10年前、私は脳出血で生死の境をさまよった。
医師からは「助かる可能性は低い」と告げられ、家族も覚悟を決めていたという。
でも、奇跡的に私は生き延びた。
しかし、その代償として、左半身の自由を失い、重度の障害を抱えることになった。
「これからどう生きていけばいいのか?」
絶望の中で何度も問い続けた。
そして10年が経ち、私はひとつの答えにたどり着いた。
「世界にあるべき形なんてものはない」
“普通”の人生から逸れた私
脳出血になる前、私は「普通の人生」を歩んでいた。
安定した仕事があり、社会の中で役割を果たし、未来のことを考える余裕もあった。
でも、それは一瞬で崩れた。
目が覚めたとき、左半身は動かず、日常のすべてが不自由になっていた。
それまで当たり前だったことができなくなる現実に、心が折れそうになった。
「こんな身体で、どうやって生きていけばいいのか?」
「もう、以前のような生活には戻れないのか?」
病室の天井を見つめながら、何度も絶望した。
生きているのに、生きている実感がなかった。
“あるべき姿”に苦しめられた日々
障害を負ってから、社会の「あるべき形」というものが、いかに強固で、いかに人を苦しめるものなのかを知った。
「働けないとダメ」
「人に迷惑をかけずに生きるべき」
「家族に頼らず自立するのが当たり前」
そんな“べき論”が、自分をどんどん追い詰めていった。
「ちゃんと社会に適応しなければ」
「人の役に立たなければ存在価値がない」
そう思うほどに、自分を否定し、苦しみが増していった。
でも、あるときふと気づいた。
「そもそも、誰が“あるべき形”を決めたんだ?」
世界にあるべき形なんてない
人はみんな違う。
生まれた環境も、経験も、価値観も、それぞれ異なる。
なのに、「こうあるべき」という型にはめようとするのは、どこかおかしい。
「障害があるなら、できる範囲で楽しく生きればいい」
「頼れる人がいるなら、どんどん頼っていい」
「苦しいときは、素直に弱音を吐いていい」
社会の「あるべき形」に自分を無理に当てはめる必要はない。
それよりも、自分なりのやり方で、自分らしく生きることが大切なんじゃないか。
そう思った瞬間、肩の力が抜けた。
自由に生きることを、あきらめなくていい
もし、今あなたが社会の「あるべき形」に苦しめられているなら、伝えたい。
「あなたは、もっと自由に生きていい」
・仕事の仕方も、家族との関係も、生き方も、あなたが決めていい。
・「こうしなきゃダメ」ではなく、「こうしたい」で生きていい。
・たとえ社会のレールから外れたとしても、人生は終わらない。
私は、障害を負ってからも、自分なりの道を見つけた。
ブログを書き、自分の経験を発信し、多くの人とつながりながら生きている。
これは、かつての自分が思い描いていた未来とは違うかもしれない。
でも、今の私は、確かに生きている。
そして、以前よりずっと、自由を感じている。
「世界にあるべき形なんてものはない」
もし、あなたが人生のどこかで道を見失ったとしても、大丈夫。
社会の「普通」や「当たり前」に縛られなくていい。
あなたは、あなたの人生を、自分のやり方で生きていい。
どんな形でも、それがあなたにとっての「正解」になる。
だから、もっと自由に生きることを、あきらめないでほしい。
——あなたの人生は、あなたが創るものなのだから。




















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