医療・介護の人手不足は本当か|優しい人が壊れる現場に足りない「人を守る設計思想」

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はじめに|「人が足りない」の前に、壊れていく人がいる
医療や介護の人手不足という言葉を聞くたびに、私は少しだけ胸が苦しくなります。
人が足りない。
看護師が足りない。
介護職員が足りない。
ヘルパーが足りない。
医師が足りない。
ケアマネジャーが足りない。
たしかに、それは事実なのでしょう。
病院では夜勤が回らない。
介護施設ではシフトが埋まらない。
訪問介護では利用者宅を回る人がいない。
地方では診療科が縮小される。
救急の受け入れが難しくなる。
在宅で暮らしたい人を支える人がいない。
数字だけを見れば、医療・介護の人手不足は現実です。
けれど、私はこの言葉にずっと違和感があります。
本当に、足りないのは「人」だけなのでしょうか。
私は中途重度障害者として生きています。
そして、カウンセラーとして、人の苦しさや限界に触れることがあります。
その視点から見ると、医療や介護の人手不足は、単なる採用難ではありません。
むしろ、もっと手前にある問題です。
人が足りないのではなく、
人が残れない。
人が弱いのではなく、
人が壊れるまで頑張らされている。
人が来ないのではなく、
来た人を守る仕組みが足りない。
そう見えてしまうのです。
医療や介護の現場には、優しい人が多いと思います。
患者さんのために。
利用者さんのために。
家族さんのために。
地域のために。
命のために。
生活のために。
そうやって、自分の心と身体を少しずつ削りながら働いている人がいます。
本当は休みたい。
本当はつらい。
本当はもう限界に近い。
それでも、誰かが困るから休めない。
自分が抜けたら現場が回らない。
あの利用者さんを放っておけない。
患者さんの不安を無視できない。
同僚に迷惑をかけたくない。
そうして、優しい人ほど自分を後回しにしてしまう。
私は、その構造そのものが危ういと思っています。
医療・介護の問題は、ただの業界問題ではありません。
これは、日本社会全体に共通する問題です。
人に頼りすぎている。
現場の善意に甘えすぎている。
責任感のある人に仕事を集めすぎている。
「やりがい」という言葉で、働く人の限界を見えなくしている。
だから、この記事では「医療・介護の人手不足」を、単なる人数の問題としては扱いません。
人手不足の奥にあるもの。
優しい人が壊れていく理由。
支える人が支えられていない現実。
そして、これからの働き方に必要な設計思想。
それを、中途重度障害者カウンセラーの視点から考えていきます。
結論から言えば、医療・介護に本当に不足しているのは、人だけではありません。
不足しているのは、人を守る仕組みです。
不足しているのは、人を壊さずに働ける設計です。
不足しているのは、優しい人を使い潰さない覚悟です。
第1章|医療・介護の人手不足は、単なる人数の問題ではない
医療・介護の人手不足を語るとき、多くの議論は人数から始まります。
看護師が足りない。
介護職員が足りない。
訪問介護員が足りない。
医師が足りない。
ケアマネジャーが足りない。
もちろん、人数は重要です。
現場に人がいなければ、サービスは提供できません。
病棟は回らない。
夜勤は組めない。
訪問介護は組めない。
入浴介助も、食事介助も、排泄介助も、記録も、申し送りも、家族対応も滞ります。
しかし、ここで一度立ち止まる必要があります。
なぜ、人が足りなくなったのでしょうか。
本当に、社会に働ける人がいないのでしょうか。
私は、そう単純ではないと思います。
医療・介護の現場には、最初から冷めた気持ちで入ってくる人ばかりではありません。
人の役に立ちたい。
高齢者を支えたい。
病気の人を支えたい。
地域医療に貢献したい。
人生の最後に寄り添いたい。
家族の不安を少しでも軽くしたい。
そういう思いで働き始めた人も多いはずです。
けれど、その人たちが辞めていく。
