1.私の死生観
昨日が阪神大震災から28年だったちうことで、被災者の一人として「死」について書きます。
死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。
誰にでも死は訪れるものですが、死後の世界は未知の世界でもあります。そのため、人の死に対する考え方や価値観などは個人で異なります。
つまり、正解はありませんし、人によっては宗教に大きく影響を受けることが多いです。
私は、よく自分を大切にと言っているし、重度障碍者になった時も、死は頭をよぎったけど、最終的に選択しなかったということで、死ぬのはいけないと思っていると誤解されることがよくあるが、私にとって死は身近であり、生の延長だと思っている。
この話だけで、かなり一般的な人と異なる感覚を持っていると感じると思いますし、私自身自覚しています。
あと健常者のころから「生への執着心はなかった」という個性もあります。
今日は、そんな私の死生観について少し話してみようと思う。
結論から話すと「生の反対が死ではなくて、生=死ということを意識して人生を送りましょう」という話です。
・「死ぬ覚悟」なんて必要ない。
・「死は恐怖の対象」ではない。
この二つを理解するだけで、ストレス減ります。
人の死亡率は100%、死は避けられない。
もう決まってるんです。
あとはいつ来るかだけですが、予測ができないってことと、死の正体が分からない、未知であるということが、不安と恐怖を生み出す。
2.神道の影響
私もですが、日本人の死生観に神道は大きく影響を与えていると思います。
神道(日本人)の「死生観」は、肉体という物質に産霊神(むすびのかみ)から魂を付与してもらうこと=「誕生」と捉える。
魂が産霊神の元に帰り、家の守り神になる=「死」と捉える
この魂は祖霊(たま)であり先祖代々の霊魂。
その祖霊を受け継いで、誕生という名でこの世に付与されている。
つまりは、自分の先祖たちの魂である祖霊から、神様の力によって新たな肉体に魂を入れてもらい現世に誕生する。
死んだら肉体から魂が抜けて神様の元に帰り、子孫へつなげる祖霊となる。
肉体とは霊魂を宿す入れ物であって、主とするのは霊魂と解釈できますし、だからこその「先祖信仰」です。
あなたの信仰は?と聞かれたときに、私は「先祖信仰」と答えますし、あなたの宗教は?と聞かれたら「道教よりの神道」ですといつも答えています。
だいぶん変わってますよね。
これは障碍者になって何かを悟ったわけではなく、元々がこの考え方で、障碍者になって、「自然への信仰が強まり」道教要素が色濃くなったかなと思います。
信仰がない人も、生や死について一度真剣に向き合うことは大切だと思うので、是非チャレンジしてみてほしいと思います。




















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