【闇】諦めから始まる生

私は30歳の時に、右脳出血によって左片麻痺の中途重度障碍者になった者です。
手術は成功し、命は取り止めましたが思い障害が残り、当時の妻から離婚を突き付けられ、歳の娘とも離れることになり正に人生のどん底に居ました。
その時の事やリハビリなど多くの事を経験することで、前向きな考え方ができるようになり、「障害の受容」を達成し、それらの経験を元にブログ等で前向きな中途重度障碍者として発信していますが、一部虚構が含まれています。
「他人に聞かせる言葉は綺麗な方が都合がいい」ということで、前向きで某チャリティー番組に紹介されそうな良い障碍者を装っています。
恐らく、世間の皆さんにはこの虚構の私の方が参考にできることも多いでしょう。
ですが、本当の自分を表現する場も欲しいという事で、不定期に心の闇を露にする記事を投稿しようと思います。
順風満帆で、一般でいう幸せな家庭や仕事を持っていた男が、一瞬で地獄に落ちた話から読者の皆様の不安・挫折に寄り添えるコンテンツになれば幸いです。
このシリーズは完全に不定期ですので次回はいつかは明言できません・・・。
それでは、お楽しみください。(読んでいてこいつは何を言っているんだろうと思った方はタイトルにい【闇】が入っている記事は飛ばしてください)

第一章 人生という舞台の底は突然抜ける

 人生は偶然の積み重ねなのか?それとも必然なのか?
アインシュタインが言った「神はサイコロを振らない」がもし正しいなら、信仰どころか、神を呪いたい人も世界中に大勢いるだろう。
 私は、ある日突然、脳の血管が破れた。確かに健康診断で高血圧と言われたが、当時は仕事が忙しく病院に行く暇などなかったし、まだ30歳だという驕りもあっただろう。
 思い返すほど自分の責任だと痛感する。
改めて人は誰かのせいにしたい生き物だと理解できる。
 疑いようもない真実だと認識できるのは「自己体験」だからだろう。
これが真に完成した人間になるための通過儀礼なのだろうか?というのが意識が戻った病院のベッドで頭に浮かんだ自分への皮肉だった。
 そして始めたのは、現状の理解と自問自答。
よく大人は、自分を客観視できることは素晴らしいというような言葉を吐く、しかし、無限にも思えたベッドの上での自問自答は、自分を正確に客観視するには十分な時間だった。
 「自分を客観視する」これは控えめに言って地獄である。 特に、障害を負い自分にとって大切だと思っていたものが全て手のひらから零れ落ちたと思っていた私にとっては・・・。

「死ねばいい」これほど優しい言葉は他にないと思う。
「頑張って生きろ」最低な言葉だ。
二度と吐くことのない言葉だろう。
自分が体験したことで初めて分かった。「ただ生きることに意味も目的もない」と強烈に思えるほどの原体験があるかないかで、その人の言葉の重みは変わってくると思う。

私の言葉に重みは加わっているだろうか?
答えを聞くのが怖いので、誰にも問いかけていないが、人としても重みが出てきたと信じたい。

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About Me

I’m Jane, the creator and author behind this blog. I’m a minimalist and simple living enthusiast who has dedicated her life to living with less and finding joy in the simple things.

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