なぜでしょうか。
心が弱いからでしょうか。
根性がないからでしょうか。
向いていなかったからでしょうか。
最近の若い人が我慢できないからでしょうか。
私は違うと思います。
多くの場合、辞める人が弱いのではありません。
働き続けられる構造が弱いのです。
業務量が多すぎる。
夜勤や早番遅番で生活リズムが崩れる。
人員配置がぎりぎりすぎる。
休みづらい。
相談しづらい。
教育が属人的。
新人が十分に育つ前に現場へ出される。
利用者や家族対応で心が削られる。
記録業務が多い。
事故やクレームへのプレッシャーが重い。
それでも「やりがい」で耐えることを求められる。
これでは、人が辞めるのは自然です。
人手不足なのではありません。
人が残れないのです。
そして、人が残れない職場は、さらに人手不足になります。
残った人に負担が集中する。
負担が増えた人が疲弊する。
疲弊した人が辞める。
さらに残った人が苦しくなる。
この悪循環が、医療・介護の現場で起きています。
つまり、問題の本質は採用だけではありません。
定着できない構造です。
もっと言えば、人を守れない構造です。
第2章|介護の現場は、社会の限界を最も早く映し出している
介護の現場は、日本社会の未来をかなり早く映し出しています。
高齢化。
家族機能の変化。
地域の過疎化。
人材不足。
低賃金。
物価高。
事業者の倒産。
在宅生活の限界。
家族介護の負担。
これらが、介護の現場に一気に押し寄せています。
訪問介護が維持できない。
施設で人が集まらない。
夜勤者が足りない。
送迎が組めない。
入浴日を減らさざるを得ない。
利用者を受け入れたくても受け入れられない。
こうしたことは、単に介護業界だけの問題ではありません。
介護が崩れると、家族が崩れます。
家族が崩れると、仕事を辞めざるを得ない人が出ます。
在宅生活が崩れると、病院に負担がかかります。
病院が詰まると、地域医療が苦しくなります。
つまり、介護は社会の土台です。
その介護を、現場の善意と根性だけで支え続けることには限界があります。
介護職の仕事は、外から見るよりはるかに複雑です。
身体介助。
認知症対応。
排泄介助。
入浴介助。
食事介助。
服薬確認。
転倒予防。
家族対応。
記録。
申し送り。
急変対応。
看取り。
感情の受け止め。
そこには、単なる作業ではない、人間への深い理解が必要です。
それなのに、社会は介護の価値を十分に評価してきたでしょうか。
「誰でもできる仕事」のように見てこなかったでしょうか。
家族がやってきたことだから。
女性が担ってきたことだから。
生活の世話だから。
専門性が見えにくいから。
そうやって、介護の仕事を軽く見てきた社会のツケが、今、現場に出ているように思います。
介護の人手不足は、単に人が集まらない問題ではありません。
介護という仕事の価値を、社会が十分に認めてこなかった結果でもあります。
第3章|医療現場も同じである。命を守る人を、誰が守るのか
医療の現場も同じです。
医療は命を守る仕事です。
だからこそ、そこで働く人には高い責任感が求められます。
ミスが許されない。
判断が遅れれば命に関わる。
患者や家族の不安を受け止める。
夜勤がある。
緊急対応がある。
感染リスクがある。
身体的負担も精神的負担も大きい。
医療従事者は、専門職であると同時に、感情労働者でもあります。
患者の不安。
家族の怒り。
死への恐怖。
回復しない現実。
制度への不満。
待ち時間への苛立ち。
説明しても伝わらない苦しさ。
そうしたものを受け止めながら、正確な判断と作業を求められる。
これは、非常に過酷な仕事です。
ところが、医療現場でも長く「使命感」が安全弁のように使われてきました。
患者さんのためだから。
命を守る仕事だから。
医療職なのだから。
専門職なのだから。
忙しいのは当たり前。
休めないのは仕方ない。
弱音を吐いてはいけない。
しかし、医療従事者も人間です。
疲れます。
傷つきます。
不安になります。
家庭があります。
生活があります。
体調があります。
