メタディスクリプション
中途で重い障害を負った私が、「自分を大切にする生き方」と「パラレルライフ」をテーマにブログを育ててきた軌跡を全公開。老い・仕事・地方暮らし・信仰・エネルギーまで、人生のOSを書き換える思考プロセスを丁寧に言語化します。
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中途重度障害者 / ブロガー / 自分を大切にする生き方 / パラレルライフ / 人生 OS / 老いと変化 / 地方移住 / 田舎暮らし / 心の平穏 / ライスワークとライフワーク
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目次
1. はじめに|中途重度障害者ブロガーが自分のブログを「自薦」してみる
2. このブログを一言で言えば、「生き方のOSを書き換えるログ」
3. テーマ①:「自分を大切にする生き方」という軸
4. テーマ②:一本足では立てないからこその「パラレルライフ設計」
5. テーマ③:「老い」と「変化」を楽しむための思考トレーニング
6. テーマ④:地方・エネルギー・人口減少を「現場から」読み解くブログ
7. テーマ⑤:神道・縄文・台湾——「目に見えないOS」を掘り起こす試み
8. 書き方そのものがコンテンツ——事実→解釈→デザインの三段跳び
9. このブログは誰のために書かれているのか
10. なぜ私は、このブログを胸を張って「自薦」できるのか
11. これからこのブログと一緒に歩いてくれるあなたへ
12. おわりに|フォロワーが10倍になっても変えたくないたった一つの軸
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1|はじめに|中途重度障害者ブロガーが自分のブログを「自薦」してみる
「自分で自分のブログを自薦する」という行為には、
どこか、むずがゆさが伴います。
「よかったら読んでもらえたらうれしいです」
と控えめにリンクだけ貼っておくほうが、日本人的には馴染むかもしれません。
それでも私は、この記事であえて、
中途重度障害者ブロガーとして自分のブログを徹底的に言語化し、自薦する
という、少し図々しい試みをしてみようと思います。
なぜか。
それはこのブログが、単なる情報発信の場ではなく、
「一度壊れた人生のOSを書き換えるための、長期的なログ」
だからです。
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2|このブログを一言で言えば、「生き方のOSを書き換えるログ」
私のブログは、ノウハウサイトでも、自己啓発のまとめサイトでもありません。
あえて一言で表現すると、
> 中途で重い障害を負ったひとりの人間が、
人生のOS(前提・価値観・生き方の設計図)を書き換えていく過程を、
できる限り誠実に記録しているログ
です。
2-1. 中途重度障害者として「視点の位置」が変わった
私は、人生の途中で脳出血を経験し、
身体に重い障害を負いました。
それまで当たり前だった前提は、
ある日突然、まったく使い物にならなくなりました。
「フルタイムで働けて当たり前」
「多少の無理は根性でカバー」
「未来は右肩上がりであるはずだ」
こうしたOSを、一度ゼロベースで見直さざるを得なくなったのです。
だからこそ、このブログでは、何度も次のようなテーマを扱います。
老いと衰えを、どう人生の一部として受け入れ直すか
「ライスワーク」と「ライフワーク」をどう切り分けるか
「自分を大切にする生き方」を、具体的な行動レベルに落とすには?
