和而不同2023.1.9

  • 和而不同という生き方

    意味は「和して、同ぜず」
    これは、論語の言葉です。

   「子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。

    分別のある大人は、人と協調しても矢鱈と付和雷同することはしない。ところが

    雑魚どもはすぐに群れたがり、協調することはしない。」

私は和というものを最も大切にしています。

   聖徳太子の十七条憲法にあるように、「和をもって尊しとなす」
これこそが日本人の本質だと思っているからです。

この「和を以って尊しとす」という言葉は、実は中国の『論語』、そして『礼記』からの出典で、太子さんはこの言葉を引用したのではないかということが昔からいわれています。

 『論語』では、これは礼の働き、「礼の用は~」というように書かれています。つまり『論語』が述べているのは、「条件付きの和」なのです。要するに、世の中の秩序や上下関係など、そういったものが正しく機能するためには、皆で仲良くしなければならない。だから和が必要である。こういう考え方が、もともとの中国的な和の考え方です。

  つまり、わざわざ言うってことは礼の文化が乏しかったのかなと推測させます。

   では聖徳太子の和とは、一体何なのか。実はこの和は、前置きなく「和を以って尊しとす」と出てきます。つまりこれは、条件のない「無条件の和」です。そうすると、その無条件の和とは一体何か。それを考えてみるには、まず私たち日本人が、どのような生活をし、どのように現在の状況まできたかという歴史をたどる必要があるかと思います。そして、その歴史をたどる前には、聖徳太子さんよりもはるか以前から考えていかなければならないと思います。

 私は、初代神武天皇の橿原宮での「建国の詔」まで遡ってみよう思います。

 2.【建国の詔】

三月(やよひ)、かのとのとりの朔、ひのとのうの日、令(のり)を下してのたまはく、我東(ひがし)を征(うち)しより、こゝに六年(むとせ)なり。皇天(あめのかみ)のみいきほひをかうふりて、凶徒(あた)ころされぬ。邊土(ほとりのくに)いまだしつまらず、餘妖(のこりのわざはひ)なほ梗(あれ)たりといへども、中洲(うちつくに)の地(ところ)また風塵(さはぎ)なし。まことによろしく皇都(みやこ)をひろめひらき大壯(みあらか)をはかりつくるべし。しかるにいま、運(とき)此屯蒙(わかくくらき)にあひ、民(おほみたから)のこゝろ朴素(すなほ)なり。巢(す)にすみ穴(あな)にすむ、すむしわざ、これ常となれり。かの大人(ひじり)制義(のりのことはり)をたつ、かならず時のまにまにいやしくも、民(おほみたから)に利(くぼさ)あり、なんぞ聖造(ひじりのわざ)にたがはん。且まさに山林をひらきはらひ、宮室(おほみや)ををさめつくりて、つゝしんで寶位(たかみくらゐ)にのぞむべし、もて元々(おほみたから)をしづむべし。上はすなはち乾靈(あめのかみ)、國をさづけ給ふ德(うつくしみ)にこたへ、下はすなはち皇孫(すめみま)正(たゞしき)をやしなひ給し心(みこゝろ)をひろめん、しかうしてのちに、六合(くにのうち)をかねてもて、都をひらき八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせんことよからざらんや。みれば、かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみ)のすみ橿原(かしはら)の地(ところ)は、けだし國の墺區(もなか)か、みやこつくるべし。

この詔のなかの「 八紘(あめのした)をおほひて、宇(いへ)とせん 」というくだりに注目しました。

「八紘一宇」で有名ですが、この言葉嫌いな世代もいますよね。ある意味ネガティブな言葉です。

天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和であり、日本人の和の精神の軸の部分であると私は考えています。

聖徳太子がイメージした和はここが肝だったと推測してます。

   なぜこのような和が出来上がったのか、日本という環境が原因ではないだろうか。海に囲まれた狭い地域であるということです。北海道から九州、沖縄まであるわけですが、ここは比較的、人類が生活しやすいような環境下にありました。そういう環境下にありつつ、しかも海に囲まれて、周囲から隔離をされています。しかし、日本の人々は、単一の民族ではないことは歴史から分かります。長い時間をかけて、徐々に徐々に、ある人はボートピープル、ある人は陸が続いていた頃に歩いて来た人もいたでしょう。そういった人たちの間で、交流や混血といった形で組み合わさり、そして日本人が形成されてきたのです。

   その結果、日本人のものの考え方は、周囲の環境に強い影響を受けてきました。少ない資源を皆で仲良く分け合い、助け合いながら生きていかないといけない。日本はそういう社会でした。そういう環境下で思いやりやいたわり、色々なことに対応できる能力などが培われてきたのです。

   特に私たち日本人は、謙譲の美徳とか、日本人は謙虚であるなど、いろいろな言い方をします。では、その「謙譲の精神」とは一体何か。これは、日本が島国であるから、そういうことが重視されてきたわけです。

   こうした結果、日本人の精神性とは、非常に思いやりがあり、あたたかくて、しかもいたわり合うというものです。

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