マイノリティの主張 疲れた2022.7.5

私は自由に生きていますが、中途重度障碍者であるという事実は変わらない。

だからこそ、気付いたことを発信していくことに意味はあると思っているが、当事者が声を上げ続けなければならない現状は問題があると思っている。

例えば、階段の手すりや歩道の構造など苦言を呈した場合、自分たちの主張ばかりでという批判を沢山受ける。

しかし、安全に生活するためには言わないといけない、言うと批判される。

言えば言うほど健常者と障碍者は分断されていくように感じてしまう。

声を上げられないマイノリティの方の意見を聞き代わりに主張する。

これって、一個人のたまたま障碍者になった私の役目なのか?

カウンセラーをしているから色々な悩みや意見を聞くから改善してほしいと発信するのは必要だと思っている。

なぜなら誰も聞こうとしないし取り上げないから。

っていうか政治家何してんの? あんたらの仕事じゃないのか?

と他責思考になってしまう自分が嫌なんだけど、どうか当事者が声を上げて矢面に立たなくて良い政治システムに変えてもらいたい。

供託金すら払えない私には、意識の高いお金持ちの政治家志望の方に託すしかないのです。

勿論、障碍者のみならずLGBTQ+の方やシングルマザー、子育て世代、若者、高齢者、健常者と生き辛さを抱えている全ての人が少しでも生きやすくなるように私にできるのはカウンセラーとして寄り添う場所を作ることぐらいなので、頑張ってカウンセリングしていますので、是非ご依頼ください。

宣伝のようになりましたが、苦しんでいる人が表立って声を上げなくてもいい社会になってもらいたいものです。

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