このままの人生でいいのか悩む人へ|人生を変えたいのに動けない理由と解決策

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このままの人生でいいのかと悩んでいる人へ。結論から言うと、その違和感は間違っていません。人生を変えたいのに動けないのには理由があります。
――中途重度障害を経て、私が再びカウンセラーとして歩み始めた理由
「このままの人生でいいのか」
この言葉が胸に浮かぶとき、人はたいてい、自分を責めています。
甘えているのではないか。
贅沢を言っているのではないか。
もっと苦しい人もいるのに、自分は何を立ち止まっているのか。
そうやって、自分の違和感を自分で押さえ込もうとします。
けれど私は、この問いは決して弱さではないと思っています。
むしろ逆です。
これは、人生のどこかで前提がずれてしまったときに起こる、心の深い場所からの悲鳴です。
毎日をこなしている。
外から見れば、そこまで壊れているようには見えない。
けれど、自分の中では何かが確かに噛み合っていない。
以前のように未来を信じられない。
以前のように、自分の人生を自分のものとして感じられない。
事故や病気や障害。
離職や挫折。
大切にしてきた役割の喪失。
そうした出来事によって人生の前提が崩れた人ほど、この問いは切実になります。
私自身、ある日突然、中途重度障害者になりました。
それまで当たり前だったことが、当たり前ではなくなりました。
身体の使い方が変わった。
働き方が変わった。
疲れ方が変わった。
人との関わり方も、将来の見え方も変わった。
そして私は、一度、自分の人生を見失いました。
けれど今、私は再びカウンセラーとして歩み始めようとしています。
今日はその理由を書きたいと思います。
これは、ただの決意表明ではありません。
人生は壊れたら終わりではなく、壊れたあとにしかできない再設計があるのではないか。
そのことを、中途重度障害を負った一人の人間として、できるだけ誠実に言葉にしてみたいのです。
人生はある日、前提ごと壊れる
人生は、少しずつ苦しくなることもあります。
けれど、本当に深い断絶は、ある日突然やってきます。
事故。
病気。
障害。
予期しない喪失。
努力では避けきれない出来事。
そうしたものは、単に不便を増やすだけではありません。
人生の土台そのものを揺らします。
中途重度障害を負うというのは、単なる身体機能の低下ではありません。
できることが減る。
移動に時間がかかる。
疲労が前倒しでやってくる。
仕事の仕方を変えざるを得ない。
生活のあらゆる場面に、以前は必要なかった工夫が必要になる。
しかし、本当に大きいのはそこだけではありません。
もっと深いところが壊れます。
それは、自分が自分をどう見ていたかという感覚です。
昨日までの自分ならできたことができない。
昨日までの自分なら選べた未来が選べない。
昨日までの自分を前提に置いていた目標が、そのままでは自分を苦しめる。
障害とは、不便の問題である以前に、役割の喪失であり、自己像の揺らぎであり、未来予測の崩壊です。
そしてその影響は、他者との関係にまで及びます。
以前のように頼れない。
以前のように働けない。
以前のように役に立てない気がする。
その感覚は、想像以上に人を黙らせます。
「もう以前の自分ではない」
この現実は、とても重い。
しかも厄介なのは、この苦しみが外からは見えにくいことです。
人は善意で言います。
「できることを探せばいい」
「前向きに考えればいい」
「きっと時間が解決する」
その言葉が間違っているわけではありません。
でも、人生の前提が崩れた直後の人間には、その正しさが遠すぎることがあります。
なぜなら、その人は能力だけを失ったのではないからです。
「自分は何者なのか」という足場まで失いかけているからです。
支えられる側になって、初めて分かったこと
私は障害を負ってから、ひとりでは立ち上がれない時期を経験しました。
それまでの私は、どこかで努力を信じていました。
苦しくても、自分で何とかする。
迷惑をかけない。
弱さは見せない。
そういう生き方を、正しいものだと思っていたところがあったのです。
けれど、現実は違いました。
人は本当に深く傷つくと、自力だけでは立てないことがあります。
それは甘えではありません。
敗北でもありません。
人間の現実です。
私を支えてくれたのは、家族でした。
友人でした。
そして、同じように何かを失いながら生きている人たちでした。
その中で私は、支援や寄り添いについて、根本から考えを変えました。
人を救うのは、必ずしも立派な言葉ではない。
むしろ、本当に苦しいときに必要なのは、答えの提示ではないことが多い。
そのことを、私は支えられる側になって初めて知りました。
すぐに意味づけしないこと。
簡単に励まさないこと。
正論で押し切らないこと。
「分かる」と軽々しく言わないこと。
相手の苦しみを、きれいに整理して片づけようとしないこと。
ただ、その人の混乱や悲しみや怒りや沈黙のそばに、逃げずにいてくれること。
それが、どれほど大きな支えになるのかを知りました。
苦しいとき、人は助言だけを求めているわけではありません。
自分の痛みを勝手に処理されない場所を求めています。
泣けない苦しさも、言葉にならない絶望も、情けなさも、そのまま置いておける場所を必要としています。
人は、正しい言葉で立ち上がるとは限りません。
けれど、安心して弱れる場所ができたとき、少しずつ呼吸を取り戻していくことがあります。
この経験は、私の生き方を変えました。
そして同時に、カウンセリングという営みの意味を、以前よりもずっと深く理解させてくれました。
苦しみは消えない。けれど、意味は変わる
ここは誤解されたくありません。
私は苦しみを美化したいわけではありません。
障害を負ってよかった、などと簡単に言うつもりもありません。
失ったものは大きい。
取り戻せないものもある。
その現実は、どれだけ時間が経っても消えません。
苦しみは、消えないことがあります。
悔しさも、喪失も、身体の不自由も、人生から完全には退場しないことがあります。
けれど、意味は変わることがある。