限界があります。
命を守る仕事だからこそ、働く人の命と生活も守られなければならない。
これは綺麗事ではありません。
むしろ、安全管理そのものです。
疲弊した人が、命を守る現場で働き続けることは危険です。
睡眠不足。
慢性疲労。
心理的ストレス。
人間関係の摩耗。
過剰な責任感。
相談できない職場風土。
これらは本人を壊すだけではありません。
医療安全にも関わります。
だから医療業界の人手不足も、単に「もっと人を採用しよう」では解決しません。
必要なのは、医療従事者が長く働ける構造です。
タスクシフト。
業務分担。
記録負担の軽減。
ICT活用。
心理的安全性。
休息の確保。
教育の標準化。
ハラスメント対策。
夜勤負担の見直し。
多職種連携の再設計。
人を増やす前に、人が壊れない仕組みをつくる。
この順番を間違えると、いくら採用しても人は辞め続けます。
第4章|中途重度障害者の視点から見ると、医療・介護の問題は「標準的人間」への依存である
私は中途重度障害者です。
障害者として働き、生活し、社会と関わっていると、職場や制度がいかに「標準的人間」を前提に作られているかがよく分かります。
毎日同じ時間に出勤できる。
長時間集中できる。
通勤で大きく消耗しない。
急な体調変化がない。
周囲と同じ速度で動ける。
雑音や光に耐えられる。
曖昧な指示でも察して動ける。
空気を読める。
休まず働ける。
感情を乱さない。
こうした人間像が、暗黙の前提になっている職場は多いです。
医療・介護も例外ではありません。
むしろ、人の命や生活を支える現場だからこそ、「強い人」「動ける人」「休まない人」「気が利く人」「体力がある人」への依存が強くなりやすい。
けれど、これからの日本で、その前提はどんどん崩れます。
働く人自身も高齢化します。
介護を抱える人が増えます。
病気や障害を抱えながら働く人も増えます。
育児と仕事を両立する人も増えます。
メンタル不調を抱える人もいます。
体力に制約のある人もいます。
地方では通勤や移動そのものが負担になる人もいます。
つまり、これからの医療・介護を支えるには、「標準的人間」だけを前提にしてはいけないのです。
ここで重要になるのが、障害者視点です。
障害者視点とは、障害者だけのための視点ではありません。
それは、人間には制約があるという現実から職場を設計する視点です。
すべての人が、いつも元気ではない。
すべての人が、長時間働けるわけではない。
すべての人が、同じ環境で力を出せるわけではない。
すべての人が、曖昧な指示で動けるわけではない。
すべての人が、感情労働に耐え続けられるわけではない。
この現実を前提にすること。
それが、これからの医療・介護の再設計に必要な視点です。
障害者雇用で必要とされる合理的配慮は、実は医療・介護全体にも必要です。
業務を分解する。
手順を見える化する。
指示を明確にする。
休息を確保する。
コミュニケーションを標準化する。
身体的負担を減らす。
精神的負担を共有する。
できる仕事とできない仕事を整理する。
一人に抱え込ませない。
これは障害者だけのためではありません。
新人にも必要です。
高齢職員にも必要です。
子育て中の職員にも必要です。
介護中の職員にも必要です。
メンタル不調から回復中の人にも必要です。
すべての職員に必要です。
つまり、障害者視点は、医療・介護を弱くするものではありません。
むしろ、現場を持続可能にするための強い設計思想なのです。
第5章|医療・介護が人を失う本当の理由――優しい人ほど壊れていく構造
医療・介護の現場で、最も深刻なこと。
それは、優しい人ほど壊れていくことです。
人の痛みに気づける人。
利用者の表情をよく見ている人。
患者の不安に寄り添える人。
家族の言葉の裏側を感じ取れる人。
同僚の負担に気づいて手を貸す人。
責任感が強い人。
自分より相手を優先してしまう人。
こういう人ほど、現場で重宝されます。
そして、重宝される人ほど、仕事が集まります。
あの人なら頼める。
あの人なら断らない。
