はじめに|「もっとちゃんと考えて働こう」って、そんな簡単なことじゃないよね?
「ちゃんと考えて働きなさい」──
誰もが一度は耳にしたことのあるこの言葉。でも実際、ちゃんと考えるってそんなに簡単なことじゃない。
私は10年前、脳出血で倒れ、左半身が麻痺し、中途重度障害者となった。
それでも社会に戻り、今も働いている。考えながら、迷いながら、時には立ち止まりながら。
「もっと考えなきゃ」と思う日もあれば、「考えすぎて動けなくなる」日もある。
それでも、ちゃんと考えて働くことには、意味がある。それは、自分で人生を選ぶということだから。
第1章|「考えて働く」とはどういうことか?
“作業”ではなく“仕事”をするということ
多くの人が、毎日の仕事の中で「やること」に追われてしまっている。
何も考えずに流れ作業をこなして、気づけば1日が終わっている。
でも、それって本当に“働いている”と言えるだろうか?
「考えて働く」とは、次のような問いを持つことだ。
- これは何のための仕事なのか?
- 誰に、どんな価値を届けるのか?
- 本当に今のやり方でいいのか?
そうやって自分の頭で問いを立て直すことが、作業を仕事に変えていく。
障害者としての“思考の大切さ”
私にとって、「考えること」は生きる術でもある。
身体が動かしづらい分、思考の力が自分を助けてくれる。
だからこそ、どんな仕事も「意味」を考えながら取り組むようになった。
ただこなすのではなく、価値を生むにはどうすればいいか──そこに集中している。
第2章|なぜ「考える」のは、こんなにも難しいのか?
疲れていると、考える余裕がない
人間は疲れていると、考えるよりも「目の前のことを済ませる」方向に流れていく。
脳は省エネモードに入ってしまう。
特に私のように、体に制限がある人にとって、考える体力さえ削られてしまうことがある。
「もう無理…」「とにかく今日を乗り切ろう」
そんな日もたくさんあった。
「考えすぎ」て動けなくなることもある
一方で、「ちゃんと考えよう」とするあまり、何もできなくなってしまうこともある。
- 「この判断は間違っていないか」
- 「自分が動くことで、誰かに迷惑をかけないか」
そんなふうに、ぐるぐると考えすぎて、動けなくなる。
でも、今はこう思っている。
“考える”というのは、完璧な答えを出すことじゃない。
“自分を信じて選ぶこと”そのものなんだ。
第3章|それでも“考えること”をあきらめない理由
考えることをやめたら、きっと私は“生きている実感”を失ってしまう。
働いていても、何も感じなくなる。自分が機械みたいになる。
障害を負ったことで、「自分で考えて動く」ことの大切さを痛感した。
誰かに言われたからではなく、**「自分で意味を見つけて選ぶ」**ことで、ようやく私は“働いている”と感じられるようになった。
考えることは、自分の人生を、自分の手に取り戻すことなのだ。
第4章|実践ヒント:ちゃんと考えるための3つの習慣
1. “目的”を一言で書き出してみる
「今日の目的」を毎朝一言だけ書いてみる。
それだけで、仕事の中に“軸”ができる。
例:
・「今日は相手の話を最後まで聞く」
・「余白時間を作って調整に使う」
2. 迷ったときは“5秒立ち止まる”
何かを決めるとき、すぐに反応しないで5秒だけ深呼吸する。
その一瞬の“余白”が、失敗を減らす。
3. 誰かと話す時間をつくる
考えることは一人でもできるけど、「言葉にする」ことで深まっていく。
家族、友人、同僚、カウンセラー──誰でもいい。
自分の考えを言葉に出すと、新しい視点が生まれる。
おわりに|考えることは、希望と向き合う力になる
「ちゃんと考えて働く」って、時にしんどい。
でも、それは**“生き方を選ぶ”という行為**そのものだと思う。
私にとって、“考える”という行為は、障害を負ってもなお、「自分で人生を選び続ける」手段だ。
だから、たとえ迷っても、疲れても、
今日もまた、ちゃんと考えながら働きたい。
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あなたの“考える力”が、誰かの明日に光をともすかもしれません。



















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