間食をやめていた私が、あえて“再開”しようとした日

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――量はいらない。美味しい良い物を「少量」買う、という決意の表層/裏/根源(社会構造)を解体する
私はしばらく間食をやめていた。
理由は単純で、間食は体重にも習慣にも、静かに効いてくるからだ。
だがある日、私は「間食を再開しよう」と思った。
ここだけ聞くと、意志が弱くなったように見えるかもしれない。
しかし、再開の仕方が違った。
私はこう考えた。
量はいらない。美味しい良い物を少量買おう。
この瞬間、私は自分の中で何かが切り替わったのを感じた。
間食を「敵」と見なして排除してきた立場から、間食を「設計対象」として扱う立場へ。
この記事では、その切り替わりの意味を、私らしく――
**表層(見える魅力)/裏(真の魅力)/根源(社会構造的魅力)**の3層で、水平思考で解体していく。
そして同時に、私は中途重度障害者として生きている。
その立場は、間食という小さな選択にさえ「生活の運用」「社会の設計」「人間の弱さの扱い方」を映し出してしまう。
間食を“少量で良い物にする”という決意は、
単なるグルメ趣味でも、ダイエットの小技でもない。
それは、人生を壊さないための、静かで強い再設計なのだ。
0. 先に結論:間食を「少量の良い物」にするのは、欲望を殺すためではない
私が間食を再開するにあたり、「量はいらない」「良い物を少量」と考えたとき、私はこういう設計をしていた。
表層:満足感が高い/罪悪感が減る/買い物が楽しい
裏:習慣の暴走を止める“制御装置”になる/自己否定を回避できる/生活のリズムを守れる
根源(社会構造):大量消費のOSから降りて、“小さな快”を丁寧に扱う経済・文化へ接続する/弱さを責めずに運用する設計思想を取り戻す
つまりこれは、
間食を再開したのではなく、間食の位置づけを“再定義”したということだ。
1. なぜ間食をやめていたのか:間食は「食べ物」ではなく「システム」だから
間食をやめるとき、人はこう考えがちだ。
お菓子を食べると太る
食欲が乱れる
意志が弱い気がする
罪悪感がくる
だが、私が本当に怖かったのはそこではない。
間食は、放置すると生活に“ループ”を作る。
そして人間は、ループに弱い。
一度ループができると、理由はどうでもよくなる。
仕事で疲れたから
ストレスだから
ご褒美だから
何となく
習慣だから
こうして、間食は「食欲」ではなく、「自動運転」になる。
中途重度障害者として生きる私は、ここに敏感だ。
体力や行動の自由度が限られるほど、生活は小さなループに支配されやすい。
できることが少ない
行ける場所が限られる
調子の波がある
気分転換が難しい
それでも日々は続く
この条件下で“手軽な快”が暴走すると、生活が削られていく。
だから私は間食をやめた。
間食をやめたのは、健康のためというより、
生活の運用OSを守るためだった。
2. それでも再開したくなった理由:快がゼロになると、人生は静かに乾く
間食をやめると、確かに体は整う。
でも別の問題が起きる。
それは、生活の中から「軽い喜び」が消えることだ。
私たちは、人生を大きなイベントだけで回していない。
むしろ人生の大半は、次のような“微細な時間”でできている。
朝の準備
仕事の雑務
家事
移動
体調管理
連絡
片付け
予定調整
眠るまでの空白
この細かい時間を支えるのは、
「未来の大成功」ではなく「いまの小さな回復」だ。
間食をやめ続けると、
“回復装置”が消えることがある。
結果、起きるのはこういう現象だ。
生活の色が薄くなる
ストレスが抜けない
代替行動(スマホ、買い物、夜更かし)が増える
何かが足りない感じが続く
ある日、反動で崩れる
私はここまで体験してきた。
そして思った。
「間食をゼロにする」のは、最強のようでいて、
長期運用には向かない場合がある。
だから私は再開したくなった。
ただし、以前と同じ再開ではない。
ここで出てきたのが、あの結論だ。
量はいらない。美味しい良い物を少量買おう。
3. 表面的な魅力:少量の良い物は、単純に“気分が上がる”
