私は、31歳の時に右脳出血を患い、生死を彷徨ったのち左片麻痺というおまけつきで生き延びた。
こうして私は、中途重度身体障碍者という社会的立場を手に入れたのだ。
そんな私から、障害を負ったことで、気づかされた、諸行無常と常に自分を変化させる力の重要性やマインドづくりを実体験を踏まえてお伝えしたいと思う。
自責他責に関わらず変化は生きていれば何度も襲ってきます。
健康に生まれたらずっと健康だと思っていませんか?
今の生活がずっと続くと思っていませんか?
老化も立派な機能低下ですし、メンタルの病気も昨今多いです。
健康に気を使っても事故に巻き込まれたりも考えられますよね。
本当にこの世は常に変化しています。
それを乗り越える力を身につけましょう。
ところで、偉そうにしている私は一体何者なのか・・・。
現在39歳の中途重度身体障碍者で、平日はJAの非正規職員をしながら、週末に
自身のリハビリをしてからピアカウンセラーとして無報酬で障碍の受容に寄り添ったり、引きこもりのカウンセリングをしています。
また、現在養父市と明石市で二拠点生活をしていて、専門はピアカウンセリングとダイバーシティマネジメントです。
結局、なに屋さん?って聞かれるが、とりあえず、ごく一般的な中途重度障碍者ですと答えている。
それでは、変化とは何なのか、どうすれば変化を楽しめるのかをお伝えしようと思いますので、しばしお付き合いください。
〇なぜ人は変化が怖いのか?
「変化を受け入れろ」とか「変化を楽しんで」とか言いますよね。
特に最近多いように感じます。
しかし、そう簡単に変化を受け入れられないですよね。
なぜなら、生物は変化を嫌うシステムが内蔵されているからです。
これを「生存本能」と言います。現代の日本人にしっくりくる言葉を選ぶと、
「成功体験」だと私は思います。
今までこれでうまく生きてこれたんだからというある種の成功体験があり、
それを変えると、もしかしたら想定外のリスクがあり危険に晒されるのではと感じてしまう。
だから人間は、その範囲を超えず、じっとしています。
学者じゃないので、私個人の考えですが、これこそ変化を恐れる本質だと私は結論付けました。
この認識について私は正しいと思います。
しかし、AIが実用化されれば情報量や生産性が爆発的に伸びていくと予想されています。
例えば情報革命前を知っている世代からすると変わりすぎて、前時代の不便さ忘れてますよね。
その変化から目を背けて、受け入れなかった人から、社会での存在感を無くしていったのを覚えていると思います。
今生き残っている年配の社会人の方は、会社から嫌々PCの研修を受けさせられたりして葛藤しながらも変化を受入れ順応した世代だと思います。
また、あの時代が来ます。
しかも、今度はもっと圧倒的なスピードと変化量です。
結局、変化や進化って、環境等の要因によって必要に迫られ否応なしに変わることだと思います。
変化を嫌う生物にとって凄くストレスですよね。
それでも、常に時代の流れにアンテナを立てて知ることも大切だと思います。
〇私に起こった変化
私が経験した変化を簡単に書きます。
元々、体は丈夫ではなかったが五体満足で、スポーツ好きの男でした。
しかし、ある日、自宅で娘と遊んでいると床に胡坐をかいて座っていたのに、左側に倒れて、起き上がれなくなり呂律も回らなくなりました。
救急車を妻に呼んでもらい、緊急手術の結果、命は助かったが左片麻痺という後遺症が残ってしまった。
まさに強制的に環境が変わってしまう出来事でした。
この時点では、自発的に価値観や考え方を変えなきゃとはまだ思っていない。
ただただ仕事復帰や妻や子供とのこれからの生活のことを考えていました。
