妻が二十年守り続けた地方公立病院を辞める日——

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夜勤4人→3人・基礎疾患持ちをコロナ病棟に回すマネジメントへの「当然の怒り」と、すべての看護師さんへの敬意

「……ごめん。もう、ここで働くのは無理かもしれん。」

二十年以上、地方の公立病院で夜勤も早番も遅番もこなし、
雪の日も台風の日も、急性期病棟の現場を支え続けてきた妻が、
はじめて「辞める」という言葉を口にしました。

その背景には、

夜勤体制を4人から3人に減らすことが、現場への相談もなく一方的に決定されたこと

基礎疾患を抱える妻が、何の相談もなくコロナ病棟(コロナ部屋)に配置されたこと

という、「現場を知らないマネジメント」「人材不足から始まる崩壊」の象徴のような出来事がありました。

この記事は、
中途重度障害者である夫の視点から、妻の決断と現場の実態を見つめなおし、

「怒りはわがままではなく、当然であり妥当なものだ」ということ

「それでも現場で働き続けている看護師さんたちへの、心からの敬意」

「看護師が退職を考えるのは“逃げ”ではなく、生き延びるための選択肢だということ」

を、できるかぎり丁寧に言語化した長編エッセイです。

1|「もう無理かもしれん」と妻が言った夜

「ごめん。もう、ここで働くのは無理かもしれん。」

二十年以上、地方の公立病院で働き続けてきた妻が、
ある夜、ぽつりとそう漏らしました。

私は中途重度障害者として、自宅と職場と病院を行き来する十数年を過ごしてきました。
その横で、妻はずっと、私よりもずっと長い時間を病院に捧げてきました。

急性期病棟での緊張感

夜勤明けのふらついた足取り

休日のほとんどが「回復に消えていく」生活

それでも妻は、これまで一度も「辞める」とは言わなかった。
愚痴はこぼしても、最後は必ず
「患者さんがね」「あの後輩が気になってね」
と誰かの顔を思い浮かべていた。