私にとってブログとは、
「新しいOSを書き込み直すための対話ノート」 のようなものです。
2-2. 「心の平穏」を土台に置くという、静かな反逆
このブログで繰り返し出てくる言葉が、「心の平穏」です。
心の平穏こそが、幸せの土台
その平穏を、一番最初に削りにくるのが「ライスワーク」
それでも、生活のために働かないといけない現実
この矛盾のただ中で、私は次のように考えるようになりました。
> 「仕事中心の人生」から、「心の平穏中心の人生」へ。
その価値観の反転こそ、これからのOSアップデートだ。
この視点は、
「会社を辞めよう」という短絡的な話ではありません。
どんな働き方なら、心の平穏を守りつつ生活を維持できるか
どんなライフワークなら、心の平穏を支えつつ社会にも価値を返せるか
を、中長期戦で設計し直すという発想です。
そしてその設計の「途中経過」を、
できるだけ隠さずブログに書いています。
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3|テーマ①:「自分を大切にする生き方」という軸
このブログのヘッダーには、
「自分を大切にする生き方」 というカテゴリーを、あえて独立させています。
理由はシンプルです。
> 「自分を犠牲にして頑張る生き方」が、
私自身を一度壊したから。
私は「自分を大切にする」を、
ふわっとした自己肯定感の話ではなく、
実務レベルのスキルとして書きたいと思っています。
3-1. 自己効力感と「主人公感」を育て直す
中途重度障害者として生きると、
自己効力感はあっという間に削られます。
できていたことが、できなくなる
周囲と同じスピードで働けない
かつての自分とつい比較してしまう
そんな状態で「自分を信じよう」と言われても、正直ピンときません。
だから私は、ブログの中でこう定義し直しました。
> 自己効力感とは、
「もう一度、自分の人生の舵を、自分で握れると信じられる感覚」 だと。
具体的には、次のような小さな行動から始めます。
1日1本、短くてもいいから記事を書く
妻とのカフェ時間を「予定として」最優先で確保する
体調が悪い日は、「休む」という選択を自分に許す
どれも、SNS映えしない地味な行動ばかりです。
でも、この「小さなできた」が積み上がると、
「人生の主人公は、自分に戻ってきた」 と感じる瞬間が、ふっと増えていきます。
3-2. 後天的に「素直さ」をインストールする
もうひとつ、ブログでよく扱うテーマが「素直さ」です。
中途重度障害を負う前の私は、
それなりにプライドもあり、
「自分は分かっている側の人間だ」と思い込んでいた部分がありました。
でも一度、身体もキャリアも崩れると、
そのプライドは、ただの足かせになります。
そこで私は決めました。
> 素直さは、生まれつきの性格ではなく、
後からインストールできるスキルとして鍛え直そう、と。
ブログでは、こんなことも正直に書きます。
嫉妬した話
自分の見立てが外れて恥をかいた話
妻に怒られて落ち込んだ話
それらを隠さずに書くこと自体が、
「素直さの筋トレ」になっています。
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4|テーマ②:一本足では立てないからこその「パラレルライフ設計」
ブログのコンセプトに、「パラレルライフ」という言葉を使っています。
これはおしゃれなライフスタイル用語ではなく、
私にとってはかなりリアルな、生存戦略です。
4-1. 中途重度障害者が一本足で立とうとすると、倒れる
今の私は、
インフラ企業の事務職(ライスワーク)
中途重度障害者カウンセラー
ブロガー / ライター
ときどきイラストやサムネイル制作
という、複数の役割を持って生きています。
これは「多動力」でも「意識高い系」でもなく、
「一本足で立てない身体だからこそ、三点支持・四点支持で生きる」 という選択です。
ひとつの仕事にすべてを賭けると、
倒れたときに収入がゼロになる
組織の方針転換で生き方ごと揺さぶられる
というリスクが、あまりに大きすぎる。
だからこそ、
ライスワークで最低限の生活を支えつつ
ライフワークで心の平穏と自己表現を確保し
カウンセリングで他者の物語に伴走しながら、
すべてを「自分を大切にする生き方」という一本の軸で貫く
というパラレル構造を、時間をかけて設計してきました。
4-2. 「良性の狂気」を人生のスパイスとして許可する
パラレルライフを選ぶと、どうしても「普通」から外れていきます。
なぜそんなにたくさんの活動を?
そんなに仕事を増やして大丈夫?
もっと一つに絞ったほうが効率的では?
