「障害を乗り越えた」という言葉を聞くたびに、どこか違和感を覚えます。それはまるで、障害という壁を一度越えたら元の自分に戻れるかのような響きがあります。でも、私がこれまで生きてきた10年の中で、それを実感したことは一度もありません。
中途重度障害者としての私の日常は、決して劇的な成功や「克服」とは無縁です。むしろ、障害と共に生き、共存すること。それが私の日々のリアルであり、真実です。
「乗り越えた」ではなく「共存している」
障害者を称賛する言葉として、よく「乗り越えた」という表現が使われます。それは美しい言葉ですが、私たち障害者にとっては少し重たい鎧のように感じることがあります。なぜなら、障害は決して「過去の出来事」ではないからです。
たとえば、私は脳出血による左半身麻痺を抱えています。リハビリを続け、生活の一部を取り戻すことができましたが、自由に動けるわけではありません。階段を上るだけで体力を消耗し、買い物ひとつも計画的に行わないといけない。そんな「今ここ」にある現実を無視して、「克服した」と言われると、心が少しだけざわついてしまうのです。
日々の工夫が「共存」への道
私が今、大切にしているのは、障害を受け入れ、共に生きるということです。それは、特別なことをするのではなく、日々の暮らしを私に合った形に整えること。その積み重ねが「共存」だと思っています。
私が実践している「共存の工夫」
無理をしない選択
体力が限られる中で、自分のペースを守ることを最優先にしています。仕事もフルタイムではなく、パラレルライフを選びました。ブログを書く時間を大切にし、私の経験を伝えることをライフワークにしています。
支援を受け入れる心
ヘルパーさんや家族に頼ることを「恥」だと思わなくなりました。むしろ、それは私が前向きに生きるためのパートナーシップだと感じています。
小さな喜びを見つける
手が不自由でも、自分なりに工夫して作った料理、無事に終えた一日の仕事。これらの小さな達成感が私の「生きている実感」につながっています。
共感の輪を広げたい
この記事を通して、伝えたいことがあります。それは「障害を抱えていても、特別なヒーローにならなくていい」ということです。
「乗り越えた」という物語は一見美しいですが、それが誰かを追い詰めることもあります。「克服できない自分はダメなのかもしれない」と思わせてしまうからです。実際、私自身もその言葉に苦しめられたことが何度もありました。
だからこそ、私は「共存」という考え方を大切にしています。障害は消えないけれど、それを抱えながらも、自分らしく生きる選択肢はある。そんなメッセージが、この文章を読んでいるあなたの心に届けば嬉しいです。
社会に求める「当たり前」の環境
私たち障害者が本当に必要としているのは、特別な扱いや過剰な称賛ではありません。ただ、当たり前の生活ができる環境。それだけで、私たちの生きやすさは大きく変わります。
段差のない道
使いやすい公共交通機関
フレキシブルな働き方
これらは「特別」ではなく、誰にとっても優しい社会の仕組みです。こうした環境を一緒に作っていけたら、障害者がもっと自然に、そして笑顔で暮らせる社会になると思います。
最後に
私の人生は「障害を乗り越える」物語ではありません。でも、それでいいと思っています。障害と共に歩む中で、私自身が多くのことを学び、自分らしい生き方を見つけられました。
この文章が、障害を抱える人、その家族、そして社会全体に「共存」の大切さを考えるきっかけになれば幸いです。そして、もしこの記事に共感していただけたら、ぜひシェアしてください。共感の輪が広がることで、もっと多くの人が「自分らしい生き方」に気づけるはずです。
あなたも、「共存」を選んでみませんか?
障害者雇用で「仕事を切り出す」だけでは足りない
――元課長・中途重度障害当事者が考える「人を活かす仕事の再設計」
障害者雇用で「仕事を切り出す」だけでは、本当の人材活用にはつながりません。健常者時代に課長を…



















コメントを残す