そんな妻が、「辞めるかもしれない」と口にした。
そこまで追い込んだのは、

夜勤体制4人→3人への一方的な変更

基礎疾患を抱える自分が、何の相談もなくコロナ病棟に回されたこと

この二つの出来事でした。

私は夫として、怒りを覚えました。
同時に、一つの確信も得ました。

> これは単なる一人の看護師の「退職」ではなく、
現場を無視したマネジメントと、人材不足から始まる地方医療の崩壊の“結果”なのだ、と。

この記事は、その確信を言葉にし、
同じように苦しみながら働く看護師さん、
そして「辞めるか悩んでいる」あなたに向けて書いています。

2|二十年以上、地方公立病院の現場を支え続けたということ

妻が働いていたのは、地方の中核的な公立病院です。
いわゆる「地域の最後の砦」と呼ばれるような急性期病院でした。

24時間365日の救急受け入れ

高齢化による多疾患患者の増加

慢性的な人手不足

医療費抑制・診療報酬改定・在院日数短縮の圧力

二十年のあいだ、そのすべてが現場にのしかかってきました。

「当たり前のように」働き続けてきた20年

大雪で交通機関が止まりそうな日も、

台風で道路が冠水しそうな日も、

コロナ禍で誰もが不安に震えていた日々も、

妻は「行かなあかんから」とだけ言って、出勤していきました。

夜勤明けの朝、
青白い顔で玄関を開け、
かろうじて笑顔を作って「ただいま」と言う。

朝ごはんを軽く口にし、そのままソファに倒れ込むように眠る。
目が覚めたらもう夕方で、
また翌日の勤務のことを考え始める。

そんな生活を、二十年以上続けてきた人が、
「もう無理かもしれん」と言ったのです。

「患者さんと後輩」のために、自分を後回しにしてきた

妻の口癖は、

「あの患者さん、どうしてはるかな」

「あの後輩が心配やねん」

でした。

自分の体調が悪くても、
自分の寝不足が酷くても、
まず出てくるのは患者さんと後輩の話。

現場の厳しさや人手不足は、統計やニュースでも語られます。
けれど、「二十年そこで働き続けた人の心の中」は、
なかなか表に出てきません。

この記事は、
その「長く現場を支えてきた人の視点」と、
「それを横で見てきた家族の視点」を、
少しでも可視化する試みでもあります。

3|夜勤4人→3人、「相談ゼロ」で決まるという構造的暴力

ここから、少し具体的な話をします。
妻の職場で起きた「夜勤4人→3人」問題です。

「来月から3人ね」と一方的に告げられた夜勤体制変更

ある日、ミーティングでこう告げられたそうです。

> 「来月から夜勤は4人じゃなくて3人になります」

それだけでした。

現場への事前の相談なし

業務量や患者構成のリスク評価なし

試行期間や、戻す可能性についての説明もなし

ただ、「決定事項」として伝えられた。

「できるでしょ?」の裏に隠れた前提

おそらく管理側の本音は、こうでしょう。

他の病棟も3人でやっている

人件費を抑えないと病院経営が厳しい

看護師さんたちは真面目だから、なんだかんだ回してくれる

しかし、夜勤を経験した人なら誰でも分かるはずです。
夜勤の人数削減は、

休憩が取れなくなる

ナースコール対応が遅れる

見守り回数が減る

転倒・誤薬・急変対応などのリスクが増える

という、「ケアの質」と「安全性」に直結する問題です。

「回っているように見える」だけ

真面目な看護師は、

自分の休憩を削れば

自分の体力を削れば

サビ残で記録を仕上げれば

「とりあえず、事故を起こさずに夜を乗り越える」ことができてしまう。

その結果、表面的にはこう見えます。

夜勤3人でも回っている

事故件数も増えていない(ように見える)

経営改善にも寄与している(ように見える)

