1995年(平成7年)1/17 5:46 兵庫県南部地震が発生し、それが原因の災害を総称して「阪神淡路大震災」といいますが、その時、私は震源地の近くの明石市に住んでいた小学5年生でした・・・。
地震の来る直前起きていました。
不謹慎かもしれませんが、遠くからゴゴゴゴゴゴ!!って音が近づいてきて、ゴジラが来た!って思ったのを今でも鮮明に覚えています。
音が最大になった瞬間、下から突き上げられ、2段ベッドの上にいた私は天井と当たりました。
何が起きたのか分からず、両親の指示に従いながら外に出ました。
マンションの一階だったので押しつぶされる危険性があり、「早く出ろ!!死ぬぞ!!」とい外から声が上がっていました。
まさに阿鼻叫喚でしたが、幸い我がマンションは半壊で済みました。
次に浮上した問題が、母方の祖父母が淡路島の北部に住んでいたことです。
しかも築60年を超える木造建築でした。
電話は繋がらないし、後でわかりましたが、地震の原因になった野島断層が実家から車で5分の距離だったのです。
今考えるとゾッとしますが、家は半壊で済みました。
60年前の耐震技術など言われていない木造建築物だったのですが、土壁が剥がれたのと瓦が落ちただけだったそうで、日本の古来からの建築技術の凄さを垣間見れました。
家族に被害はなかったのか?
父が怪我をしました。
ガスの元栓を閉めに戻った際余震がきて転倒し顔を打ち付け、口が切れ大量に出血しました。
マンションから徒歩5分に市民病院があるので一人で歩いて行った結果、看護師さんに
「そんな程度の怪我で来ないでください」と追い返されたそうですwww
まさに病院は生き死にの極限の戦場だったのでしょう・・・。
本当医療関係者の皆さんには頭が下がります。
このような経験から、防災対策はしっかりするようにしていますし、東日本の時もボランティアにいきました。
微力ですが、私自身災害救助の方に優しくしていただいた経験から自分も何かできないかという気持ちになりました。
28年前の事とはいえ、これだけ鮮明に覚えているというのは子供ながらに衝撃的な体験で、トラウマではなく教訓として自分の中に生き続けているのだと思います。
当時お世話になった人に感謝すると思に、犠牲奈々った皆様のご冥福をお祈りいたします。
本音は「生きててよかった!俺本当に運いいわ!!」