他人の評価や怒りは気にしない

1.他人の評価を気にしない

自他ともに認める私の大きな特徴の一つですが、「他人の評価を気にしない人になりたい」とか「怒られたら委縮してしまう」という相談をよく受けるようになった。

ちなみに私は特別ハートが強いわけではない。

よく、「世間体や他人の視線が気になってしまい、生きることを窮屈に思ったり、自分の人生なのに誰かのために生きているように感じてしまうことはありませんか?自分の人生を大切にしましょう」

というようなセミナーに参加されて、自分の人生を生きたいと、私の元にカウンセリングにいらっしゃる方がいますが、いいことだと思います。

そのセミナーでは、自分のアウトプットに集中しようとか色々な方法を提案されるそうですが、うまくいかないということで、実際に他人の評価を気にしていない私に方法を聞きに来られますが、方法はないです。

そういう風に育てられたとしかお答えできないです。

恐らくですが、私は、私への他人からの怒りや悪意のある感情といったものを認知できていないのではと思う時があります。

頑張って言語化してみると「怒鳴られても怒りという感情は私には届きませんが、内容は事実であれば受け止めこちらに非があれば反省しますし謝罪します。

しかし、そのことで、相手の私に対する評価が落ちようが興味がないのでどうでもいい。」

というような感じです。

昔からの友人からも嫌味も通じてないと言われる始末です。

2.怒りは二次感情

実は奥にもうひとつ感情が隠れていて、怒りは二次的な感情だという話を聞いたことがある人も多いと思います。

怒りに繋がる一次感情は一般的には「落胆・心配・悲しみ・傷つき・寂しさ」だと言われています。

本来は、自分の行動から相手に「落胆・心配・悲しみ・傷つき・寂しさ」等の一次感情を抱かせてしまい、怒りをぶつけられる。

その攻撃性の強い怒りに押されて、一次感情を受け取れないまま謝ってしまうので、的外れな謝罪になってしまう。

怒られる=自分の評価が下がったと考える人は非常に多く、焦ってしまって反射的に謝罪しまうかもしれませんが、私は他人の評価を気にしないので、怒られたら、怒りの感情はスルーして、一次感情はどこにあるのかを冷静に分析しながら話を聞く癖を子供のころから養っていたのだと思います。

円滑なコミュニケーションに怒りは邪魔だと昔から身をもって学んだため無意識に相手の怒りの感情は受け取らない人間になった可能性が高いと思います。

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