あの人なら気づいてくれる。
あの人なら利用者さんも安心する。
あの人なら新人も見てくれる。
あの人なら家族対応も任せられる。
そうして、優しい人の上に、仕事と責任が積み上がっていきます。
最初は、本人も頑張ります。
必要とされていると感じるからです。
役に立てていると感じるからです。
自分がやらなければと思うからです。
けれど、やがて限界が来ます。
眠れなくなる。
休日も仕事のことを考える。
利用者の言葉が頭から離れない。
ミスが怖くなる。
同僚に頼れなくなる。
休むことに罪悪感を覚える。
自分が冷たくなったように感じる。
人に優しくできない自分を責める。
そして、ある日ふっと心が折れる。
これは個人の弱さではありません。
優しさに依存する構造の失敗です。
医療・介護の現場では、優しさが必要です。
しかし、優しさを燃料にしてはいけない。
優しさは、守られて初めて続きます。
人を支える仕事に就く人ほど、自分も支えられる必要があります。
それなのに、多くの現場では、支える人を支える仕組みが弱い。
相談体制が弱い。
心理的ケアが後回し。
教育が現場任せ。
感情労働が見えない。
利用者や家族からのハラスメント対応が曖昧。
休む人が責められる。
頑張る人にさらに仕事が集まる。
これでは、優しい人から順番に消えていきます。
そして、優しい人が消えた現場は、さらに荒れます。
残った人は余裕を失い、利用者や患者への対応も硬くなる。
すると、クレームが増え、さらに現場が疲弊する。
これは、医療・介護だけの問題ではありません。
学校でも、企業でも、地域活動でも、家庭でも同じです。
優しい人に依存する組織は、長期的には必ず壊れます。
だからこそ、これからの医療・介護に必要なのは、優しい人を増やすことだけではありません。
優しい人が壊れずに働ける構造をつくることです。
第6章|「やりがい搾取」は医療・介護で最も起きやすい
医療・介護の仕事には、やりがいがあります。
人の命を守る。
生活を支える。
人生の最後に寄り添う。
家族の不安を軽くする。
地域を守る。
これほど意味のある仕事は、そう多くありません。
しかし、意味のある仕事ほど、やりがい搾取が起きやすい。
なぜなら、「お金ではない価値」があるからです。
患者さんのため。
利用者さんのため。
家族のため。
地域のため。
命のため。
福祉のため。
この言葉は、本来とても尊いものです。
しかし、経営や制度がその言葉に甘えた瞬間、現場は壊れます。
低賃金でも我慢してほしい。
人が足りなくても頑張ってほしい。
休めなくても責任感で乗り切ってほしい。
記録が多くても現場で工夫してほしい。
クレーム対応も耐えてほしい。
感情を乱さず、笑顔でいてほしい。
これを続ければ、人は壊れます。
やりがいは大切です。
けれど、やりがいは労働条件の代替物ではありません。
使命感は大切です。
けれど、使命感は人員配置の代替物ではありません。
感謝は大切です。
けれど、感謝は賃金や休息の代替物ではありません。
医療・介護の現場を守るためには、この当たり前を取り戻さなければなりません。
人を支える仕事だからこそ、人を支える条件が必要なのです。
第7章|解決策1――業務の標準化こそ、人を守る最初の投資である
医療・介護の現場で最初に必要なのは、業務の標準化です。
標準化というと、冷たい言葉に聞こえるかもしれません。
しかし、標準化は人間性を奪うものではありません。
むしろ、人を守るための土台です。
なぜなら、標準化されていない職場では、仕事が属人化するからです。
あの人しか分からない。
ベテランに聞かないと進まない。
申し送りが人によって違う。
記録の書き方がばらばら。
新人が何を覚えればいいか分からない。
トラブル時の対応が曖昧。
休んだ人の仕事を誰も引き継げない。
こういう職場では、人が辞めるたびに現場が崩れます。
新人は育ちにくい。
ベテランは休めない。
管理者は常に火消しに追われる。
ミスも増える。
離職も増える。
だからこそ、医療・介護には標準化が必要です。
手順書をつくる。
