この話はダイバーシティ・SDGs特化ブログでメインで書こうと思っていましたが、こちらのメインブログでも書きたかったため少し触れたいと思います。
自然の極意は「循環」であると思っていますし気づかせてくれたのは亡くなった母方の漁師の祖父であり、幼少の頃一緒に漁に行った経験でした。
自然は全て循環の中であり、本来自然の一部であるはずの人間は循環から外れゴミとなっていると思っています。
近代化する前の日本人は恐らく自然だっただろうし、縄文の頃は間違いなく自然の一部で大いなる循環の一部になっていたのだと思います。
このように循環と言う話をすると、労働力の流動化のような話をイメージする方もいらっしゃいますが、そのようなどうでもいい話ではなく「人間らしく良く生きる」という生き方の話です。
自然から無理なくいただけるものの範囲で幸せに暮らし、最後は感謝と共に自然に還元するという非常に古来の日本人的な生き方を追求できる時代ではなくなっていますが、祖父はギリギリそうやって生きられた世代です。
私からすると非常に羨ましいですが、持続可能な成長というお題目の中でも「成長」というキーワードに囚われてしまっている現代社会で如何に「良く生きる」のかを追求していきたいと思います。