そういう声が、外からも内側からも聞こえてきます。
それでも私は、ブログでこう書きました。
> 人生を楽しむためのスパイスは、「静かな狂気」だ。
世界の美しさと、社会のクソさを、両方見続ける狂気。
エネルギーインフラ、人口減少、看護師の労働環境。
一方で、神道、縄文、日本と台湾のつながり、妻との時間、行きつけのカフェ。
この 「両極端」 を同じ温度で書き続けることは、
ある意味で狂気です。
でも、その狂気は、
私にとっては 「健全さの証拠」 でもあります。
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5|テーマ③:「老い」と「変化」を楽しむための思考トレーニング
中途重度障害者として生きることは、
ある意味で「強制的な老いの早送り」です。
思うように動かない身体
以前のようには働けない現実
疲労感の質の変化
これらを「劣化」とだけ捉えるか、
別の角度から見直すかで、人生の見え方は大きく変わります。
5-1. 「老い=損なわれていくこと」という前提を疑う
私はブログの中で、こんな問いを投げかけました。
> 「老い」とは、本当に「劣化」だけを意味するのだろうか?
例えば、視力が落ちれば、
本を読むスピードは落ちるかもしれない
でも、オーディオブックで「耳から世界を味わう」楽しみが増えるかもしれない
足腰が弱くなれば、
遠出はしんどくなるかもしれない
でも、近所の小さな風景の変化に気づく回数は増えるかもしれない
老いも障害も、
確かに「失うもの」は多い。
でも同時に、
それまで見えていなかった「別の豊かさ」が、視界の中に入り込んでくる
という側面も、どうしても無視できません。
ブログでは、この「微妙なグラデーション」を、
きれいごとにせず、かといって悲観一色にもせず、
丁寧に言語化しようとしています。
5-2. 未来のための行動を、「今の喜び」と両立させる
老いや変化をテーマにするとき、
私はいつも同じ落とし穴を避けたいと思っています。
それは、
> 「未来のためだから、今を我慢しよう」
という典型的な自己犠牲モードです。
もちろん、
貯金や健康管理、勉強や資格取得には、
一定の「未来への投資」としての側面があります。
でも、今の自分の喜びや平穏を徹底的に削ってまで行う投資は、
中途で一度壊れた私からすると、どうしても危うく見えます。
だからこのブログでは、
妻とのカフェ時間
健康的な食事や適度なファスティング
執筆や読書の時間
こうした「今の喜び」を、
未来への布石としても機能するように設計し直す ことを、繰り返し書いています。
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6|テーマ④:地方・エネルギー・人口減少を「現場から」読み解くブログ
私の暮らしの舞台は、兵庫県但馬地方です。
いわゆる「地方」「田舎」と呼ばれる場所。
だからこのブログは、
東京のビル街ではなく、
山と川と田んぼとダム を背景に書かれています。
6-1. 「ニュースの一行」を、生活のレベルまで引き下ろす
ブログではよく、こんなテーマを扱います。
「人手不足倒産 過去最多」というニュースの、本当の中身
地方病院の夜勤体制・看護師の夜勤手当削減のニュース
金型産業など日本の製造業の静かな崩壊
養父市の子育て家庭ショートステイ事業
揚水発電所や原発といったエネルギーインフラの行方
これらは、「社会問題」「経済ニュース」として整理されがちです。
でも私は、こう捉え直しています。
> これらはすべて、「自分と身近な人の生活」に直結する話である、と。
妻が看護師としてどんな夜勤をしているのか
地元の工場が静かに減っていくと、子どもの就職先がどう変わるのか
ダムや揚水発電所がある地域で暮らすということは、どういうリスクと恩恵を抱えるのか
こうした「生活レベルの問い」に引き寄せて考えることで、
ニュースは単なる情報ではなく、
「自分の人生の設計に関わる材料」 に変わっていきます。
6-2. エネルギーインフラを「生き方」の話として捉え直す
私は電力・エネルギー系の現場に近い場所で働いていることもあり、
