「生きるとは楽しいこと」──奇跡ではなく、それが本来の世界の姿

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重度の身体障害を抱えながらも、毎日幸せに暮らせる──そんな話を聞くと、多くの人は「それは奇跡のようだ」と思うかもしれません。しかし、私は最近こう考えます。それは奇跡ではなく、本来そうあるべき世界の姿なのではないか、と。

「生きるとは楽しいこと」。この言葉が私たちの日常にどれほど浸透しているでしょうか?忙しさや困難の中で、楽しむことを忘れてしまう瞬間はありませんか?私自身、障害を抱えたことで生きづらさを感じた時期もありました。しかし、いま振り返ると、人生を楽しむ力を見つけることで、その生きづらさが和らぎ、むしろ新しい世界が広がったのです。

本記事では、「生きるとは楽しいこと」をキーワードに、重度の身体障害者としての視点から、どのように日々の幸せを見つけ出し、それが奇跡ではなく本来の世界の姿であるかをお伝えしたいと思います。

障害とともに生きる現実
私は右脳出血による左片麻痺を抱え、日常生活の多くの場面で支援が必要です。最初は「なぜ自分がこんな目に」と思ったこともありました。健常者の頃に当たり前だったことが、突然できなくなる──その事実に打ちのめされ、未来が見えなくなる瞬間もありました。

しかし、日々を過ごす中で気づいたのは、「失ったもの」にばかり目を向けるのではなく、「まだあるもの」や「新たに得られるもの」に目を向けることの大切さです。たとえば、左手が使えない分、右手でできることを増やしてみる。自分一人でできないことは、他人に頼る勇気を持つ。これらの小さな挑戦を積み重ねることで、日々の生活は少しずつ「楽しいもの」に変わっていきました。

幸せの鍵は「楽しさを見つける力」
「楽しさ」は決して大きな出来事や豪華な体験の中にだけあるものではありません。むしろ、小さな日常の中にこそ隠れていることが多いのです。

たとえば、朝起きて好きな音楽を聴く、窓から差し込む陽の光を感じる、近所のカフェで美味しいコーヒーを飲む──これらは一見すると些細なことかもしれません。でも、こうした小さな「楽しいこと」を見つける力こそが、幸せの鍵だと思うのです。

障害を抱えることで気づいたのは、他人が当たり前と思うようなことにも、実は無限の喜びが詰まっているということです。「できること」を一つ一つ楽しむうちに、日々の生活が輝いて見えるようになりました。

他者とのつながりが楽しさを広げる
もう一つ重要なのは、「他者とのつながり」です。障害を抱える中で、私は多くの人々に助けられてきました。その中で気づいたのは、助けを受けるだけでなく、他者と共有することで楽しさが何倍にも広がるということです。

たとえば、ちょっとした散歩でも、誰かと一緒に話しながら歩けば、それはただの運動ではなく「楽しい時間」に変わります。また、自分の経験を話したり、相手の話を聞く中で新しい視点を得ることも、日常を豊かにする大きな要素です。

障害を持つことで、他者との関係が深まることがあります。それは時に、思いがけない喜びをもたらします。たとえば、支援を受けることがきっかけで心のつながりが生まれ、そこから新しい友情やコミュニティが広がることもありました。

世界はもっと「楽しいこと」で満ちているべき
では、なぜ「生きるとは楽しいこと」という考えが、障害を抱える私にとって特別なのか。それは、日常の中で苦しい経験や困難と向き合うことが多いからこそ、その中に喜びを見出すことの価値を強く感じるからです。

ただ、これは障害を持つ人だけに限ったことではありません。忙しい現代社会の中で、多くの人が「生きること=大変なこと」という先入観を抱いているように思います。しかし、少し視点を変えるだけで、私たちの周りには本来、楽しさで満ちた世界が広がっているはずなのです。

もし、世界が「もっと楽しいこと」で満ちているべきだという価値観を共有できれば、私たちの生き方も、社会の在り方も変わるのではないでしょうか。

「生きるとは楽しいこと」を取り戻すために
最後に、「生きるとは楽しいこと」を取り戻すための具体的なヒントをいくつか共有します。

小さな楽しみを見つける
「これをしたら少し嬉しい」と思えることを毎日一つ探してみましょう。それは特別なことではなくても構いません。

自分を許す
完璧を目指さなくても大丈夫です。「これくらいでいい」と自分に言い聞かせることで、心が軽くなり、楽しむ余裕が生まれます。

人と共有する
楽しさは分かち合うことで広がります。友人や家族と楽しさを共有することで、より豊かな時間を過ごせるようになります。

立ち止まる勇気を持つ
忙しさに流されるのではなく、時には立ち止まって「何が楽しいか」を考える時間を持つことが大切です。

結び
「生きるとは楽しいこと」。これは、奇跡のように思えるかもしれませんが、本来それが当たり前の世界であるべきです。障害を抱えながらも、毎日を楽しみ、幸せを感じることは決して特別なことではありません。

この考えが、多くの人に届き、「生きるとは楽しい」という感覚を共有できる世界が広がることを願っています。誰もがその小さな楽しみを見つけ、分かち合いながら生きられる世界へ──それこそが、本来あるべき姿ではないでしょうか。

“「生きるとは楽しいこと」──奇跡ではなく、それが本来の世界の姿” への1件のフィードバック

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