詳しいリハビリ部分は割愛するが、入院中に離婚を求められ、それに応じたため、退院の日を迎えた時は自宅マンションではなく、実家に帰ることになった。
ここから現実を突きつけられる。
病院ってバリアフリーだし、みんな病人だし、患者に優しくて世間とは全く違う守られた空間なんです。
そりゃそうだろうって思いますよね
私はそれを本当の意味で分かっていなかったのです。
リハビリ入院中は、杖なし歩行3kmを記録し、普段の入院生活に不自由することはありませんでしたし、退院したら近所の公園で散歩を日課にしようと思ってました。
ところが、初めて公園に行く日、自宅から10分の距離だが横断歩道が2つある。
人生で初めてドキドキしながら横断歩道を渡った。
途中で足がもつれたらどうしよう、左折待ちの車にクラクション鳴らされて、びっくりして、足が動かなくなったらどうしよう、そんなことを考えながらなんとか渡ったところで、次の信号待ちをしている10人ほどの人たちの憐れむような視線を感じた。
内心、もう無理だと思ったが、やると決めたらやるほうなので、横断歩道を渡り公園に到着。
この時点で、心は帰りの横断歩道の恐怖に捉われていた。
病院のリハビリ室では3km歩けた。その自信が心の支えだったが、
公園で親子やランナー、自転車、ウォーキングするお年寄りに、どんどん抜かれ、
皆の憐みの視線を受け続けた結果、500m程で足が震えて前に出なくなった。
この時の絶望は今でも覚えている。
3km歩けて右手が通常通り動けば仕事ができると思っていたからだ。
そして階段もネックになった。
日本って左側通行なんですよ。手すりも左についてて、でも私は右手しか動かないから、
階段降りるときは右側です。前から人が登ってきて、私を見るなり、睨んだり、舌打ちしたり、ぶつかってきたり、何?私は見ず知らずの人にまで体が不自由でって言って歩かなきゃいけないのか?って思ったわけで、この社会のルールじゃ生きていけないんだなと実感しました。
頑張れって言ってくれる人いるけど、物理的にも精神的にも無理やんって思ってました。
想像できますか?皆さんならどうしてますか?
障害者がひきこもるのには必ず理由があります。
常に敵意や疎外や憐みの視線を受けると分かっている外に、出ていけますか?
障害者は甘えてる。ってよく聞きますが、本当ですか?
そんな中で私は、必死に考えてある結論に到達します。
治らないなら、健常者の時のルールや常識は捨てようとを選択しました。
これが私の変化のきっかけです。駄目な自分を許すことから始めました。
周りから見れば諦めにも映ると思いますが、本人からしたら受容です。
許して受け入れる。
障害者になって明確に自分の意志で、自分の至らない部分を許して、楽しいことを全力でして、残りの人生を生きようと選択したのです。
そうと決まれば心は自由です。
私の変化は強制的なイベントですからストレス凄かったです。
こんな思いは二度としたくないと思ったのを鮮明に覚えてます。
それならどうするのか・・・。
変化を楽しむ以外ないんです。
強制イベント発生前からたくさん変化を経験して耐性を付けて、面白がれるマインド作りです。
例え強制イベントでも悩んだ末自らの意志で変化しようとすることが楽しむコツです。
少し、具体的な話をすると、効果的な行動を3つ紹介します。
1.住む場所を変える
2.仕事を変える
3.新しい価値観を学べる場に意識的に行く
つまり能動的で自発的な選択肢が必要で、それを自ら選ぶということです。
〇それでも行動できない人
そんなこと言っても、仕事変えるのなんてリスクしかないから無理だよ。
大多数の皆さんはそう思ったと思います。
それが成功体験の足枷です。
転職ができるのか?収入は?家族はなんていう?
