1.個性は魅力という綺麗事
個性は魅力だという価値観、本当か?って思ってた時期が私にはあった。
学生時代、同じであることを求められ、社会に出た途端に自分らしさや個性を大切にという風潮になった。
世間とは勝手なものである。
私が20代の時個性的だったのかは分からないが、今はだれが見ても個性的だろう。
真に個性的に生きるためには、まず自分が苦しみ・楽しみ自分の中から生み出し、周りに諦められる必要があると思っている。
これは、私の経験だが、圧倒的な個性とは簡単に手に入るものではないし、周りがすぐに受け入れてくれるものでもない。
その事実に目を瞑り、受け入れる度量もないのに若い世代に個性を主張しろと声高に言い張る社会は異常だと私の目には映る。
私は座っていれば分からないと言われるが、歩けば100%障碍者と分かる。
そして、言動や思考も一般人のそれとは異なって見えるだろう。
そんな私が生き辛いとはいえ、社会での生活を許されているのは、世間からの障害者差別があるからだ、言い方を変えるなら障碍者というフィルターを通して私を見てくれているから、受け入れられないが、私の個性を指摘するでもなく諦めてくれている。
また、私自身も個性の押さえ方を試行錯誤してきた。私の健常者の時の思考とブレンドし、中途重度障碍者という障害を乗り越える過程で手に入れた個性を社会に伝わりやすいようにパッケージしてお届けするように2年ほど前から努力しだした結果、かなり毒は薄まっているだろう。
なぜ、こんな話をするかと言うと、カウンセリングで某大学の院生と「自分らしさや個性について」を話す機会をいただいたからだ。
記事にしていいとの許可を得たので書いている。
本来は論文の参考資料として中途重度障害者である私の意見を聞きたかったそうだ。
2.個性は大切!は本当だろうか?
日本でいう個性とは「他者からも好かれる個性」限定である。
「個性的だね」とは、往々にしてネガティブな印象を含んでいることが多い。
日本では「価値のある人」というイメージが凝り固まっているから、その枠から外れた個性は認められないと、自分の経験からはっきりお伝えできるし、確信を持っている。
つまり、社会が、大人が突きつけてくる個性なんて個性でも何でもないと若者には知ってほしいし、そこに自分にとっての価値はないです。
貴方は、他者の本当の個性を受け入れる準備はできているだろうか?
もしくは、自分の本当の個性と向き合う覚悟はできているだろうか?
という事をしっかり向き合って考えてほしいと思います。
個性とは自分らしさでしょうか?確かに出る杭は打たれます。世の中の役にたつことをするには新しい風は必要ですか?
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個性とは他の人とちがった、その人特有の性質のようなもので、私は当然素晴らしいもので尊重されるべき物だと思いますが、こと社会においては必ずしも価値ある物とは言えません。
社会が求めている個性を偶然持っていればいいですが、新しく始めたいことが社会がもとめているかどうかが分からないと新しい風(仮にパラダイムシフトと考えます)は必要だと思います。
プロダクトアウトは非常に難しいというのが私の感想です。
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