目次
- はじめに:なぜ“見えないもの”を観る力が必要なのか
- 見えないものを“観る”とはどういうことか
- 言葉にならない言葉を“聞く”とは何を意味するのか
- 中途障害者として得た“視点の変化”
- 健常者の視点と障害者の視点のあいだで揺れる自己
- 方法論ではなく“在り方”の話
- まとめ:見えないものを見るとは、生き方を変えること
1. はじめに:なぜ“見えないもの”を観る力が必要なのか
「人の気持ちが分からない」「相手の本音が読めない」と感じる現代社会。
テクノロジーが進化し、コミュニケーションが加速する一方で、私たちは「相手の奥にある感情」や「言葉にできない心の叫び」に触れることが難しくなっています。
特に中途で重度障害を負ったカウンセラーとして私が痛感しているのは、「見えないものを観る力」「言葉にならない言葉を聞く力」が、人との信頼関係を築くうえでいかに重要かということです。
2. 見えないものを“観る”とはどういうことか
“観る”とは、単に視覚で捉えるのではなく、
その人の奥にある思い、背景、沈黙に宿る感情を汲み取ろうとする姿勢です。
例えとしてよく挙げられるのが、
- 笑っているけれど目が笑っていない
- 元気そうに見えているけれど、言葉数が極端に少ない
といった状態。
これらは、表面に見えているものでは理解できない深層のシグナルなのです。
3. 言葉にならない言葉を“聞く”とは何を意味するのか
障害者としての経験から、私は「伝えたくても伝えられない」もどかしさを幾度も味わってきました。
だからこそ、「言葉として発されていないもの」に耳を澄ませることの大切さを痛感します。
それは、
- “沈黙”というメッセージを読み解く力
- “震える声”に含まれた葛藤を感じ取る力
- “語られなかった過去”に思いを馳せる想像力
つまり、“聞く”とは「音を拾うこと」ではなく、存在そのものを受け止めることなのです。
4. 中途障害者として得た“視点の変化”
脳出血によって身体の自由を失ったとき、同時に私の“見える世界”も変わりました。
以前は気づけなかった人のしぐさや沈黙が、今は痛いほど伝わってくる。
これは、**失ったことによって得た“新しい視覚”**だと思っています。
- 障害者の目線で見る社会の冷たさ
- 誰にも気づかれない優しさ
- 伝わらない痛みへの無力感
これらが、私を「観る人」「聞く人」へと少しずつ変えてくれました。
5. 健常者の視点と障害者の視点のあいだで揺れる自己
私は今、健常者としての記憶と障害者としての現在の間で揺れています。
かつての自分は、
- 論理的に話すことが得意だった
- 結論や答えをすぐに出したがった
- 弱さを見せることが恥ずかしいと思っていた
しかし、今は違います。
- 答えが出ないことを抱えておく強さ
- 弱さに寄り添うことの美しさ
- 沈黙を共有することの価値
これらを少しずつ学んでいます。
まさに、「視点のハイブリッド化」と呼べるような立ち位置です。
6. 方法論ではなく“在り方”の話
「どうすれば見えないものを観ることができるのか?」
「どうすれば言葉にならない声を聞けるようになるのか?」
この問いに対する答えは、技術やノウハウではないと私は思います。
それはむしろ、「どのように他者と向き合うか」という“在り方”に関わる問題です。
- 傾聴する姿勢
- 共感しようとする意志
- 答えを出さずに受けとめる覚悟
このような日々のあり方の積み重ねこそが、
「観る力」や「聞く力」を育てる唯一の方法なのではないでしょうか。
7. まとめ:見えないものを見るとは、生き方を変えること
「見えないものを観る」「言葉にならない言葉を聞く」ことは、スキルではなく生き方の選択です。
障害を負ったことで私は、人の痛みや孤独により敏感になりました。
そして、沈黙のなかにこそ、もっとも豊かな人間の物語が潜んでいることを知りました。
私たちができることは、完璧に理解することではなく、
理解しようとする姿勢を手放さないことです。
見えないものを観ようとする
言葉にならない声を聞こうとする
この“まなざし”と“耳”を持ち続けることが、
私の人生の軸であり、カウンセラーとしての信条です。


















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