「自然体」とは よく日常会話で「自然体でいこう」とか「自然体でいいよ」とか言ったり言われたりすることも多いだろうと思う。
では、自然体とは何だろうか?
一般的には、「自分らしく」とか「リラックスして」のようなニュアンスやイメージで使われているのだろう。
これは当たらずとも遠からずというとこだろうか、ちなみに、私は、神道を信仰し、道教の思想も大切にしているが、どちらも重要なキーワードとして「自然」が出てくる。
まず、道教には「無為自然」という教えがある。
無為とは、文字の通り作為がないということで、もう少し噛み砕くと手を加えないこと、つまりありのままということだ。
次に自然だが、これも字の通りである、自ずから然りということで、他からの影響を一切受けることなく、それ自体が本来備えている本質のことである。
つまり、「無為自然」とは、他からの影響を一切受けることなく、それ自体が本来備えている本質に手を加えず、生きていくことが人間にとって大切であるという指標を説く言葉です。
そんな生き方が大切だと説いている道教が目指している最終目標は「仙人」になることです。
急にどうした?って思う方もいるでしょう。
これは、実は多くの東洋系の宗教の目指すところです。
ちなみに神道の最終目標は、「自然体」になることであり、
そこへの道は、「神様をおまつりし、祖先に感謝し、祈りを捧げる事」にあります。
神道とは、日本に暮らす上で、人間が備えるべき精神性が凝縮されたものであると考えています。
これはあくまで私個人の解釈です。
言葉は違えど、道教と神道が目指しているものはとても似ていると感じませんか?
私は、それだけにとどまらず、仏教の「悟り」もこの自然体に近いと思っています。
他からの影響を無くして、真理と繋がる。
共通した目的を持ち、恐らく人ではたどり着けない境地を目指す。
この不思議な共通点には興味が尽きません。このように普段から使っている「自然体」というありふれた言葉を深掘ってみると、神秘的なものにたどり着くというのは日本語の面白さだと思います。
是非色んな日本語に興味を持って言葉のルーツに挑んでください。
もしかしたら思いもよらない神秘にたどり着くかもしれません。
「自然体」とは よく日常会話で「自然体でいこう」とか「自然体でいいよ」とか言ったり言われたりすることも多いだろうと思う。
では、自然体とは何だろうか?
一般的には、「自分らしく」とか「リラックスして」のようなニュアンスやイメージで使われているのだろう。
これは当たらずとも遠からずというとこだろうか、ちなみに、私は、神道を信仰し、道教の思想も大切にしているが、どちらも重要なキーワードとして「自然」が出てくる。
まず、道教には「無為自然」という教えがある。
無為とは、文字の通り作為がないということで、もう少し噛み砕くと手を加えないこと、つまりありのままということだ。
次に自然だが、これも字の通りである、自ずから然りということで、他からの影響を一切受けることなく、それ自体が本来備えている本質のことである。
つまり、「無為自然」とは、他からの影響を一切受けることなく、それ自体が本来備えている本質に手を加えず、生きていくことが人間にとって大切であるという指標を説く言葉です。
そんな生き方が大切だと説いている道教が目指している最終目標は「仙人」になることです。
急にどうした?って思う方もいるでしょう。
これは、実は多くの東洋系の宗教の目指すところです。
ちなみに神道の最終目標は、「自然体」になることであり、
そこへの道は、「神様をおまつりし、祖先に感謝し、祈りを捧げる事」にあります。
神道とは、日本に暮らす上で、人間が備えるべき精神性が凝縮されたものであると考えています。
これはあくまで私個人の解釈です。
言葉は違えど、道教と神道が目指しているものはとても似ていると感じませんか?
私は、それだけにとどまらず、仏教の「悟り」もこの自然体に近いと思っています。
他からの影響を無くして、真理と繋がる。
共通した目的を持ち、恐らく人ではたどり着けない境地を目指す。
この不思議な共通点には興味が尽きません。このように普段から使っている「自然体」というありふれた言葉を深掘ってみると、神秘的なものにたどり着くというのは日本語の面白さだと思います。
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もしかしたら思いもよらない神秘にたどり着くかもしれません。
こんにちは。
毎日ブログを書かれていてすいなと関心しています。楽しく拝見しています。
ありがとうございます。
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