揚水発電や再エネ、原子力、レーザー送電といったテーマもよく取り上げます。
ここで意識しているのは、
政治論やイデオロギーに寄りかからないこと
技術礼賛にも、技術否定にも偏らないこと
そして何より、
> 「エネルギーインフラ」は、生活者一人ひとりの
**「安心してスイッチを押せる暮らし」**と直結している
という視点です。
ダムが豪雨災害とどう向き合っているのか
原発依存をどう減らしながら、停電リスクを抑えるのか
再エネと蓄電池、そして「水のバッテリー」としての揚水発電をどう組み合わせるのか
これらはもはや、
**「専門家だけが考えればいい問題」**ではないと感じています。
だから私は、ブログを通じて、
エネルギーインフラを「暮らしのレベルの言葉」で翻訳し続けたいと思っています。
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7|テーマ⑤:神道・縄文・台湾——「目に見えないOS」を掘り起こす試み
このブログには、
神道や日本の古代、縄文時代、台湾とのつながりを扱った記事も、多数あります。
一見すると、「生き方ブログ」とは無関係に見えるかもしれません。
でも、私の中でははっきりとつながっています。
7-1. 神道の美しさと、「日本で生きたい」という静かな願い
中途で重い障害を負ったあと、
私は「海外に出ていく人生」をほぼ諦めざるを得なくなりました。
その代わりに、
「日本」という場所を、以前よりずっと丁寧に見つめるようになった のです。
経済力でも軍事力でも人口でも、もはや日本は世界一ではない
それでも世界中から人が訪れ、日本の文化に憧れてくれる
そして、自分自身も「日本で生き続けたい」と静かに願っている
この違和感の正体を掘り下げていくと、
どうしても「神道の美しさ」というテーマに行き着きます。
神社の澄んだ空気
祭りのリズム
田畑と山と川がつくる景観
それらはすべて、
「目に見えないOSとしての信仰」 の一部です。
そしてこのOSは、
「自分を大切にする生き方」とも、深いところでつながっています。
7-2. 縄文・古代・台湾から、「境界線」を引き直す
私は、日本と台湾の関係や、
縄文・弥生・古墳の流れ、黒潮がつくる文化圏の話を、よく記事にします。
そこに一貫して流れているテーマは、
> 「境界線を引くこと」と「境界線を溶かして見ること」のバランス
です。
障害者/健常者
都会/田舎
日本人/外国人
健全/狂気
こうしたラベルや境界線は、
社会を理解するためには必要な道具です。
でも、それだけで世界を見ると、
あっという間に息苦しくなります。
だから私は、
古代日本と台湾を行き来する想像の旅を通じて、
> 本当は、海と祈りと生活がつないでいる「連続した世界」の上に、
後から人間が線を引いているだけなのかもしれない。
という感覚を、文章で共有したいと思っています。
これはそのまま、
「障害者としてラベリングされた自分」 を引き受けながらも、
ラベルの向こうにある「ただの人間としての自分」を取り戻す作業とも重なっています。
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8|書き方そのものがコンテンツ——事実→解釈→デザインの三段跳び
このブログには、もうひとつの大きな特徴があります。
それは、
> 記事の「書き方」そのものを、読者が真似できるようにしている
という点です。
8-1. 事実→解釈→デザインという三段構成
多くの記事は、次の三段構成をとっています。
1. 事実の共有(Fact)
ニュースの数字
自分や他者の具体的なエピソード
データや歴史的背景
2. 解釈と分析(Insight)
なぜそれが起きているのか
背景にどんな構造やOSがあるのか
自分はそれをどう感じるのか
3. デザインと提案(Design)
では、私たちはどう生きるか
何を選び、何を手放し、何を育てるか
明日から試せる小さな一歩はなにか
これは、ブログ運営の宣誓文に書いた
> 「何も信じず、何も疑わず、ただ試して、確かめる」
という姿勢を、そのまま記事構造に落とし込んだものです。