しかし実際には、
見えないところで現場が削られ続けているのです。

ヒヤリハットの増加

各自のメンタル不調・睡眠障害

ベテランから順番に燃え尽きて退職していく構造

「夜勤4人から3人」が問題なのではなく、
「現場に相談もなく」「安全の検証もなく」ただ数字だけで削ってしまう姿勢が問題なのです。

4|真面目な看護師ほど沈黙し、システムが「持ってしまう」危険

妻を含め、多くの看護師さんは本当に真面目です。
だからこそ、
「夜勤3人体制にします」と言われても、こう考えてしまう。

「患者さんのために、何とかするしかない」

「自分が辞めたら、残された人がもっと大変になる」

「文句ばかり言う人だと思われたくない」

結果として、
ギリギリの状況でも「なんとか回してしまう」のです。

この「なんとか回してしまう」という事実が、
経営側にとっての誤った成功体験になります。

> 「ほら、3人でもいけるじゃないか」

と。

しかし、その裏で、

もう限界なのに黙っている人

出勤前に動悸がして吐きそうになりながらも制服に袖を通す人

夜勤明けにハンドルを握りながら意識が飛びそうになっている人

が確実に増えています。

そしてある日、
その中の誰かがポキッと折れる。

そのひとりが、私の妻でした。

5|基礎疾患持ちの妻を、「何の相談もなく」コロナ病棟に付けるということ

もうひとつ、どうしても書いておきたい出来事があります。
それは、基礎疾患のある妻が、何の相談もなくコロナ病室に配置されたことです。

覚悟と無配慮は、同じではない

医療現場で働く人たちは、
ある程度のリスクを覚悟して仕事をしています。

インフルエンザ

ノロウイルス

コロナ

その他、感染症全般

「命を守る仕事だからリスクはつきもの」
そう思っている人も少なくありません。

しかし、
「リスクを理解したうえで受け入れる覚悟」と
「説明も相談もなく危険な場所に放り込まれること」は、まったく別物です。

基礎疾患がある人がコロナに感染すれば、
重症化リスクは高い。
最悪の場合、命に関わる。

それを知りながら、

> 「今日からこのコロナ部屋、お願いね」

という一言だけで配置するのは、
あまりに乱暴ではないでしょうか。

本人の健康状態の確認

家族への影響の説明

防護体制や勤務配分の調整

配置に同意するかどうかの確認

こうしたプロセスを一つも踏まずに、
「当然のこと」として割り当てる——
私は夫として、これを人としての配慮の欠如だと感じました。

「嫌なら辞めれば?」と感じさせる見えない圧力

もっと厄介なのは、
直接「嫌なら辞めたら?」と言われなくても、
そう感じさせる空気があることです。

人手不足で替わりがいない

配置に異議を唱えるのは「わがまま」と見られそう

反対したら人間関係が悪くなるかもしれない

その結果、

> 「本当は怖くてたまらないけれど、何も言えない」

という状況が生まれます。

これは、
本人が納得して受け入れた覚悟ではありません。

立場

空気

無言の圧力

によって、「断れないようにされている」だけです。

私は、ここに一番強い怒りを感じています。

6|この怒りはわがままではない——「いのちの警報」としての怒り

ここまで読むと、こう思う人もいるかもしれません。

> 「現場はどこも大変なんだから、多少は仕方ないのでは?」
「看護師なら、ある程度のリスク覚悟は当然では?」

たしかに、医療現場が楽な仕事だと言うつもりは全くありません。
しかし、だからといって、
どこまでも我慢させて良い理由にはなりません。

私は、自分自身が中途で重い障害を負ったとき、
「社会はここまで人の命を軽く扱うのか」と怒りを覚えました。

そのとき、気づいたことがあります。

> 怒りは、わがままではなく、
「これ以上は壊れてしまう」といういのちの底からの警報だ、ということです。

妻の怒りも、同じです。

「自分の命を、そんなに軽く扱わないでほしい」