不安はいっぱいありますね。
人生なんとかなりますよ。
こんな体が不自由な人間が言ってるんですから。
変化を楽しむのにメンタルブロックがかかる不安要素は、「お金」本当に重い足枷です。
貯金をしましょうってことではないです。
複数の収入源を確保し、リスク分散に努めましょう。
金融業界でいうポートフォリオマネジメントです。
私を例に挙げると、メインのライスワークはJAです。
サブのライフワークはカウンセラーです。
お金はいただいてませんが、何かあったらカウンセリングは即現金化可能です。
また、障碍者になってから、転職3回、転居2回、離婚・再婚1回と現在転職検討中です。
でも、うち副業禁止なんです。って人いますね。
私のとこも副業禁止ですよ。
だから念のためお金もらってません。
渋々転職したことはないし、嫌々転居したこともないです。
離婚は嫌々ではないけど娘と離れるのは辛かったです。
でも毎回ワクワクしながら変化を楽しんでます。
これからの不確実な世界を生きる子供たちに、ワクワク楽しんで変化してる大人の姿をみせましょう。
もう一つおすすめが、デュアラーになるってこと
転居よりも難易度低いですよ。
デュアラーとは、デュアルライフ(二拠点生活)してる人のこと
二拠点生活のいいところは、住む場所が2カ所あるということです。
暮らしの拠点が2カ所あれば、人と繋がれる場所や活動する拠点が増える。私は明石の若者を大切にするカルチャーを肌で感じて、養父らしい自然をのんびりと堪能し、異なるカルチャーを吸収していけるのでスキルとコミュ力高く、フットワーク軽く動ける人なら、仕事の幅も広がることが大きなメリットです。
2つの異なるカルチャーを行き来していると、自分の中で化学反応が起こり、面白い企画や新しいアイデアの発想にも繋がっていきます。人との繋がりや視点が広がるだけでなく、いざというときに逃げ込める場所も増やしてくれます。
人間は、どうしても仕事やプライベートの人間関係等できつくなるときはあります。
そんなときの為に気分転換できる、心の健康を保つ場所は大切です。
デメリットを考えると、やはり「時間とお金」だと思います。特に気になるのが、この2点だと思います。家が2カ所あれば家賃も光熱費も当然ながら2倍かかり、一拠点なら不要な移動交通費が必要になります。また、田舎なら車は所有してるほうがいいです。
「お金=仕事・給料」に直結するわけですが、一拠点でしか仕事ができない人は、当然仕事が優先になりますし、週末だけのデュアラーとなります。
ちなみに私はこれにあたります。
平日週40時間の勤務が義務付けられているためです。
私は、どこでも稼ぐ術は持っていますが、現代社会において最も愚かな規則である「副業禁止」に足を引っ張られているのが現状です。
時間の括りでいえば、移動時間をどう過ごせるかが鍵になってきます。この移動時間の使い途次第で、作業効率が大幅に変化するからです。
私の場合、車の移動中は、動画サイト等で興味のある方の対談や、有識者の情報を音声で聞きインプットの時間に充てています。
皆さんも旅ではなく、週末だけ自然豊かな田舎で自分の帰る場所を作り、心の健康を保つために、自分の為にお金や時間を使ってはどうでしょうか。
旅は旅で素敵なことだと思いますけど、安心できる居場所ではないように思います。
例えば、毎回泊まる安宿を中心としてコミュニティ作りをしたり、仲間と共同で空き家を購入して、固定費を折半したりと、費用を抑える方法はいくらでも考え付きます。
自分に合った方法で、忙しい日常を一時でも忘れられる場所を作ってみませんか?
少しづつ自分の中で何かが変わっていく感覚を感じられるかもしれません。
できれば、兵庫県養父市に来てもらいたいです。
「ライフマネジメント」って言葉があるのかわからないが、私は常にこれを意識しています。
やりたいことに対して、自分の持ってるリソースを正しく把握し、やりくりする感覚楽しいですよ。
自分の人生をマネジメントする上で、重要なポイントだと思います。
組織人ならわかると思いますが、管理部門が強くなると挑戦できない組織になります。
私はチャレンジ大好きなので、自分の人生を管理するつもりは全くなく、チャレンジに向かって、お金・時間・交友関係をどう使い達成するかというやりくりに全力を使い、行動することを意識しています。
書いてて思ったのですが、変化の最たるものってチャレンジですよね。
チャレンジこそ、意志の伴う選択だし、メリットしかない。
チャレンジすると結果は、成功するか、失敗する。
失敗って俗になんて言います?
