職場でも考える価値がある」

と思っていただけたなら、

この記事を必要としている人へ届けてください。

あなたの一回のシェアが、

経営者へ届くかもしれません。

人事担当者へ届くかもしれません。

障害者雇用に悩む管理職へ届くかもしれません。

今まさに、

「自分が普通に合わせられないのが悪い」

と自分を責めている誰かへ届くかもしれません。

そして、

あなた自身の考えもぜひ聞かせてください。

あなたの職場の「普通」は、誰を前提につくられていますか?

その普通から外れた人が来たとき、あなたの組織は変われますか?

私は、

賛成意見だけを求めているわけではありません。

違う意見があっていい。

反対意見があっていい。

なぜなら、

多様性について、

一つの正解に全員を合わせること自体が、

多様性とは少し違うと思うからです。

New Lifestyle DLMではこれからも、

障害者雇用。

ダイバーシティ。

インクルージョン。

働き方。

人生再設計。

自分を大切にする生き方。

こうしたテーマを、

中途重度障害者として実際に働き、生きてきた経験から考えていきます。

「障害者のための話」で終わらせず、

誰もがいつか当事者になり得る社会の問題として。

この問題意識に共感していただける方は、

ぜひこれからもNew Lifestyle DLMやSNSをフォローしてください。

そして、

この文章を必要としている人へ、

そっと渡していただければうれしいです。

—

多様性とは、違う人を増やすことだけではない

違う人が来たとき、

自分たちの仕組みも変えられること。

人に「普通」を押しつける組織から、

人が変われば仕組みも学び、変わる組織へ。

「普通の人に合わせる社会」から、

「普通そのものを問い直せる社会」へ。

私は、

その先にこそ、

本当の意味で多様性のある日本社会があると信じています。

次に読んで欲しい記事はこれです。

自分を大切にする生き方

コメントを残す

「普通に働ける人」を前提にした会社は、いつまで強いのか――障害者雇用から考えるBPRと業務設計

Spread the love

「普通に働ける人」という前提が、人材の可能性を狭めていないか。元管理職で中途重度障害当事者の…

なぜ「答え」を渡すのをやめたのか?

――重度障害者になって気づいた、問いが人を動かす理由

Spread the love

管理職として「答えを与える側」だった私が、30歳で脳出血を発症し、中途重度障害者として「配慮…

障害者雇用は「採用・定着・評価」を別々に考えてはいけない――人が変わっても成果を生み出せる組織をつくるWork Architecture完全入門

Spread the love

障害者雇用は採用して終わりではありません。採用、業務設計、合理的配慮、管理職支援、評価、キャ…

● Recent Articles
Verified by MonsterInsights