まず表層。ここは分かりやすい。
3-1. 満足度が高い
良い菓子は、香り・食感・余韻が違う。
少量でも「食べた感」がある。
量で満たすのではなく、質で満たす。
これは体感として分かりやすい魅力だ。
3-2. 罪悪感が減る
食べ過ぎの罪悪感は「量」が生む。
少量で止められる設計は、罪悪感を激減させる。
3-3. 買い物が楽しい
“良い物を少量”というルールは、
買い物を「収集」ではなく「選定」に変える。
これは楽しい。
自分の感性を使うからだ。
3-4. 人に勧めたくなる
良い物は話題になる。
「これ美味しかった」と言えるのは、生活の中の小さな豊かさだ。
4. 裏の真の魅力:これは“食欲の制御装置”であり、“自己否定回避装置”である
表層はただの「良い暮らしっぽさ」だが、裏には本質がある。
私にとって本質はここだ。
4-1. 少量の良い物は、暴走する習慣に“ブレーキ”を付ける
間食が怖いのは、味ではない。
ループ化だ。
疲れる→食べる
退屈→食べる
不安→食べる
この「状態→行動」の結びつきが固定されると、人生が自動化される。
だが“良い物を少量”にすると、ここが崩れる。
なぜか。
良い物は、雑に食べられない。
雑に食べると、価値が消える。
だから自然と、次が起こる。
食べる前に少し考える
味わう
一旦止まる
「終わり」を作れる
つまり、少量の良い物は、間食を儀式化する。
儀式化とは何か。
それは「自動運転を手動に戻す」技術だ。
4-2. これは“弱さの扱い”を変える
間食をやめると、守れるものもある。
しかし同時に、失敗すると自己否定が起きやすい。
また食べてしまった
自分はダメだ
意志が弱い
もう終わりだ
この自己否定の回路は強烈で、
一回発動すると、むしろ間食を増やす。
ここが社会的に恐ろしいところだ。
自己否定は、最強の依存燃料になる。
“良い物を少量”は、弱さをこう扱う。
欲望はある(否定しない)
でも設計する(暴走させない)
自分を責めない(運用する)
これは、自分を壊さない哲学だ。
4-3. 少量の良い物は「生活の回復ポイント」になる
重度障害があると、回復ポイントが限られる。
移動や運動でのストレス発散が簡単ではない。
だからこそ、生活の中に「小さな回復ポイント」を置くことが重要だ。
間食をゼロにすると、
回復ポイントが消える。
少量の良い物を置くと、
回復ポイントが復活する。
しかも、暴走しにくい形で。
5. 根源的な社会構造的魅力:これは「大量消費のOS」から降りる練習だ
ここからが本題だ。
私がこの選択に“社会構造”を見た理由を書く。
5-1. 「量を買わせる社会」は、あなたの意思ではなく“環境設計”で勝っている
現代の間食文化は、個人の意志の問題ではない。
仕組みの問題だ。
大容量パック
まとめ買い割引
コンビニの導線
レジ横商品
SNSの刺激
ストレス社会
睡眠不足
速さが正義の労働文化
人間が弱いのではなく、
弱さが回収される構造がある。
間食の暴走は、個人の性格ではなく、
大量消費OSが作る自然現象なのだ。
だから私は、ゼロにすることだけが正解だと思わない。
ゼロにする戦いは、個人が社会構造に一人で挑む戦いになりやすい。
その戦い方は、長期的に疲弊する。
一方で、“少量の良い物”は、こう言っている。
私はこの大量消費OSに、全面降伏もしないし、全面戦争もしない。
別のOSで運用する。
これは、現代的な抵抗だ。
5-2. 「質を選ぶ」ことは、経済の流れを変える
量を買うと、価格競争の経済へ接続する。
質を選ぶと、価値競争の経済へ接続する。
たとえば、地元の小さな菓子店、職人、素材にこだわる店。
少量で良い物を買う行為は、そういう場所にお金が回る。
これは小さいが確実な「経済投票」だ。
大量生産・大量消費を支えるのではなく、
丁寧に作られた価値を支える側に立つ。
“間食”という行為が、
社会の価値観に接続してしまうのが面白い。
5-3. 「少量で満たされる能力」は、これからの時代の生存スキルだ
人口減少、賃金停滞、物価上昇、医療費増、税負担。
こういう構造の中で、生活は今後も“重く”なる。
その時に必要になるのは、
「我慢」ではなく「少量で満たされる設計能力」だ。