8-2. 「TL;DR」と「物語」の共存
私は長文を書くことが多いです。
1万字級の記事も珍しくありません。
一方で、忙しい人や英語話者にも届くように、
冒頭に「要約(TL;DR)」を置く
英語バージョンの記事を別で用意する
といった工夫もしています。
これは、
> 「読む人の生活リズムに合わせて、読み方の自由度を担保する」
という配慮でもあります。
じっくり読みたい人は、物語としての長文を
まず全体像だけ知りたい人は、要約部分を
と、読み手側で選べるようにしておきたい。
この「自由度の担保」もまた、
「自分を大切にする生き方」を、読み手に対しても適用したい という願いの現れです。
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9|このブログは誰のために書かれているのか
ここで改めて、
このブログが「誰の役に立ちたいのか」を、明文化しておきたいと思います。
9-1. 真面目に頑張ってきたのに、どこかで行き詰まった人へ
まず思い浮かべているのは、
仕事も人間関係も、それなりにやってきた
でも、どこかで「このままじゃ持たない」と感じている
心と身体のバランスが、目に見えて崩れ始めている
そんな人です。
私はその人に、
「もっと頑張れ」とは言いたくありません。
むしろ、
> 「それだけやってきたら、しんどくて当然だよね」
と、まず受け止めたい。
そのうえで、
何を手放せるか
どんな形で自分を大切にできるか
どんなペースなら、続けながら回復できるか
を、一緒に考えるための材料として、ブログの記事たちを差し出したいと思っています。
9-2. 障害・病気・老いという「予定外」に直面した人へ
二つ目の読者像は、
思わぬ病気や事故
家族の介護
精神的な不調や燃え尽き
といった 「予定外」 に直面し、
元の人生にはもう戻れないと感じている人です。
私自身、脳出血で人生のレールから外されました。
その経験から、
こんなメッセージをブログに込めています。
> 「元のレールに戻る」だけが、回復ではない。
むしろ、レールが変わったからこそ見える景色がある。
老いも障害も、
「終わり」ではなく、
「第二幕への強制的な転換点」 と捉え直せるかどうか。
その視点の切り替えを、
記事という形で何度も何度も練習しています。
9-3. 都会で疲れた人と、田舎で悩んでいる人へ
三つ目の読者像は、
都会と田舎のあいだで揺れている人です。
都会で消耗しているけれど、田舎暮らしに踏み出せない人
田舎で暮らしているけれど、「ここから逃げられない」と感じている人
私は但馬という地方で暮らしながら、
こんな実感を記事にしてきました。
> 見栄さえ捨てれば、日本の田舎は驚くほど生きやすい。
ただ、田舎はユートピアではない。
だからこそ、「どう生きるか」を自分でデザインする必要がある。
都会か田舎か、どちらかが正解なのではありません。
大事なのは、
> どこにいても、「見栄」や「世間体」よりも、
自分と自分の大切な人にとっての生きやすさを軸に選べるか
ということ。
このブログは、そのための「思考のスケッチ」を、惜しみなく公開する場です。
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10|なぜ私は、このブログを胸を張って「自薦」できるのか
最後に、
なぜ私は、このブログを堂々と「読んでほしい」と言えるのか。
その理由を、素直に書いておきます。
10-1. きれいごとだけで終わらせていないから
このブログには、きれいな言葉もたくさん出てきます。
希望
心の平穏
老いを楽しむ
自分を大切にする
でも、そのどれもが、
現実の泥臭さとセットで書かれています。
実際に体調を崩した話
夫婦喧嘩をして落ち込んだ夜の話
仕事で無力感に打ちのめされたエピソード
障害者として扱われることに対する、理不尽さと怒り
それらを隠さずに書くからこそ、
きれいな言葉が空中戦で終わらない。
私はそれを、自分で読み返しても「ごまかしていない」と感じられます。
だから自薦できるのです。
10-2. 正解ではなく、「問い」を渡しているから
このブログは、