「仲間の命を、数合わせのコマのように扱わないでほしい」

「患者さんの安全と、自分たちの安全を天秤にかけないでほしい」

その「最低限のライン」が踏みにじられ続けた結果としての怒りです。

だから私は、こう断言したい。

> 妻の怒りは、わがままではない。
それは、壊されそうになっているいのちの、防衛反応だ。

そしてもし、
この記事を読んでいる看護師さんの胸の奥でも、
似たような怒りがくすぶっているなら——

それもまた、あなたのいのちが鳴らしている警報なのだと思います。

7|それでも私は、他の看護師さんたちに深い敬意を抱いている

ここまで怒りを書いてきましたが、
私は、現場で働き続けている看護師さんたちに対して、
深い敬意しか持っていません。

妻の話から伝わってくるのは、
怒りや愚痴だけではありませんでした。

しんどい夜勤を一緒に乗り切った仲間への感謝

コロナ禍で恐怖を押し殺して働いた日々を共有した、戦友のような絆

仕事終わりの短い休憩で交わした、たわいない会話の温かさ

そうした話を聞くたび、私は何度も思いました。

> 「この人たちがいるから、日本の医療はなんとか持ちこたえているんだ」と。

だからこそ、強く言いたいのです。

責められるべきは、看護師個人ではない

真面目な人に無限の負担を押し付ける「設計」こそが問題だ

「頑張る人が壊れるまで回るシステム」ではなく、
「頑張る人が壊れないように守られるシステム」が必要です。

看護師さん一人ひとりに、
「あなたの命も、患者さんの命と同じくらい大切です」と、
心から伝えたい。

8|夫として、私にできたこと・できなかったこと

ここから少し、個人的な話をします。
夫としての私の話です。

私は、中途重度障害者です。
自分自身も医療や福祉のお世話になって生きています。

その立場から見ても、
妻たち医療者の働きは、「頭が下がる」の一言に尽きます。

そんな私が、妻に対してできたことは、多くありません。
それでも意識して続けてきた三つのことがあります。

否定しないで話を聞く

妻が仕事の愚痴をこぼすとき、
私はできるだけ「アドバイスをしない」と決めていました。

「どこの職場もそんなもんやろ」

「もっとこうすればいいのに」

「考えすぎちゃう?」

こうした言葉は、
一見“前向き”に見えて、
実は相手をさらに追い詰めることが多いからです。

代わりに、私はこう言うようにしていました。

「それはしんどいな」

「そりゃ怒って当たり前やわ」

「よくそこまで頑張ったな」

評価せず、ジャッジせず、ただ受け止める。

それが、夫としてできる最低限の「ケア」だと思ったからです。

「辞めてええよ」と、何度も伝える

生活のことを考えれば、
妻がフルタイムで働いてくれていることは本当に大きかった。

しかし、だからといって、
妻の体と心を「家計のクッション」にしてよいはずがありません。

だから私は何度も言いました。

> 「辞めてええよ。生活はなんとかするから。」

これはカッコつけでも理想論でもなく、
壊れてからでは遅いと心の底から感じていたからです。

「看護師を辞めるな」と引き止める前に、
その人がどれだけ限界に近いところにいるのか、
一度想像してみてほしいと思います。

怒りを「言葉」にして外に出す

私は、中途で障害を負ってから、
社会の制度の穴や、現場と机上のギャップを痛感してきました。

その経験があるからこそ、
妻の話を聞いているとき、
「これはおかしい」とハッキリ言語化できました。

夜勤4人→3人を相談なく決めるのはおかしい

基礎疾患持ちを何の説明もなくコロナ病棟に回すのはおかしい

それでも文句を言いづらい空気があるのはおかしい

この「おかしい」を、ブログという形で外に出すこと。
それが、夫として、社会の一員として、
私にできる小さな抵抗だと思っています。

9|「辞める」という決断は、逃げではなく“生き延びるための選択”