動画マニュアルをつくる。
チェックリストを整える。
申し送りの型を統一する。
記録の基準を揃える。
新人教育の流れを見える化する。
事故対応のフローを明確にする。
家族対応の基本方針を共有する。
これは、冷たい合理化ではありません。
人を守るための優しさです。
標準化があれば、新人は安心して学べます。
ベテランは抱え込みから解放されます。
管理者は教育を現場任せにしなくて済みます。
障害や体調の波がある人も、見通しを持って働きやすくなります。
介護や育児で時短勤務の人も、業務に入りやすくなります。
つまり、標準化は多様な人を戦力化する入口なのです。
第8章|解決策2――医療・介護こそ、職務を分解すべきである
医療・介護の仕事は、非常に複雑です。
一人の職員に求められる範囲が広すぎることがあります。
身体介助。
生活援助。
記録。
家族対応。
送迎。
清掃。
電話対応。
物品管理。
委員会活動。
新人教育。
緊急対応。
会議。
感情労働。
これらをすべて「現場職員の仕事」として抱え込ませると、人は疲弊します。
だから必要なのは、職務の分解です。
本当に専門職がやるべき仕事は何か。
補助できる仕事は何か。
事務職が担える仕事は何か。
ICTで減らせる仕事は何か。
短時間勤務者に切り出せる仕事は何か。
障害者雇用として設計できる仕事は何か。
地域人材やシニア人材が関われる仕事は何か。
この分解ができれば、医療・介護の人手不足は少し違って見えてきます。
「全部できる人」を探すから、採用が難しくなるのです。
「この業務ならできる人」を増やせば、関われる人は広がります。
身体介助は難しくても、記録補助ならできる人がいるかもしれません。
夜勤は無理でも、日中の短時間なら働ける人がいるかもしれません。
現場対応は難しくても、マニュアル整備や動画作成なら力を発揮できる人がいるかもしれません。
通勤は難しくても、遠隔で事務支援や資料作成ができる人がいるかもしれません。
電話対応は苦手でも、データ整理やチェック業務なら正確にできる人がいるかもしれません。
この発想は、障害者雇用にもつながります。
障害者を「何でもできる人」として採用しようとすると、難しくなります。
しかし、職務を分解し、得意な部分を任せる設計にすれば、戦力化できる可能性は大きく広がります。
医療・介護の未来は、万能人材を探すことではありません。
業務を分解し、多様な人が少しずつ支えられる構造を作ることです。
第9章|解決策3――支える人を支える仕組みをつくる
医療・介護の現場で最も必要なのは、支える人を支える仕組みです。
患者を支える。
利用者を支える。
家族を支える。
地域を支える。
その前に、職員を支えなければなりません。
職員が壊れれば、支援は続きません。
ここで必要なのは、精神論ではなく仕組みです。
定期的な面談。
心理的ケア。
スーパービジョン。
ハラスメント対応。
休憩の確保。
相談窓口。
管理者教育。
チームで抱える文化。
感情労働の共有。
利用者・家族対応のルール化。
特に、医療・介護の現場では「つらい」と言いにくい空気があります。
みんな大変だから。
自分だけ弱音を吐けない。
患者さんの方が大変だから。
利用者さんの生活がかかっているから。
自分が休むと迷惑がかかるから。
この空気が、人を追い詰めます。
だからこそ、「つらい」と言える仕組みが必要です。
つらいと言えること。
休めること。
相談できること。
交代できること。
抱え込まなくていいこと。
これは甘えではありません。
安全管理です。
支える人を支えない現場は、いずれ利用者も患者も支えられなくなります。
第10章|この問題は、医療・介護だけではない
ここまで医療・介護を中心に書いてきました。
しかし、この問題は多くの業界に共通しています。
教育現場でも同じです。
物流でも同じです。
建設でも同じです。
飲食でも同じです。
小売でも同じです。
製造業でも同じです。
行政でも同じです。
中小企業でも同じです。
人が足りない。
そう言いながら、実際には人が残れない職場が多い。
