私たちが生きるこの社会は、優しいように見えて、実は驚くほど冷たい。
健常者だったときもそう感じていたが、中途重度障害者になってからは、さらにその現実を突きつけられた。
でも、そんな社会の中でも生き抜いていくしかない。
「こんな社会じゃ生きられない」と嘆くのは簡単だが、それでは何も変わらない。
私は、社会のクソさを受け入れたうえで、「どう生きるか」に焦点を当てることにした。
この記事は、私と同じように社会に生きづらさを感じている人に向けて書いたものだ。
障害の有無に関わらず、「なんか生きるのがしんどい」と思っている人に、少しでも気づきや希望を届けられたら嬉しい。
① 社会に期待しない。でも、人には期待してもいい。
「社会は助けてくれる」
「困ったら誰かが何とかしてくれる」
そう思っていた時期が、私にもあった。
でも、30歳で障害者になり、その期待は無残にも打ち砕かれた。
支援を受けようとすれば、膨大な手続きと証明書を求められ、
「本当にその支援が必要なのか?」と疑われる。
社会は「助けます」と言いながら、簡単には助けてくれない。
だから、私は社会には期待しないことにした。
「助けてもらえて当然」と思わなければ、裏切られたときのダメージも少ない。
でも、人には期待していい。
なぜなら、人と人の間には「思いやり」があるからだ。
社会は冷たいが、人は温かい。
困ったときに助けてくれるのは、無機質な「制度」ではなく、目の前の「誰か」なのだ。
私はそういう人たちに支えられて、今も生きている。
② できることに集中し、できないことを悔やまない。
障害を負ったとき、私が最も苦しんだのは「できないことが増えた」ことだった。
・片手で服のボタンを留められない
・階段の上り下りがしんどい
・以前のように仕事ができない
それまでは当たり前にできていたことが、一瞬でできなくなる。
その事実を受け入れるのに時間がかかった。
でも、あるとき気づいた。
「できないこと」に目を向けても、何も変わらない。
なら、「できること」を増やす方が、よほど建設的じゃないか?
例えば、私はブログを書くことを選んだ。
文章なら、片手でも書ける。
自分の経験を発信することで、「誰かの役に立てるかもしれない」と思えた。
できないことは確かに多い。
でも、「できること」はゼロではない。
その「できること」をどう活かすかが、生き方を変える鍵になる。
③ 「社会のために生きる」のをやめる。
社会は常に、私たちに「役に立つこと」を求めてくる。
特に、障害者になるとこう言われる。
「障害者でも頑張っている人はいる」
「できる範囲で社会貢献しなさい」
でも、私は思う。
「なぜ、社会に貢献しないといけないのか?」
もちろん、仕事をするのは大事だし、誰かの役に立つのは素晴らしいことだ。
でも、それが「義務」になってしまうと、ただ苦しいだけになる。
私は「社会のために生きる」のをやめた。
代わりに、「自分が幸せに生きる」ことを最優先にすることにした。
・好きなことをする
・無理なことはしない
・自分にとって心地よい生き方を選ぶ
これだけで、ずいぶんと生きやすくなった。
社会の期待に応えることに疲れたら、
「自分のために生きる」選択をしてみてほしい。
④ 「支え合い」の本当の意味を知る。
障害者になってから、「助けてください」と言うことが苦手になった。
誰かに頼るのは「迷惑をかけること」だと思い込んでいたからだ。
でも、あるとき気づいた。
「支え合い」とは、一方的に助けることでも、助けられることでもない。
「お互いにできることを提供し合う」ことなのだ。
私は障害者として「助けられる側」ではなく、「自分にできることで誰かを支える側」にもなれる。
・ブログで発信すること
・経験を共有すること
・困っている人に寄り添うこと
「自分には何もできない」と思い込む必要はない。
誰でも、「できること」を通じて誰かを支えられる。
「生きづらい社会」で、少しでも生きやすくなるために。
社会はクソだ。
でも、生きる道はある。
・社会に期待しすぎない
・できることに集中する
・社会のために生きるのをやめる
・支え合いを知る
この4つを意識するだけで、少しだけ生きやすくなる。
もし、社会に絶望している人がいたら、
「どうやったら自分が楽に生きられるか」を考えてみてほしい。
クソな社会でも、生きる道はいくらでもある。
あなたの人生は、あなたのものだ。
だからこそ、「自分が生きやすい道」を選んでいい。
私は、そんな生き方を選んだ。
そして、あなたにもそうしてほしいと願っている。
この記事が共感されたら、ぜひシェアしてほしい。
誰かの生き方のヒントになれば、それだけで嬉しい。




















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