日本社会にはまだ、
「辞める=逃げ」「続ける=美徳」という空気が残っています。

看護師の世界でも、

「辞めずに頑張る人が偉い」

「途中で辞めるのは根性がない」

そんな価値観に苦しめられている人は少なくありません。

しかし私は、妻の退職を、
心から誇りある決断だと思っています。

壊れる前に、自分でブレーキを踏んだ勇気

多くの人は、
心や体が完全に壊れてから、
「辞めるしかない」と追い込まれます。

うつ病で動けなくなる

パニック発作で出勤できなくなる

大きな医療事故を起こしてしまう

そこから回復するのは、とても時間がかかります。
元の状態に戻れないこともあります。

妻はその手前で、
「これ以上続けたら、自分は壊れる」と気づき、舵を切りました。

これは、
決して「逃げ」ではありません。

> 「生きる」側に自分でハンドルを切った、勇気ある行為だと、私は思います。

看護師としての20年は、消えない

辞めたからといって、
これまで積み重ねてきたものが消えるわけではありません。

夜勤で守ってきた無数の命

不安な夜に寄り添った患者さんの心

後輩たちに渡してきた技術と姿勢

すべてが、妻の中に残っています。

これからの人生で、
その経験は別の形で必ず活きます。

「看護師を辞める=看護師としての時間が無駄になる」
そんなことは絶対にありません。

「辞める」ことも含めて、自分の人生を自分で選んでいい

この記事をここまで読んでくださったあなたが、
もし今、「辞めるかどうか」で悩んでいる現役看護師さんだとしたら——

私は、
「絶対に辞めたほうがいい」とも、
「どんなことがあっても続けるべき」とも、言うつもりはありません。

ただ一つ、夫として伝えたいのは、

> 「辞める」という選択肢を、自分で選んでいい

ということです。

体が限界なら、辞めてもいい

心が限界なら、辞めてもいい

家族との時間を取り戻したいなら、辞めてもいい

その決断を、
「逃げ」ではなく「生き延びるための一手」として、
自分で肯定してほしい。

私は、妻の決断を何度でも肯定します。
そしてあなたの決断も、きっと誰かが肯定してくれるはずです。

10|地方の医療を守るために——人を守るマネジメントへの転換

ここまで書いてきたことは、
一人の夫としての視点であり、
一人の中途重度障害者としての視点でもあります。

しかし、これは同時に、
地方医療全体への問いかけでもあります。

「人手不足だから仕方ない」で片づけない

たしかに、地方の公立病院は人手不足です。
看護師不足、医師不足、予算不足。
問題は山積みです。

だからといって、

現場に相談なく夜勤体制を削る

基礎疾患持ちを説明なくコロナ病棟に出す

これらが正当化されるわけではありません。

人手不足だからこそ、

余計な負担をかけない設計

リスクの高い配置には合意を取るルール

壊れる前に退職・異動という選択を取りやすくする制度

こうした「人を守るマネジメント」が必要です。

夜勤体制の変更は「評価→試行→見直し」をセットに

夜勤人数を変えること自体が絶対悪ではありません。
必要に迫られて見直すこともあるでしょう。

しかし、その際には必ず、

1. 現場の看護師・師長を含めたリスク評価

2. 数ヶ月の試行期間として実施

3. 事故・ヒヤリハット・残業時間・疲労感などのデータと現場の声を集める

4. 問題が大きければ元に戻す、または別案を検討する

というプロセスが必要です。

「決めたからやれ」ではなく、
「一緒に安全な夜勤の形を探すパートナー」として扱うこと。

それが、現場への最低限の敬意ではないでしょうか。

リスクの高い部署への配置には、必ず「面談と合意」を

コロナ病棟・感染症病棟・急性期の高負荷部署など、
リスクの高い部署への配置には、

健康状態の確認

家族との生活への影響の説明

受け入れるかどうかの意思確認

を含む「面談と合意」を必須にしてほしい。

これは、「ラクをさせろ」という話ではありません。

> 「あなたの命と生活を、病院としても大切に考えています」

というメッセージを、具体的な形にするためです。

11|看護師として限界を感じているあなたへ

最後に、「もう限界かもしれない」と感じながら働いているあなたに向けて、
いくつかのメッセージを残しておきたいと思います。

「きつい」と感じるあなたは弱くない

夜勤人数の削減や、過酷なシフトに対して
「きつい」「怖い」「もう嫌だ」と感じるのは、
あなたが弱いからではありません。

むしろ、
自分の限界を正しく感じ取れる感性が、
あなたの身体と心を守っています。

「怖い」と言葉にしていい

基礎疾患があるのにコロナ病棟に回される。
経験値に見合わない責任を背負わされる。

そのときに、「怖い」と感じるのは当然です。

信頼できる同僚に打ち明ける

家族に正直な気持ちを伝える

外部の相談窓口に声を届ける

「怖い」と言葉にすることは、
弱音ではなく、
いのちを守るための第一歩です。

「辞める」ことも、誰かを守る選択になり得る

限界を超えて働き続け、
心や体を壊してしまえば、
あなた自身も、家族も、患者さんも苦しむことになります。

壊れる前に職場を離れることは、
あなた自身を守るだけでなく、
結果として誰かを守ることにもつながります。

12|おわりに——怒りと敬意を、同じ文章の中に置きたくて

夜勤4人→3人への一方的な変更。
基礎疾患持ちの妻を、説明もなくコロナ病棟に配置したこと。

そのどちらに対しても、私は夫として、
一人の人間として、強い怒りを覚えました。

しかし同時に、
妻と共に現場を支えてきた看護師さんたち、
日本中の病棟で今日も夜勤に立つ看護師さんたちに対して、
私は心からの敬意しか持っていません。

怒りと敬意は、矛盾しません。

本気で敬意を払っているからこそ、
その人たちの命や健康が軽く扱われることに、
私は怒っているのだと思います。

この文章が、

限界ギリギリで踏ん張っている現役看護師さん

看護師を辞めるかどうか悩んでいるあなた

医療者のパートナーとして、どう支えたらいいか迷っている家族

の心に、少しでも寄り添うことができたなら、
この長い文章にも意味があったのだと感じられます。

最後に、妻へ。

二十年以上、地方の公立病院の現場を支え続けてくれて、本当にありがとう。
あなたが「辞める」と決めたことを、
私はこれからも何度でも肯定します。

そして、この記事を読んでいるすべての医療者の方へ。

> あなたの怒りは、わがままではありません。
あなたの不安は、甘えではありません。
あなたの命と生活を守るための決断は、立派なプロフェッショナリズムの一部です。

どうか、あなた自身を大切にする側の選択肢も、
選べる人生でありますように。

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