新人を育てる仕組みがない。
業務が属人化している。
賃金が責任に見合わない。
評価が曖昧。
休みにくい。
相談できない。
家庭事情や体調への柔軟性がない。
標準的人間から外れる人を活かせない。
これらは、医療・介護だけの問題ではありません。
日本社会全体の問題です。
だからこそ、医療・介護の人手不足を考えることは、日本の働き方全体を考えることでもあります。
そして、このブログが大切にしている「自分を大切にする生き方」とも深くつながります。
人は、働くために生きているのではありません。
生きるために働いています。
しかし、現実には働くことで自分を壊してしまう人がいます。
医療や介護のように、人を支える仕事であればあるほど、自分を後回しにしてしまう人がいます。
だからこそ、必要なのは人生再設計です。
自分を壊さない働き方。
自分を責めすぎない考え方。
職場の設計ミスを、自分の欠陥だと思わない視点。
働ける条件を選び直す勇気。
支える側も支えられていいという感覚。
医療・介護の人手不足は、単なる業界ニュースではありません。
私たち一人ひとりの生き方の問題なのです。
第11章|労働者へ――あなたが壊れているのではない。設計が古いだけかもしれない
医療や介護の現場で働いている人へ。
もし今、あなたが苦しいなら、伝えたいことがあります。
あなたが弱いのではありません。
あなたの優しさが足りないのでもありません。
あなたの根性がないのでもありません。
あなたが向いていないと決めつける必要もありません。
もしかすると、あなたが苦しいのは、職場の設計が古いからかもしれません。
人が足りないのに、責任だけが増える。
教育されないまま現場に出される。
休めない。
相談できない。
感情労働が見えない。
頑張る人に仕事が集まる。
断れない人ほど消耗する。
優しい人ほど限界を迎える。
その構造の中で苦しくなるのは、当然です。
あなたは壊れた部品ではありません。
無理な設計の中に置かれている人間です。
だから、自分だけを責めないでください。
もちろん、現実には簡単に職場を変えられないこともあります。
生活があります。
収入があります。
責任があります。
家族があります。
資格やキャリアがあります。
それでも、心の中だけは、自分を責める方向に倒さないでほしい。
苦しいと感じる自分を否定しない。
限界を感じる自分を責めない。
休みたいと思う自分を恥じない。
環境との不一致を、自分の人格の問題にしない。
自分を大切にする生き方は、わがままではありません。
人を支える仕事を続けるためにも、まず自分を壊さないことが必要です。
第12章|経営者・管理者へ――人を守ることは、最も強い経営戦略である
医療・介護の経営者や管理者に伝えたいことがあります。
人を守ることは、コストではありません。
最も重要な経営戦略です。
人が辞めれば、採用コストがかかります。
新人教育に時間がかかります。
現場の質が不安定になります。
残った職員の負担が増えます。
事故リスクが上がります。
利用者や患者の満足度も下がります。
評判も落ちます。
さらに採用が難しくなります。
つまり、人を守らない経営は、長期的には高くつきます。
逆に、人を守る経営は、地味ですが強い。
職員が定着する。
教育が積み上がる。
現場の質が安定する。
利用者や患者との信頼が深まる。
家族対応も安定する。
採用でも選ばれやすくなる。
管理者の負担も減る。
人を大切にする経営は、理想論ではありません。
持続可能性そのものです。
これからの医療・介護で生き残る組織は、単に人を集められる組織ではありません。
人が辞めない組織。
人が育つ組織。
人が相談できる組織。
多様な人を活かせる組織。
制約のある人も戦力にできる組織。
優しい人を壊さない組織。
そういう組織です。
人手不足の時代に、最も強い採用戦略は広告ではありません。
「ここなら壊れずに働ける」と思える職場をつくることです。
最終章|医療・介護の未来は、人を使い潰す社会から、人を守る社会への転換にかかっている
