たまに考えることなのですが、日本の歴史でいうと神武天皇即位から2682年という長い期間というのが明治期にできた皇紀という考え方であり日本の国としての年齢になる。
しかし日本人の文化というのは縄文から連綿と続くものと考えるなら短く見積もっても6000年は存在する。
それほど長い間醸成された気質を聖徳太子は「和」と呼んだのだろうと私は推測している。
ただ仲良くしましょうねという事ではないと思う。
そもそも聖徳太子がいなかった問題もあるが、もしいないとするなら、時の朝廷が全ての悪事を蘇我氏に押し付けた時に、蘇我氏の功績を剥奪するという目的で聖徳太子という架空のスターを作り上げ、全て彼の功績になったのではないだろうか?
私は歴史学者ではないので勝手な考察だが、こう考えるとつじつまが合うように思う。
誰が改ざんしたのか?
私の予想は「中大兄皇子」こと「天智天皇」ではないかと考えている。
非常にどうでもいい話だが、私はこのような歴史のロマンが大好きです。