失敗は、成功の母ですよね。
じゃあ成功の母って何?
私はこう思っています。
成功の母=成長
ということは、チャレンジすると結果は、成功or成長でしょ。
ほら、メリットしかない。
変化の最たるものがチャレンジとするなら、変化=成功or成長
どうですか?変化楽しめそうですか?
もちろん、困難の割に成長や成果が少ないってこともあるでしょう。
しかし、少しでも今の自分から変わったんならいいじゃないですか。
変化したという事実が重要であって、困難に対しての変化量を気にする必要はありません。損得勘定はやめていきましょう。
拘るべきは過去の自分から少しでも変われたかどうかです。
じゃあ悪い方に変わったら?
その心配は誰でもありますね。時代の流れに逆行したらどうするんですか?
そうならないように学び続けましょうとしか言えないですし、
この前この話をしたら、あるお母さんが、子供が変われなかったらどうするんですか?
って質問された。
私は「必ず変われるって信じてください。」
答えになってないのはわかっていますが、信じるしかありません。
親が変化を本気で楽しみ、その姿を子供に見せることができていれば、変化を遊びのように楽しむ子供になると思いますよ。
〇それでも絶対無理って人
無理強いは致しません。
前半で書いた通り強制的な変化はストレスです。
しかし、そこまで急激な変化は無理だけど変わりたいって意識を持った人の為に書きます。変わりたいって意識が持てたのにアクションが大きすぎて行動できないってモヤモヤしますよね。
そんな貴方に、2つの実践をプレゼント
- 苦手だった食べ物を今晩美味しそうに食べてみる。
- 毎朝特に無意識でしていた挨拶を意識して元気よくしてみる。
これも立派な変化です。
しかも、自分の人生にプラスに働くことですので、是非小さな変化をコツコツ積み重ねてみてください。
「志は高遠を期し、功は切近を貴ぶ。志、高遠ならざれば、則ち自足し易く、功、切近ならざれば、則ち學は實効なし。」
意味は、「志は、高く大きく持ち、それを実現するためにやる実践は身近な事からが良い。志が高くないとすぐに満足してしまいやすく、また、実践が身近な事でないと自分を高めていく学問をしているといってもなんの役にもたたない。」
今住んでいる養父市にいた但馬聖人こと儒学者の池田草庵の言葉です。
大きいことをしなければというのは思い込みです。
志は大きく高く持った上で、コツコツ行きましょう。
では、なぜ変化の例として一般的にビックイベントと言えるものを提示したのか。
私がビックイベントだと思ってないからです。
転職、転居は人生のビックイベントだって誰が決めたの?
それって常識ですか?
私は、普通と言われるレールから無理やり外された人間だから気にしない。
皆さんもそうしましょう。
常識なんてものに捉われず、生活すると楽しいですよ。
したいことだけすればいいんじゃないでしょうか?
抵抗ありますか?
〇常識に捉われない
常識ってありますよね。
常識って普遍的なものだと思ってませんか?
常識って時代によって変わるものなのに、平等とか権利とか義務とかは普遍的なものだと思ってませんか?実際、日本は明治期にベースができ、今の常識や価値観は戦後ですよね。
新卒で入った会社で定年までって、常識なんですか?
今の若者で誰がそんなこと信じてます?
価値観の大転換はすでに起こってます。
例えば、常識と似たものに社会規範というルールもあります。
社会規範って大多数の普通と呼ばれる人たちが、生活しやすく働きやすいために作られたものだと思っていますが、私も健常者のころは何も疑わず従ってました。
理由は簡単です。従わないと怒られるし、仲間外れにされるからです。
今はその心配がありません。
既に仲間外れだからです。
これは自己憐憫ではなく、町を歩くと感じるのです。
無数にある街中のバリアーや人々の憐みの視線。
残念ながら今の日本の社会は仲間から外れた時点で、生きていくのは困難です。
健常者で、普通と言われている皆さん
今のうちに変わってみましょう。
気づいていない方が多いですが、いつこちら側にくるか人間分からないですよ。
もしかしたら一分後かもしれないし、明日朝起きたら動かなくなってるかもしれません。
そうなれば、貴方もダイバーシティグループの仲間入りです。
皆さんが思っているより遥かに人生とはギリギリの綱渡りです。
それ以外にも、いつ会社が無くなるかなんて誰にも分かりません。
まさかいつまでも自社があるなんて思ってないですよね?