私はそれを、自分の人生で知りました。
かつてはただの傷でしかなかった経験が、ある日、誰かの言葉を受け止める器になることがある。
かつてはただの断絶でしかなかった出来事が、誰かの絶望を理解するための回路になることがある。
苦しんだから偉いのではありません。
ただ、本当に苦しんだ人にしか届かない言葉はある。
本当に絶望したことのある人にしか分からない沈黙がある。
私は、そのことを信じています。
「大丈夫」と言われても、何ひとつ大丈夫ではない夜があります。
「前を向こう」と言われても、前がどこにあるのか分からない日があります。
そんなときに人を少しだけ生かすのは、強い励ましではなく、「それほど苦しかったのですね」と受け止める静かな言葉だったりします。
私は、自分と同じように苦しんでいる人のために何かしたいと思うようになりました。
それは、立派な志というより、ほとんど必然でした。
自分が壊れた場所を知っているからこそ、誰かの壊れかけた場所に、乱暴に触れずにいられるかもしれない。
苦しみの只中にある人に対して、簡単な希望を押しつけずにいられるかもしれない。
そう思ったのです。
だから私は、再びカウンセラーの道を歩む
私が再び歩み始めたいと思った道は、カウンセラーでした。
カウンセラーとは、答えを与える人ではないと私は思っています。
人生の正解を示す人でもありません。
相手を効率よく立ち直らせる人でもありません。
混乱のそばにとどまる人。
悲しみを急いで意味に変えない人。
怒りや沈黙を未熟さとして処理しない人。
そして、その人が自分自身の新しい人生を見つけていく過程に、静かに伴走する人。
私は、カウンセラーとはそういう存在だと思っています。
なぜ、再出発の職業がカウンセラーだったのか。
それは、人生が壊れる感覚を、私は頭ではなく身体で知っているからです。
元に戻れない現実が、どれほど人を苦しめるか。
以前の自分との比較が、どれほど残酷か。
善意の言葉が、ときにどれほど鋭い刃物になるか。
そのことを、私は経験として知っています。
だからこそ、寄り添うということを軽く扱いたくない。
支援とは、相手を急いで変えることではない。
苦しみを整理しきれない人のそばで、整理できる日が来るまで待つことでもある。
私はその価値を信じています。
中途重度障害者である自分だからこそ見える景色がある。
以前の私には届かなかった痛みが、今の私には少しだけ分かる。
その現実を、ただの不幸として終わらせたくない。
この痛みを、誰かに届く理解へと変えていきたい。
それが、私が再びカウンセラーとして歩み始める理由です。
人生は壊れても、ここから歩き直せる
障害を負ったから終わりではない。
この言葉は、簡単に使うと薄くなります。
なぜなら、終わったように感じる瞬間は現実にあるからです。
それでも私は、人生は歩き直せると思っています。
ただしそれは、以前の自分に完全に戻るという意味ではありません。
元通りを目標にすると、人は苦しくなります。
失ったものが大きいほど、その距離に打ちのめされるからです。
しかし、人生を再設計するという視点に立つと、見える景色は変わってきます。
前と同じではない。
でも、ここから作り直すことはできる。
働き方も、休み方も、人との関わり方も、自分の価値の置き場所も、今の自分に合わせて設計し直すことはできる。
自己肯定感も同じです。
昔の自分に戻れたから回復するのではありません。
今の自分を、前とは違う存在として引き受け直す。
そのところからしか、本当の再出発は始まらないのだと思います。
もし今、あなたが「このままの人生でいいのか」と感じているなら、その問いを否定しないでください。
その問いは、あなたのわがままではありません。
まだ自分の人生を諦めきっていない証拠です。
壊れたまま終わりたくないという、深い場所からの声です。
すぐに答えが出なくてもいい。
大きく変われなくてもいい。
ただ、自分の人生をもう一度引き受ける方向へ、少しだけ顔を向けること。
再出発とは、たぶんその静かな動きから始まります。
この文章を必要としているあなたへ
この記事は、今まさに立ち止まっている誰かのために書いています。
事故や病気で人生が変わってしまった人。
障害を負ってから未来が見えなくなった人。
以前のようには生きられないのではないかと感じている人。
自己肯定感を失い、自分の価値が分からなくなっている人。
誰かの支えになりたいのに、自分もまだ苦しい人。
人生は、ときに容赦なく壊れます。
けれど、壊れたあとにしか見えない景色があります。
そこからしか育たない理解があります。
そして、そこからしか始まらない生き方があります。
私が再びカウンセラーとして歩もうとする理由は、そのことを信じたいからです。
人は、元通りにはなれなくても、別のかたちで生き直すことができる。
私はその過程に、静かに光を当てられる存在でありたいと思っています。
もしこの文章が、あなたの中に少しでも残るものになったなら、ここで終わりにしないでください。
あなた自身の人生について、もう少しだけ考えてみてください。
そして、似た苦しみの中にいる誰かがいるなら、そっとこの記事を届けてください。
ひとりで抱え続けなくていい。
壊れた場所からしか始まらない道もあります。
私はこれからも、その道について書き続けます。
痛みを軽く扱わず、希望を安く売らず、それでもなお生き直す可能性を、言葉にしていきます。
「このままでは終わりたくない」
もしあなたの中にその声がまだ残っているなら、あなたの人生は、まだ終わっていません。
CTA
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
この場所では、
中途重度障害者として生きる現実、
人生の再設計、
自己肯定感の再構築、
支援と対話の本質について、
表面的ではない言葉で、これからも書いていきます。
今のあなたに必要な記事が、ほかにもきっとあります。
次の一歩として、関連する記事もぜひ読んでみてください。
そして、この文章があなた自身や大切な誰かに必要だと感じたなら、そっとシェアしていただけたらうれしいです。
壊れたあとから始まる人生を、ここで一緒に考えていけたらと思います。

