神君遺訓

1.神君遺訓

神君こと徳川家康が残した言葉ですが、私は結構好きです。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

意味は

「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。

 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。

 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。

 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。

 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。

 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。

 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。」

大体こんな感じです。

非常に日本人的というか、東洋的というか共感できるところも多いのではないでしょうか?

私は道半ばで強烈な重荷を載せられました。

2.私の重荷と「障害の受容」

私の重荷は例えるならお米です。

その後の生き方は、その重荷を自分の糧とし、重かった経験のみ頂くという選択をしたので、現在はおなかいっぱいの状態で重荷なく人生を進んでいます。

この感覚になれれば「生きること」が非常に楽になります。

当時の辛さを傍らに置いておくことができます。

もしかしたらこれが「障害の受容」なのかもしれません。

もう少し、深く考えてみると、「つらい経験を糧にする」とか言うことがありますが、このつらい経験こそ重荷であり糧なのではと思えてきます。

その重荷を背負い人生を修行のごとく忍耐強く生きることを是とするのではなく、その重荷を糧にすることで自分の中に取り込み力にして前に進む。

そして、荷が軽くなっても重かった時を忘れずに人生を続けることが肝要である。

という風に自分なりの解釈をしています。

私自身、@「障害の受容」をして、荷が軽くなっても当時の辛さ不自由さを忘れずに、ブログに書いたり忘れないように定期的に思い出す作業をして、これから生きていくことにしていますし、人間は忘れるものですので、定期的に思い出すシステムや習慣を自分の中で持っておくことをお勧めしています。

偉人の素晴らしい言葉も、自分なりに咀嚼し解釈することで自分にとっての生きた言葉や教訓になるのではと思っています。

皆さんの好きな言葉は何でしょう?

【自己肯定感】
https://newlifestylesdlm.wordpress.com/2021/03/18/%e8%87%aa%e5%b7%b1%e8%82%af%e5%ae%9a%e6%84%9f/

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