思っていることを文章にしたいと思い去年違うブログサイトで書いた随筆(エッセイ)を引っ張り出して再投稿してみた。

お題「雪」
但馬地方の養父にきて2年、今年は三度目の雪を経験することになった。
元々、太平洋側の淡路島で生まれ、対岸の明石で過ごしていた。
まさに雪とは無縁の生活を過ごし、私の生活の中に雪が存在することなど微塵も想像していない。
勿論、旅行に行けば美しい風景や肌に感じる冷たくも淡い感触に心躍った幼少期もあった。
明石にいたころの私からすると雪とは心躍るものだったが、養父にきて普段の生活の中に組み込まれた雪からは心躍った淡さも感じ取れなくなっていた。
これは「私も年を取ったな」ということではなく、体に障害を持ちながらも降雪地域で骨を埋めるという覚悟が雪の冷たさをより一層際立たせ、淡さではなく、くっきりと輪郭を持った冷淡さを浮き彫りにしたといえるのではないだろうか。
雪はなぜ降るのだろうか。
科学的な話ではなく、覚悟を試されているのかと思う時がある。
左手が動かず、左足も引きずっている。そんな状態では雪かきもできないし、外出も命懸けだ。
そんな状況でも、この地で生きていくのか。と雪に問いかけられているように感じる。
突然の降雪は、命の危険も伴う状況に身を置きながら自分にできることを愚痴も言わずに行っている自分への自己憐憫の情に浸る余裕すら与えてくれない。
まるで、今こそ覚悟を示せと激を飛ばされているようだ。
麻痺している体は雪が降れると神経が過敏になっているのか、冷たいという感覚はなく刺されたような痛みを感じる。
その痛みにより、麻痺側の皮膚から熱を感じて、その熱が前を向けと激励してくれる。
これはいうなれば「雪に生かされている」と感じるに余りある感覚であった。
そんな感情に触れた時、雪に先祖の情を感じ取るという不思議な経験をした。
そして、この感覚があればこの土地で生きていけると確信が持てた2020年の12月でした。
他にも雪を含めて自然はいろいろと教えてくれる。
寒いときに体を丸め弱音を吐いた私が、ふと家の庭に目を移すと、雪が積もりながらも折れずに雄々しく立っている松が目に入った。
辛い状況でも背筋を伸ばすという意識を持つことこそ日本人としての矜持だと亡くなった祖父に言われている気がした。
今まで関わってこなかった雪や山が、明石にいた時の海とは違った教えを与えてくれるこの新鮮さをいつまでも持ち続けたい思う38歳になる冬の小さな決意でした。
随筆って形式があるのか分かりませんが、「雪」に対して率直に感じたことを言葉にしてみました。
こういうブログの記事ではなく、エッセイのようなものも非常に描くのが楽しかったので、時間があれば、書いていきたいと思っています。




















コメントを残す