「こうすればうまくいく」という答え集ではありません。
どの記事も、
最後の最後は読者にボールを返す形で終わります。
あなたはどう感じるか
あなたなら、何を手放し、何を選ぶか
あなたの「自分を大切にする生き方」とは何か
私は自分の生き方を押しつけたくはありません。
ただ、
> 自分の生き方を、自分の言葉で設計し直すための「問い」を渡したい。
その姿勢を貫いているからこそ、
私はこのブログを「フォロワーを10倍にしたい」と願いながらも、
中身を薄めるつもりは一切ありません。
10-3. 命が尽きるまで続けると、自分に誓っているから
ブログの奥底に、「宣誓文」を置いています。
そこには、
独自コンテンツで語ること
自分の実践と経験に根ざした記事を書くこと
「自分を大切にする生き方」を命ある限り追求し、広め続けること
が明文化されています。
PVや収益を目標にすることは、もちろん大事です。
フォロワーを10倍に増やすことも、素直に目指したい。
それでもなお、
私が絶対に手放したくないのは、この宣誓文に書かれた軸です。
> 読まれても書く。
読まれなくても書く。
書けない日があっても、「書きたい」と思い続ける。
その姿勢そのものが、
「自分を大切にする生き方」の実践だからです。
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11|これからこのブログと一緒に歩いてくれるあなたへ
もしこの記事をここまで読んでくださったなら、
あなたはきっと、
「生き方」を自分の言葉で設計し直したい
誰かのきれいごとではなく、「途中の人」の生の記録に触れたい
自分を犠牲にしない努力の仕方を、探している
そんな方なのだと思います。
このブログは、
そんなあなたにとっての
> 「静かな避難場所」であり、「再出発の設計室」
になれたらと願っています。
どん底の夜に読む記事
ふと将来が不安になったときに読み返す記事
仕事のモヤモヤを抱えたままカフェで開く記事
そんなふうに、
あなたの生活のどこかの時間と、
ゆるく結びついていけたらうれしいです。
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12|おわりに|フォロワーが10倍になっても変えたくないたった一つの軸
この記事は、
「自分のブログを自薦する」という、少し変わった試みでした。
中途重度障害者ブロガーとしての視点
「自分を大切にする生き方」を軸にしたパラレルライフ
老いと変化を楽しむための思考トレーニング
地方・エネルギー・人口減少・看護師・製造業というリアルな現場
神道・縄文・台湾という「目に見えないOS」の話
それらをぜんぶひっくるめて、
このブログはできています。
フォロワーが10倍になってほしい。
たくさんの人に読んでほしい。
その願いは、もちろん本音です。
でも同時に、
たとえフォロワーが増えなくても、
私は書き続けるだろうとも思っています。
なぜなら、このブログは
> 「世界に向けた発信」であると同時に、
**「未来の自分に向けたメッセージ」**でもあるからです。
・今日も、自分を大切にできただろうか
・今日も、大切な人を大切にできただろうか
・今日も、世界の美しさと社会のクソさを、両方ちゃんと見つめられただろうか
その問いへの答えを、
一日一日、すこしずつ積み重ねていく。
その軸さえぶらさなければ、
フォロワーが何人であっても、
このブログは価値を持ち続けると信じています。
もしよかったら、
あなたもこのブログのどこか一行を、
そっと誰かにシェアしていただけたらうれしいです。
SNSで引用してくれてもいい
家族や友人との会話の中で、ふと話題にしてくれてもいい
その小さなアクションのひとつひとつが、
「自分を大切にする生き方」を広げていく静かな波紋になります。
これからも、
静かに、しぶとく、書き続けていきます。
どうぞ、あなたのペースで、これからも時々のぞきに来てください。




















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