誰かに話したい人へ

続きはブログにまとめました↓

左片麻痺でも人生は再設計できるし、働ける

自分を大切にする生き方

3 responses to “このままの人生でいいのか悩む人へ|人生を変えたいのに動けない理由と解決策”

  1. つまらん文章やね。普通の話やな。俺はこれまで死ぬ様な地獄を何度も何度も潜り抜けて来て、ようやく心の平穏を手に入れる事が出来て、今は、カウンセラー及びメンタルトレーナーとして皆様の心を微力ながらも支えさせて頂いている。普通に暮らしていてある日突然災厄が降りかかり、今まで持っていた当たり前だった様な、大切なものが消え失せてしまった時のその喪失感と苦しさは、想像するに難くはない。私は、物心ついた3歳くらいの時から憂鬱に囚われ始めて、その後の人生は精神疾患と、重度のアトピー性皮膚炎に苦しみ続けたが、ようやく最近になって私はこれらの壁をぶち抜く事に成功し、前述した様な日々を送っている。私の目標は、この国日本の強い一本の柱となって支える事なのである。

    1. コメントありがとうございます!
      大変でしたね!

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About Me

I’m Jane, the creator and author behind this blog. I’m a minimalist and simple living enthusiast who has dedicated her life to living with less and finding joy in the simple things.

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