少ない予算で幸福度を上げる
過剰な依存を作らない
自己否定を増やさない
生活を壊さない
これは、贅沢ではない。
むしろ、壊れない生活の基礎技術だ。
5-4. 障害者視点で言うと、「少量の快」は人生のインフラになる
健常者は、まだ“回復手段の選択肢”が多い。
運動、外出、仲間、旅行、仕事後の一杯。
だが障害があると、その選択肢は狭くなる。
狭くなるほど、人生は“微細な快”で支える必要が出てくる。
良い音楽
良いコーヒー
良い菓子
良い本
良い香り
良い光
良い会話
これらは、派手ではない。
しかし生活を支えるインフラだ。
そして、インフラは「壊れない設計」が必要だ。
だから私は“少量”にした。
快を否定するのではなく、
快をインフラとして整備する。
この感覚は、障害を負ってから強くなった。
6. 思考の過程の言語化:私は「間食」を通じて、自分の人生観を更新していた
ここで、私がこの結論に至るまでの内側の思考を、そのまま書く。
間食をやめて生活は整った
しかし生活から“回復”が消え始めた
反動が来る未来が見えた
なら、間食を再導入した方が安定する
でも以前と同じ導入は危険(ループ化する)
ループを断つには、間食を“儀式化”する必要がある
儀式化するには、雑に食べられない物を選ぶ
雑に食べられない物は、だいたい「良い物」
良い物は量を要らない
量が少なければ罪悪感が減り、生活が壊れない
結果、間食は敵ではなく“回復インフラ”になる
これは大量消費OSから降りる小さな抵抗であり、価値の再配分でもある
つまり私は、間食の話をしているようで、
実はずっと「人生の運用設計」をしていた。
7. 実装編:少量の良い間食を“壊れない仕組み”にする方法
ここからは理屈を実装に落とす。
7-1. ルールは1つだけにする
ルールが多いと続かない。
おすすめはこれだけ。
「良い物を少量」以外は禁止しない
禁止が多いと、反動が出る。
7-2. “常備”しない
常備はループ化する。
買うのは「その日」だけ。
週1〜2回だけ買う
外出のついでに買う
もしくはネット注文を月1に固定する
7-3. 食べる場所を固定する
歩きながら食べない。
スマホを見ながら食べない。
味わう場所を決める。
これで儀式化できる。
7-4. 「これは回復のため」と言語化して食べる
“ご褒美”よりも、
“回復”の方が運用に向く。
今日は回復ポイントを使う
明日を守るために使う
自己否定が減る。
7-5. 高級品でなくていい。「自分の感性で良い物を選ぶ」ことが価値
重要なのは価格ではない。
自分が「良い」と感じる選定能力が育つことだ。
これは人生の他領域にも効いてくる。
8. おわりに:間食を再開したのではない。“人生の支え方”を再設計した
間食をやめ続けることが正しい人もいる。
私も、あの期間があったからこそ気づけた。
だが私は、こう考えるようになった。
欲望を消すのではなく
欲望を責めるのでもなく
欲望を、壊れないように運用する
量はいらない。美味しい良い物を少量買おう。
この言葉は、私にとって食の話ではない。
それは、人生の運用OSの更新ログだ。
派手ではない。
だが、こういう小さな更新が人生を壊れにくくする。
もしあなたが、間食をやめる/再開する/揺れているなら、
問いをひとつだけ持ってみてほしい。
それは「意志の強さ」の問題なのか?
それとも「運用設計」の問題なのか?
私は後者だと思う。
そして今日も私は、少量の良い物で、明日の自分を守っている。

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About Me

I’m Jane, the creator and author behind this blog. I’m a minimalist and simple living enthusiast who has dedicated her life to living with less and finding joy in the simple things.

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