1.中途重度障碍者カウンセラー
おそらく私が作った言葉です。
当初と意味は変わってきたと思いますが、元々はリハビリを通して経験したこと学んだことを使って、障害の受容で苦しんでいる中途障碍者の方々に寄り添おうと思い「ピアカウンセリング」を学んだことがきっかけです。
その後、口コミで広がり健常者の方からもカウンセリングの依頼が入り始めたことで、中途重度障碍者がカウンセリングを行うので「中途重度障碍者カウンセラー」と名乗りました。
「中途重度障碍者をカウンセリングするカウンセラー」から「中途重度障碍者がカウンセリングするカウンセラー」に変わったのです。
なぜ、通常のカウンセラーでなはなく、中途重度障碍者カウンセラーに相談に来るのか?
という疑問も当初ありました。
そこで、何人かのクライアントさんに聞いてみたことがあります。
「なぜ、中途重度障碍者カウンセラーの私に依頼されたんですか?」
その回答は「なんだか優しそう」「辛い思いを経験されてるから達観してそう」「通常のカウンセラーさんだと説教じみたアドバイスをされそう」「ダメな自分も認めてもらえそう」
このような回答が非常に多かったです。
皆さんが中途重度障碍者にどのようなイメージを持たれているか分かりませんが、最初のカウンセリング後にお茶を飲みながら雑談で終わるんですが、皆さん想像より普通でしたとか障碍者の方のイメージ変わりましたとか言っていただけます。
普通とは何だろうと考えたりもしますが、概ね違和感なく終わっている印象です。
通常のカウンセラーさんと差別化できていないのかと悩むこともなく、取っ掛かりとして、「中途重度障碍者カウンセラー」は良いキャッチコピーになっているのかもしれません。
2.興味を持ってもらえている?
もしかしたら興味を持ってもらいやすくなっているのかもと、思ったりもしています。
カテゴリー分けは良くない、分断を生むだけという主張もありますし、私自身どちらかというとカテゴリー分けには反対の人間ですが、この「中途重度障碍者カウンセラー」という肩書は、思いっきりカテゴリー分けを利用しています。
矛盾しているとおっしゃられる人もいますが、自覚していますしわざとです。
「人間は矛盾を孕んでこそ魅力的になる」誰の言葉でもありませんが、私はこう考えるようにしています。
自分が死にかけて、通常の人より何倍も死の可能性が高い、いつ死ぬか分からない人生を7年生き抜いて感じることですが、「他人の目や評価を気にして自分を偽る暇なんて人生にはない」と思います。
3.何をしててもいい
私のカウンセリングでは当然否定はしませんし、アドバイスもありません。
時折、ニートの方やひきこもりの方がクライアントとしていらっしゃいますが、多くは親御さんからの依頼です。
そんな場合でも、時間通りにいらっしゃったり、話してみるとメディア等で流れるニートの方や引きこもりの方のイメージと大きく違っています。
ニート、引きこもりというようなカテゴライズをせずに、その人一人一人と向き合おうとしない社会や大人に不信感を持つことは当然だと思います。
そこで、私は当然話を聞くことから始めるのですが、想像よりもたくさん話してくれます。
個人的には、「大人になったら働くべき、子供は学校に行くべき」という固定概念がまだまだ根強いため、そのような大人と話してきていて、結構気を使っていたんだろうと想像できます。
私は、基本的に「何をしててもいい」と思っている人間なので、特に偏見なく否定もせずに聞いていますので、今までのフラストレーションを発散するかのように話してくれます。
どんなに自分の考えと違う意見でも一旦全て受け入れることから信頼関係は始まるというのが私の考えなので、それを貫き言葉を遮らず聴き続けます。
よく、私のメモが間に合わず、「今のところもう一度」といって話を止めてしまうことはよくあるのはご愛敬です。
片手ですので、キーボードのタッチも健常者の方より遅いです。
こんな感じでカウンセリングをしていますが、やはり今でも「障害の受容」に対する苦悩に寄り添いたいという想いは強いです。
4.障害の受容
私自身「障害の受容」できているかと言われると、分からないですが前向きに生きていすといつも答えます。
そもそも、当事者も医療関係者も「障害の受容」とは何なのか明確に分かっていないのだから厄介だと思います。
中には、「障害の受容」は必要なのか?という議論まである。
私は「障害の受容は必要なのか?」と聞かれたらその後の人生を生きる上での絶対条件ではないと答えるだろう。
取り繕わずに言葉にするなら、「どちらでもいい。当事者がしたいのならばすればいい」ということになる。
まず、「障害の受容」に対して、医療・福祉従事者がどのように教えられるかだが、
私の福祉大卒業の経験から説明する。ちなみに、私の妻は看護師だが全く同じ知識だった。
「障害受容」とは、「障害を直視し、障害に立ち向かい、障害とともに生きることも自己の生き方の一つである受け止め、生活していくことである」
しかし、定義を厳密に述べている論文は極めて少ない。
一般的に障害受容には次のような段階があるといわれています。
①ショック期:自分自身に何が起こったか理解できない状態。
②否認期:自分の障害から、目を背けて認めようとしない時期。
③混乱期:「怒り」・「悲しみ」・「抑うつ」などが現れる時期。
④解決への努力期:様々な事をきっかけにし、病気や障害に負けずに生きようと努力する時期。
⑤受容期:自分の障害をポジティブに前向きに捉えられるようになる時期。
もちろん、全ての人が同じような心理的な変化を経験するわけではありません。しかし、多くの方にこうした心境の変化が現れると考えられています。
私自身は、先ほどのような経過を辿っていませんので、障害受容の段階については懐疑的です。
では、なぜ「障害の受容」が必要なのでしょうか。
その答えは、現状を受け入れることで、障害と折り合いをつけて生活し、共存していくことで、その後の生活に活気が出るからと言われています。
そこで、「障害とうまく付き合っていく」方法を見つける手伝いをするのが私のようなピアカウンセラーだと考えています。
そして、その過程には、寄り添ってくれる人(家族・友人)の存在が必要不可欠であるといえます。
以上ですが、これ本当だと思いますか?
自分が障碍者になったと思ってイメージしてください。
⑤受容期はできそうですか?
私のように左足が不自由だけど歩ける。左腕が動かないけど利き腕は右だから生活できるという人ならわかりませんが、全盲で全く見えなかったら?声が出なくなったら?
下半身不随で車いす生活になったら?頚椎損傷で四肢が麻痺して寝たきりになったら?
どの障害が辛いとか人それぞれなので比べたりはしませんが、頑張れば「障害の受容」ができるという幻想は、医療・福祉従事者、ご家族・友人の、皆様持たないでいただきたいと思っています。
頑張ればできる、世の中そんな甘いものばかりではありません。
一人の中途重度障害者として、「障害の受容」のお手伝いをカウンセラーとしてすると心に誓った者としてお伝えしたかったことです。
全ては当事者本人の選択です。
私は「障害の受容」をしようと思ったことはありませんが、医者からは「障害受容」が出来ていると言われます。
非常に不可解な現象ですが、結局のところ誰にも分かりません。
それが「受容」なのか「諦め」なのかの区別もつかないのです。
それならどうすればいいのか?
当事者の皆さんに言いたいのは、「自分を信じて」「自分を大切に」してください。
医療関係者、福祉関係者、ご家族に言いたいのは、「成果を求めず」寄り添ってください。
私は当事者として「自分を大切にする生き方」を実践しているものとして、「自分を大切にしてください」と伝えたかったし、当事者にただ寄り添いたかったという思いから、「中途重度障碍者カウンセラー」というものを作りなりました。



















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