現在の常識に捉われず、仲間から自らの意志で外れてみましょう。
凄く楽で自由です。
常識に捉われず、変化を楽しめたら、これから怒涛のように変化が押し寄せる人生が、楽しいことだらけになりますね。
〇変化を楽しむコツ
わたしなりのコツですが、以下の3つになります。
一つ目は、どうでもいいことは気にしない。
例えば、何かチャレンジをしようとしたとき、周りから、そんなことどうせ無理だからやめとけと言われたり、変な宗教に嵌ったなどの噂話が流れたりする。
これは本当に多い。
皆さんも経験があるのではないだろうか。
この根拠のない噂話や忠告に耳を貸す必要などない。
といっても気になるものですよね。
じゃあどうするのか?
その忠告は彼らの過去の体験から導き出された成功法則に則ったものなので、説得は難しい。
なぜなら、人は身近な人ほど自分の価値観から外れることを嫌がるからです。
さらに、人は他人に変えられたくないという強いメンタルブロックを持っているからです、話し合っても意味はありません。
それならば、どうするのかというと、無視して行動です。
人は結果を出せば掌を返します。
そんな確固たる軸も信念もない人の忠告など聞く意味がありません。
自分の評価は自分でしましょう。
私は、自分に厳しくないので、いつも高得点で楽しいです。
二つ目は、自己満足の精神
社会とは昔から少なからず日々変化していた。
その変化が現在はもの凄いスピードで変化している。
そんな周りが変化している状況で、自分だけ変わらなかったら?
それは現状維持ではなく、退化ですよ。
気づいてますか?
というところから、社会の変化を超えて自ら変化してる自分って最高って思えませんか?
そう、自己満足です。
自分が満足できればいいっていうのが、変化を楽しむコツです。
皆も変えなきゃっていうのはお互いにとってストレスですので自分だけでいいのです。
私の姿を見て、そっち楽しそうって思ってくれればいいと思ってます。
三つめは、変化はチャンス
まさに変化とは今までの自分を顧みるチャンスです。
過去を顧み新たな気持ちでスタートする。まるで元旦のような清々しさ。
勇気を出して行動したことは無駄にならない。
なぜなら、少し前に書いた、変化=成功or成長という考え方が、私のマインドにインストールされているからです。
だからこその変化は、二重の意味でチャンスです。
なぜ、こんなに変化について書くことになったのか、自分の人生の主人公はもちろん自分であり、他人ではない。
物語にとって変化とは醍醐味です。みんなが人生の醍醐味を楽しんで魅力的な大人ばかりになったら、変化を楽しめる子供が育ち、活き活きした日本になるんじゃないかってことで書きました。
もちろん変化には多くの場合困難が伴います。
私のように難ばかりの人生もありますが、難のない「無難な人生」と難が有る「有り難い人生」どちらの主人公になりたいですか?
私は難が有る「有り難い人生」を送りたいですし、その難を楽しめたら最高ですよね。
ここまでで、私が日常どんなことを考えているか少しご理解いただけたかと思います。
わるか分かったものじゃない。
という「諸行無常」というものを身を持って理解しました。
経済活性化できるモデルを作り変えても、環境変化やその他要因で、また今のように立ち行かなくなる可能性を多分に秘めていると思っています。
私だって、ここまで書いたことを丸々ひっくり返す日が来るかもしれません。
先のことはだれにも分からないのです。
だからこそ楽しんで行きましょう!!
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