医療・介護の人手不足は、単なる人数不足ではありません。
それは、社会の思想の問題です。
人をどう見るのか。
労働をどう見るのか。
優しさをどう扱うのか。
支える人を支える気があるのか。
制約のある人を排除するのか、活かすのか。
現場の使命感に甘え続けるのか、構造を変えるのか。
ここが問われています。
私は、中途重度障害者として強く思います。
人間は、標準化できません。
体力も違う。
気力も違う。
生活も違う。
家族事情も違う。
病気も障害も違う。
働ける時間も違う。
できることも、できないことも違う。
その違いを排除する社会は、これから弱くなります。
その違いを前提に設計できる社会が、これから強くなります。
医療・介護の現場は、その最前線です。
人が足りないのではない。
人を守る仕組みが足りない。
人を活かす設計が足りない。
人間への投資が足りない。
優しい人を壊さない覚悟が足りない。
そこを見誤ってはいけません。
医療・介護を守ることは、現場職員だけのためではありません。
患者のためです。
利用者のためです。
家族のためです。
地域のためです。
未来の自分のためです。
誰もが、いつか支えられる側になります。
だからこそ、支える人を守る社会をつくらなければならない。
医療・介護の人手不足という言葉の奥にある本当の問題は、ここにあります。
足りないのは、人ではない。
人を守り、人を活かし、人を壊さずに社会を支える設計思想です。
その設計思想を取り戻せるかどうか。
そこに、これからの日本の未来がかかっています。

CTA|支える人が、壊れない社会へ
医療や介護の人手不足は、遠い業界ニュースではありません。
それは、私たち一人ひとりの未来に関わる問題です。
いつか親を介護するかもしれない。
いつか自分が病院に支えられるかもしれない。
いつか自分自身が、誰かの助けを必要とするかもしれない。
そして今、すでに誰かを支える仕事で、心や身体をすり減らしている人もいるかもしれません。
私は、中途重度障害者として生きる中で、何度も思ってきました。
人は、強いから生きられるのではありません。
支えられる仕組みがあるから、生き続けられるのです。
だからこのブログでは、医療・介護、障害者雇用、働き方、人生再設計、自分を大切にする生き方について書いています。
今の働き方に苦しさを感じている人へ。
優しさを利用されて疲れてしまった人へ。
介護や医療の現場で限界を感じている人へ。
障害や病気を抱えながら、それでも働こうとしている人へ。
このままの人生でいいのかと、どこかで感じている人へ。
あなたが弱いのではありません。
あなたが壊れているのでもありません。
もしかすると、今いる場所の設計が、あなたに合っていないだけかもしれません。
このブログでは、そんな人がもう一度、自分の人生を取り戻すための記事を書いています。
あわせて読んでほしい記事はこちらです。
このままの人生でいいのか?
優しい人が介護・医療現場で壊れる理由
障害があっても自分らしく生きる方法
中途障害はキャリアの終わりではない
自分を大切にする生き方とは何か
この記事が少しでも心に残ったら、同じように苦しんでいる誰かに届くように、シェアしてもらえると嬉しいです。
医療や介護の問題は、現場の人だけが背負うものではありません。
社会全体で考えるべき問題です。
そして、自分を大切にする生き方は、決して自分勝手な生き方ではありません。
自分を壊さないこと。
支える人を支えること。
弱さを前提に、働き方と人生を設計し直すこと。
そこから、社会は少しずつ変わっていくのだと思います。
これからも、働くこと、生きること、障害と人生、医療・介護の現実、そして自分を大切にする生き方について発信していきます。
必要な方に届くように、ぜひフォローして、また読みに来てください。
あなたの人生は、まだ設計し直せます。
そして、誰かを支えるあなた自身も、支えられていいのです。

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