そんなクソみたいな自分が大好き

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私が障害者になったのは、人生のある日突然のことだった。右の脳出血によって左半身が不自由になり、今まで当たり前にできていたことが一瞬でできなくなってしまった。その瞬間、私の世界は一変し、見える景色も、感じることも変わってしまった。それでも、なんとか必死に前向きに生きようと決め、ブログを書くことを始めた。

ブログを通して、自分の考えや感じていること、障害を抱えた生活のリアルを発信し、同じような境遇にいる人たちに少しでも希望を持ってもらえたらと願った。自分の経験が誰かの役に立つかもしれない、共感してもらえるかもしれない、そんな思いで書き続けてきた。けれど、ある時ふと振り返ると、偉そうに語る自分がいることに気づき、恥ずかしくなった。

自分が発信していることが、いつの間にか「障害者としての経験」を盾にしているように思えてきたのだ。世の中には、自分よりも大変な状況で生きている人がいる。障害を抱えるという経験が、どこかで自分に特別な価値を与えているように錯覚してしまい、「経験者としての正当性」を主張し、他人に意見を押し付けるかのような言葉になっていたかもしれない。そんなことを思い始めると、自分が書いた文章を読み返すのがどんどん辛くなってきた。

ブログを通して発信してきた言葉は、本当に「頑張っている自分」を他人に認めてもらいたいという自己中心的な欲求があったのかもしれない。私の言葉は「私はこんなに頑張っているんだから、あなたもこうあるべきだ」という暗黙のメッセージを含んでいたのではないかと、自己反省せざるを得なかった。そんな自分を見つめ直すたびに、内面が汚れているように感じてしまい、正直、嫌気がさすことも多かった。

それでも、「そんなクソみたいな自分が大好きだ」と思う瞬間もある。完璧ではなく、欠点だらけで、自己満足に浸ることすらあるけれど、それもまた自分の一部なのだと受け入れられるようになった。人間は誰しもエゴを抱え、それぞれの形で自己表現をする。私にとってブログはその表現の一部であり、私なりの「弱さをさらけ出す場所」でもある。

偉そうに語る自分も、失敗する自分も、傷つく自分もすべて含めて、それが「今の自分」だ。障害者として生きることは確かに困難だが、それを「経験」として押し付けるのではなく、私自身がどう感じているか、どう受け止めているかを率直に表現することが本当に大切だと思うようになった。だから、今では「そんなクソみたいな自分も含めて自分だ」と心から思えるようになった。

ありのままの自分を愛することは難しい。自己嫌悪に陥ることも多いし、「どうせ自分なんて」と思うこともある。それでも、そのクソみたいな自分も含めて大切な自分だと感じられた瞬間に、少しずつ自分を好きになれる気がするのだ。完璧でないことは恥ずかしいことではないし、誰かのために生き方を正当化する必要もない。ただ、自分に正直に、素直に生きたい。

ブログを書く理由も、共感してくれる人がいるかもしれない、同じような経験をしている誰かの心に少しでも響くかもしれないという思いからだ。でも、これからは無理に「強い自分」を演じず、弱さも、葛藤も、そのままさらけ出していきたいと思う。自分が偉そうに語っていた過去さえも、いずれは「それも自分だった」と愛おしく感じられるようになるために。

「そんなクソみたいな自分が大好き」と言えるように、これからも自分に正直でいようと思う。

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